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2009/03/07 Sat

我が家の暮らし方

我が家の日常、家の中での犬たちとのかかわりあい方はみなさんが考えているほど犬にべたべたしていないんじゃないかなと思います。
犬たちは何もすることがなければ結構怠け者なので若い子でもよく寝ていることが多いです。
老犬はとっても良く寝ます(笑)
いつもうろうろしている子はほとんどいなくて、ポメラニアンもダックスもシェルティーも私が動くと一緒に起きて動き回りますが何やるの?次は何?と興味を持ってやることをついて歩いてきます。
名前を呼んで犬をそばに来させて何かしら触っていることが多いですがこれといってアクションがあるわけではありません。


家の中では静かに!が原則です(^−^)
家は二階建てで、成犬と子犬、また、お預かりする犬たちはすべて二階で暮らします。
一階は老犬と問題のある犬たち、また病気を抱えた犬のリハビリ室として犬が存在するだけで、私たちが食事をしたり、団欒したり、寝室として使っている一般家庭としての部屋です。
二階にも一階にも必ず人がいるようにし、犬たちの世話のレベルによって私と息子が入れ替わって担当しています。


犬たちとのコミニュケーションは簡単なコマンドをたびたび使うことで、コマンドのみではなくほとんどが人の話し言葉でよく話しかけています。
上にいる子も下にいる子も同じですが、下の子たちは耳が聞こえない子がほとんどなのでボディーアクションが必須なのが玉に瑕です(苦笑)

言葉かけだけで吠える等の行動が止まらなくなった老犬との暮らしは若く元気な犬たちとの暮らしとは違います。
また体が思うように動かなくなっているので、その数が多ければ多いほど、分けられるのなら分けたほうが怪我もすることが減り、年老いた犬、病気の犬のためには幸せだろうと感じて現在に至っています。


我が家で犬たちとどんな話をしているかといえば、洗濯機が止まった音が鳴ったら「あれ?洗濯機が止まったかな?じゃぁ干しに行こうか?」といった感じでです。
すると私が動き出す前に起き上がる子もいるし、私が立ち上がるとあわてて起きる子もいるという感じです。
犬たちは「干しに行こうか」の「行こうか」という言葉に反応するか、私の動きに反応して行動します。
立ち上がると同時に「おいで〜」と呼ぶと全員ついてきます。
来たら「いいこねぇ〜おりこうだねぇ〜」と必ず褒めています。


犬たちはよく寝ているので私のそばに寝そべっている子がいれば必ず撫ぜているといってもいいでしょう。
抱っこをせがむ子がいれば抱き上げて膝の上に載せているし、近づいてきて何か言いたそうなときは「なあに?」と聞いてみます。

彼らの目線の先に伝えたいことがあることが多く、お水がないんだよねとか、ベランダに出たいよとか、ちょっとこっちに来てといった簡単な要求はすぐにしてあげなくてはならないときは行動するし、待っててほしい時やできないことのときは「待っててね」「それは無理だな」とちゃんと返事をしてあげます。
やってほしくないことをした子がいたらまず名前を呼びます。
たいていはすっ飛んでくるので「吠えるのはやめてね」とか「騒がないでね」とか「ここにいてね」とか犬に対してどうしてほしいのかの要求を出します。


ご飯のときは「ご飯にするよ〜」と声をかけます。
バリケンに入って待つ子もいるし、うれしくてついて回る子もいるし様々でたぶん一番うるさい時です。

吠えていると「吠えてたらもらえないよ!」と言って吠えるのを止めながらご飯の用意をします。

吠えていない子から貰えます(笑)

年寄り組はバリケンに入ることなく、みんな並んで一緒にご飯を食べます。「おいしい?」「今日は○○を入れたからうれしいね」と話しかけると犬たちは尻尾を振りながら食べてくれるし、その子によっては顔をあげて私の顔を見て、また食べるといった具合です。

食べ終わった子から「はい、○○ちゃんはごちそうさまね」と食器をとり満足した子はそのままごろごろ転げたり、トイレに駆け込む子がいたり、様々ですが、まだ食べ終わっていないほかの子の物をとるようなことはありません。

覗き込もうとしたときに「それは○○のだから食べちゃダメでしょ?」といえば無理やり取ろうとする子はいません。


暇ができた時に、コマンドで動くかなとかこれはわかるかなといった訓練に近い形を教えたりするのもみんな遊びの中でやっていきます。

犬たちが好きな遊びはおやつを両手に持って「どっちにあるかな?」と言って当てたらもらえるという遊びや、握手を交互にしたり、座れと伏せをランダムに入れてバッタン遊びをしたり、名前を呼ばれて「ワン!」と答えるとか、結構単純なのが好きです。

全員一緒に遊ぶことは到底できないので、○○は待てだよと待たせつつほかの子を動かすということが多いかなと思います。
手を使って噛む真似をして「あうあう」と言いながらじゃれあいっこをしているとか、あとは「お母さんはどこ?」と探させたり、「ユウちゃんを呼んできてね」と呼びに行かせたりしているだけで、訓練という感じとは違うとおもいます。

自分たちにとっては犬たちにかかわることはほとんどがみんな遊びになっています。


通常家の中で訓練めいたことをするのはほぼ雨が続くような時だけで、多くは外でごくたまに練習しようか?と遊びながら練習する程度です。
つまり生活の中では訓練という形よりもしつけというルールの徹底のほうが教えやすく繰り返しが可能だからです。


犬同士で遊びだしても吠えすぎたり騒ぎすぎたりするとすぐに止められてしまいます。
仔犬がいるときはよく怪獣タイムと言って何が原因になっているかわかりませんが(笑)誰かが爆走を始めてみんなが巻き込まれて目いっぱい走ります。
仔犬がいない時も玉に始まることもありますから時間帯によって大目に見ています。


物を使った遊びのほとんどは人が気が向いたときに「遊ぼうか?」と誘って始まるものだけで、ほとんど犬からの誘いはないといってもいい気がします。

ごくまれにボール等を持ちだしてきて投げてっていう子もいますが、家の中なので投げて取りに行っての繰り返しを数回するとすぐに休憩、また数回繰り返して休憩といった感じの遊び方です。

いくらやっても飽きない子たちなので終了はすべて私たちが決めます。


家の中ではその時々によって呼んで抱っこしたり一緒に寝たり、くすぐりっこをしたり、手入れをするためにブラシをかけたり爪を切ったり毛のカットをしたり、一緒におやつを食べたりしているだけです。

おやつをあげるときは1頭ずつ名前を呼んで、目が合うと上げます。
これがアイコンタクトの基本です。
他は私がしている仕事によって洗濯物を干すときに一緒にベランダについてきながらワイワイと走ったり跳ねたりします。

掃除機をかけるときは一緒になってそばにいる子もいるし、少し離れたところで眺めている子もいるし、うきゃうきゃしながら跳ねている子もいます。掃除ですら遊びなのかもしれません。
洗い物をしているときにそばにいる子もいるし離れている子もいます。それぞれって感じです。


床に寝ころぶ以外にソファがあるので高いところが好きな子はそういうところに飛び乗ることが多いし、サークル(60センチ)で仕切っているところがあれば通りたいときはとび越えています。
DISCを使って遊ぶことが多いので絨毯敷きの場所で飛んだり跳ねたりしている遊びの時間は1頭あたり2・3分だと思います。何せ数が多いですから(笑)


雨などが続いてちょっと運動不足気味になるとシェルティーは1頭ずつ階段の上がり降りで爆走して消化しています。

階段には絨毯を張ってあるので滑らないようになっています。
階段の下にいて「上がって」「降りて」と数回上り下りをします。
かなりの運動量になるのでバランス感覚や筋力をつけるには我が家の犬にはよい遊びです。
人が下にいてコマンドをかけるのは万が一足が滑って落ちてきても受け止めるためです。


通常2階の部屋から犬たちは階段には勝手に出れません。
我が家の階段は昔の階段で直線になっているもので最近のお宅おようなまわりこんだものとは違います。

2階から下へ降りるときには1枚ドアがありドアが開くと階段への下り口がふさがれるように作ってあり、犬は勝手に下りられない仕組みになっています。

直線のため、階段下に仕切りをつけると万が一上から人も犬も落ちた場合に大けがにつながるため階段を降り切った所には仕切りはありません。

通常のお宅と違い二階から明かりがもれるようにはなっておらず階段は通常真っ暗で、電気をつけなければ二階の部屋の入り口のドアも見えないほど暗いです。


下の部屋は老犬たちが過ごす場所です。
1階は一般家庭なので老犬と問題を抱えている犬以外は暮らしていません。
食事をし団欒し、主人や私の寝る場所です。
犬のことを仕事にしているので、仔犬の販売時には応接間代りにこの部屋を使いますが仕事場ではありません。

ですから、通常仔犬を見に来られる等の来客の場合とりあえず老犬たちは二階に上がらせますが、親しい繁殖犬のオーナーさんが遊びに来られる時は、一般家庭への来客もしくは友人の来訪と考えていますから、我が家の愛犬たちの老犬たちはそのまま一緒にお迎えに出ることも多いでしょう。


老犬たちは何もせずに日がな一日を寝て過ごしていることが多いです。
遊ぶというより人の後を付いて回るくらいです。
耳が聞こえない子が多くなってきているので後ろから声をかけてもほとんど無駄になってしまいますが、今までの習慣上、ついつい大きな声で話しかけています。

老犬たちが聞こえないことで他人に迷惑がかからないように人が来ているときは結構気を使います。
もちろん気を使えわなくて済む人たちの時だからこそ、犬たちも通常通りいるのですが(笑)


ケネルではないという感覚があるので、単に親犬が見たいとかケネル訪問したいといわれるものをすべてお断りしているのはこういったスタイルで生活しているためなのです。
親犬が見たいならイベントに行く機会にでもぜひ見に来てくださいとお願いしています。


基本的に家の中は静かに!が原則なのが一番多いかなと思います。
犬たちは声帯を切っている子は一頭もいないので吠えないことはありませんから「やめなさい!」とよく言われています。

外の人にも聞こえているでしょうからきっと犬のほえ声よりも人の叱る声の方が大きく聞こえていたりして…(苦笑)
優しく言うことはほぼなく、少しでも早く吠えることを止めることを優先しているので見えないところから聞いている人にはすごく怖いかもしれませんし(笑)


住宅街のど真ん中でたくさんの犬たちの声帯を切らずにしつけで頑張って育ててきた結果は、この15年間、苦情を受けたことが一度もないということで証明できるでしょう。
犬の毛やにおいの問題は吠え声の問題は飼い主側の努力でいかようにもなるということだと思います。
室内での暮らし方の中から犬たちはすべてを学ぶのです。

それも犬たちから教わった大切なメッセージです。

2009/03/06 Fri

我が家の散歩

我が家がする犬との散歩は犬の気晴らし程度のものととらえているので、脚側を強要することもありませんし、あちこち匂いを嗅ぎに行くのもOKにしてあります。


犬たちに守ってもらっていることは私がそばに寄るようにと呼んだり、そこで止まってとか、時と場合に応じて出す指示に従うことだけです。
それ以外は楽しいお散歩をしたいのであえて強要することはありません。

多少引っ張っても手が痛いと感じたり歩く速度を変えられてしまうほど引くようなら、「ちょっとちょっと先に行かないで!」と声をかけると、犬はそばに戻って一緒に歩いてくれるわけで、「そうよイイ子ね」と肯定すればその時間の継続は簡単です。

飼い主の前を歩いちゃいけないなんってルールは作っていません。
人様に迷惑にならないようにあるければそれでよいので、自由をあたえられるように子犬時代には散歩のときにしてほしいことを少し筒教えています。


仔犬の時代は1頭で連れて出ることも多く学ばせることが多いので引っ張ってもいいよ〜とは教えませんし、勝手にあちこに匂いを嗅ぎに行ったりしないように声をかけて私に集中できるような工夫をしながら歩くようにしています。

教えたことが分かるようになってほかのことも一緒に歩けるようになっていれば、坂道などは「引っ張ってぇ〜」というと「それそれ」という勢いで引っ張ってくれるので楽をさせてもらっています。

散歩中に気をつけて必ずやる行動は、十字路やT字路のように左右に曲がったり道路を横断する場所の時に必ず犬を止まらせて(立ったまま)私が一歩先に出て車や人が通らないか確認した後【さぁ行こう】と進むことです。


訓練などを教えていなくても、「待て」も理解できるし、「一緒に歩きだそう」も理解でき、事故も防げます。

座らせなくても動かなければいいのですから簡単な作業です。

これは子供を育てるときにいきなり道路を飛び出さないようにさせるにはどんな習慣がいいかなと考えて息子たちに教えたものでした。


子育ての経験は犬育てに立派に役立っています。
うっかりこちらが忘れても犬の方が止まってくれるくらいなのでなかなか重宝なものです。
道路を横切るたびに犬に向かって「えらいねェ〜」と声をかけてる変なおばさんでも、犬たちにとってやった行動がうれしいと感じられるのなら恥ずかしくもないです。


散歩に行くコースは家を出てから様々に行き、毎回決まったコースは歩きません。
今日の気の向くままといった感じです。


家の近くの道という道は路地を含めて必ず通るように散歩します。
万が一にも家から出て迷子にならないためです。
色な方向から自宅に戻ることも、極力心がけています。
匂いをかぐこともぶらぶら寄り道することも、本来なら犬にはリードがついていなくて自分の家の周りをテリトリーとして周回していただろうと考えてその範囲を歩くようにしています。


ほかに気をつけているのは人さまのお宅にマーキング等をしないように犬が止まった時は気をつけて見ています。

匂いをかぐだけならOKでも、尿をかけられたら困る場所では「そこは違うよ」とか「だめ!」と、言葉をかけて注意をそらし、犬自身を引っ張ってでも歩かせて気にしていた場所にかけないようにさせます。

排泄は基本的に家の中で済ませるので、外での多少のマーキング行動に関しては必要なこともあると思うのでここはいいよと決めている場所までは我慢してもらうようにしています。もちろん排せつした後に連れ出すので、かける格好だけはしますが大量に尿をばら撒かない工夫をしてるわけです。


我が家には大型犬がいないので排泄量もこんなに出るの?と思うように多くはないですが、ごくたまに家の前の道路の真ん中から流れるように大量に排せつした後を見つけることがあります。

トイレシーツで吸い取ってから水を流したりします。
たぶん大型犬だろうなと思うような量をなんで掃除は私がするんだろうと思うことがしばしばですが、人さまの犬の排せつ物はやっぱりいい気持はしません。


最近はペットボトルに水を入れて排泄してしまったらかけて流しておきましょうと言われているようですが、たまったものを排泄するために外に出すのなら、お散歩バックに一番小さいペットシーツを二三枚持って歩いたほうが迷惑にならないのになぁと思います。


1・2頭で行くお散歩のときの持ち物はビニール袋数枚(透明なものと白い色の小さな手下げタイプのもの)と多めのティッシュです。

うちの場合にはシーツを使わなければならないことは少ないので、お散歩バックのようなものは持たずにポケットにティッシュとビニール袋を数枚持って出かけることが多いです。

両手を開けていた方がより安全なのでやたらに物は持って歩きません。

ウンチは道路を歩く人が透明なビニール袋に入れてある物をぶらぶら見せて歩いたら嫌な気分になるだろうなと思うのでティッシュにくるんで透明なビニール袋に入れた後小さな白い手下げのビニール袋に入れて持ち帰ります。

2009/03/06 Fri

家族との信頼関係

犬と暮らす相手には自分だけではなく家族が伴う場合が多いと思います。
我が家は私のほかに連れ合いと息子が二人です。
連れ合いの両親も同居していましたが数年前に亡くなり今は4人家族です。

息子一人は犬にかかわる仕事を望み多少なりとも勉強していますがもう一人の息子と連れ合いは犬のことには一般の人と同じレベルで多少は一般家庭ではありえない数多くの犬たちと暮らしている分犬の声が聞こえているかもしれません。


犬について多くを知らない人が家族であることは通常当たり前です。
家族は子供もいるでしょうしお年寄りもいるでしょうし、あとから生まれてくる赤ん坊もあるでしょう。一般的には子犬を教育する時に家族にも協力を仰ぎ同じ言葉を使おうとか、同じ方針で犬に対応しようとか言われていますが、現実的には非常に難しいと思います。


犬を飼うことを了解できた家族の場合、犬を好きである、可愛いと感じているという部分は共通です。
そして犬についてよく知らない人の方がより多く犬に対して媚び、犬から使われる人間となることが多いものです。
これは自分が犬に好かれたいという願望からくるもので、飼い主自身にも起こりえることでしょう。
飼い主自身は同じ状況に陥っては元も子もありません(笑)


犬に通じた人間は犬に対して媚びへつらうと、犬自身が飼い主を頼れる相手だという認識がつかず願望通り犬に好まれない状況を作ることを知っています。ですが、見た目には犬の要求を受け入れる人間の方が犬が好んでいるようにも見える部分に飼い主は間違いを犯すのです。
飼い主とその家族は犬への対応が違うのが当たり前なのだと考えていれば、家族が犬を甘やかしても気にならないはずです。


核家族で子供を育てるときとは違い、祖父・祖母がいる条件での子育てと、犬の人の家族の中での育て方には類似性があります。
子供は愛情の伴う厳しさを親からは受け入れますが、祖父や祖母からは愛情が伴っても厳しさを受け入れにくいものです。

ですから多くの場合おじいちゃん・おばあちゃんは孫に甘くてうまく行き、おこずかいやおやつなどで孫の機嫌をとってもいい関係が出来上がります。
その背景には親がいて厳しい制限もかけてあればなのだろうと思います。
祖父や祖母をまねて親自身が子供の機嫌を取りながらおやつやおこずかいを交換条件になびかせる手法は多少よい部分もあるのかもしれませんが、教育とはほど遠くなってしまうのではないでしょうか?


私はそんな考えのもとに家族が犬に対して問題になるであろう最悪のやってはならないこと以外はすべて大目に見ています。
犬は飼育される家庭の中でかわいがられるべき存在であり、飼い主自身のいうことがどんなに聞けたとしても、家族が触ることができないとか、威嚇行動をとるとか、散歩等に連れだせないとか、ある程度の言うことを聞こうとしない等では犬と暮らしているとは言えないと思うのです。

多少甘やかしていても飼い主自身がルールを決めていてそれに従う意思を犬に対して作らせてあれば通常家族とよい関係を作れるのが犬です。
家族は祖父祖母が孫に対するように無償の愛で付き合えばよく、飼い主だけは犬への責任を持って正しく教育すればよいと考えています。


犬からの答えを受け止めながら教育していけば、仮に食べ物を使わなくても、家族が食べ物を使っているのにいうことを聞くのは飼い主の方になります。
犬は群れ族というシステムを持ち、リーダーに従い行動するという本能を持つ生き物で仔犬が従うべき最初のリーダーは母親で、飼い主は母親の代わりになればいいのですから。

母親はほかの誰よりも仔犬に対して多くの時間と手間を裂き、子犬が群れの中で生き抜くための術を伝えます。
飼い主が同じことができれば、一緒に暮らす家族に対しても愛情深い表現を起こしかわいがられる存在になり、なおかつ飼い主の命令には従う犬と成長します。
家族に伝えておかなければならない犬に対しての配慮は、相手が大人(または小学生の高学年以降)の場合、犬をからかうことが嫌われる原因になると伝えることと、無理やり抱きしめたり捕まえたりすると嫌われるということくらいです。
また意味無く叱りつけたり言うことを聞かせようともがけばもがくほど言うことは聞かないのだと伝えることも事によっては必要な場合もあります。
飼い主からの意見は、家族に聞く意思がなければ犬はそれに沿った行動を起こしますし、参考にして行動すれば望んだように変化することはすぐにわかるでしょう。


子供の場合には彼らに任せておく方が多くの場合うまく行きます。
彼らは子供であるという共通点から相手を理解することが早くお互いにやられて嫌なことははっきりと断れるし、やってほしいことは要求していきます。友達になるからです。

大人がそばで見ていて目に余る行為があった時のみ介入し、「喧嘩両成敗」のルールにのっとって平等に犬も子供もたしなめることが大切です。
人間の子どが優先としてしまうと犬は理解不可能になる場合もあり信頼関係の構築が望みにくくなります。


犬は犬なりに家族に対してどの人のはここまで許せるとかを決めてくるので、その度合いは家族それぞれに違いが出てくることを知っておくとよいでしょう。


たとえばうちでは下の息子が一番かわいがっている犬のひげを引っ張っても遊びだと解釈しているのでその犬に嫌われて避けられたりすることはありませんが、接触の度合いが少ない犬に同じ行動をすると嫌なことをする奴だと明らかに避けられるようになります。
息子を避ける犬に私が同じ行動をしても私を避けることはありません。
つまり信頼関係には度合いがありすべてが同じ条件下にないのだということです。


家族を信頼しかわいがられる犬に育てるのは飼い主以外にはいません。
アマアマな家族に行動に対してむっとすることもあるでしょうが太っ腹になって寛大に見られてこそ犬たちから一番の信頼を得られる相手になれるだろうと思います。

2009/03/06 Fri

我が家のルール

それぞれの家庭にそれぞれのルールがあります。
我が家にも、のんびりゆったり暮らしていても実際には犬たちに守らせる絶対的なルールが存在します。
あれもやらせない、これも禁止と書き出していたら何ページにもなってしまいそうなくらい実際のルールは多いです。

その代わり、ルールに縛られて窮屈であるという感覚を犬たちが持たないで過ごすような配慮はして生活しています。


我が家は住宅街の中にある一般家庭なので、数多くの犬がやたらに吠えたてられると非常に困る環境にあります。
かといって声帯を切って飼おうと思ったことは一度もありません。
そんな事をするくらいなら手間を惜しまず犬に理解させる方法を選びます。

犬には生まれもって神様から与えられた言葉を使う権利がありそのために声帯が存在するのです。
声帯を使わない生き物なら退化しています。

使っているものを私の都合でなくすことができません。


なので無駄吠えはことごとく止めます。
全く吠えてはいけないということではなく、私たちが迷惑だと感じる吠え方や回数、時間帯、など条件によって止め方も厳格さも違いがありますが、基本的には「やめなさい」と言われてその行動を停止させるを原則にしています。

言葉かけで停止しない場合には年齢と理解度によって強硬手段も使います。
解釈はいろいろあるでしょうが私たちにとっては犬への愛の鞭です(笑)


ごみ箱をあさったり、テーブルの上にのったり(うちは座卓なので低いテーブルです)そこら辺に置いてある食べ物を勝手に食べたりすることはものすごく叱られて育ちます。
最初からやらない子もまれにいますがたいていは黙ってみていれば仔犬のうちはやりたい放題やってくれますから、やめさせたかったらやらせてみないとやめさせられないを原則に、犬の行動を観察しながら教育するわけです。

犬は自分のする行動が正しいことか正しくないことかの理解は最初からあるわけではありません。
行動を起こし、それが自分にとって嫌なことが起きたり驚くようなことにつながったり、相手に威嚇されたり攻撃されない限り、問題のないことであるという解釈しか付きません。

つまりやったあとの飼い主の行動が大切で、禁止されたのか嫌がっているのか、望まれたのか、犬が理解しなければならない行動を飼い主側が求めなければ教育できないのです。
また犬は非常に単純な解釈しかできないので、一度や二度で一生忘れないように覚えるものもありますが、それはトラウマに近いものであり、通常の生活上の多くのことは繰り返される条件の中で自分の都合のよい方に選択肢を変えていく生き物です。


つまり人間の方がある一つの事柄について都合のよいものに解釈するように教育できたと認識していても、タガが緩めば犬は緩い方を選ぶということです。人が緩い方でもよいと伝えたに過ぎず、犬のせいではありません。


このことを踏まえ、我が家ではひと・犬に限らず、攻撃を加えることは何があっても許せないことの一つと教えてあります。
もちろん犬同士の場合、つついたり、怪我をさせるほどではない表現の場合には必要なことという認識の場合にはたしなめないこともありますが、加減を知らないような行動の場合と、相手が人だった場合はこの限りではありません。

大人ばかりの家庭の中で育つ犬たちであっても、近づいて来る人間が赤ん坊や、子供やお年寄りなど、苦手、または犬にとって見知らぬ不思議な生き物として見える相手であっても、ほえついたり噛もうとしたりする行為は我が家の犬たちにはあってはならないことという教育をしています。

これは自転車やオートバイなどの人が乗っていることが見えているものも含みます。


犬はテリトリー意識の高い生き物ですが、住宅街で生活しているときに家の周りでする音を怖がりすぎたり、通る人に対して吠えかかったり、意味無く吠え続けていたりすることはとても困る現象だと思います。
うちの犬たちはこうした行為を全くしないわけではありませんがするたびに叱られて制限されています。

若い個体ほど叱られたからとすぐにその行動を止められるわけではありませんが、吠える必要がないと知った犬たちが増える中で自分の行いが叱責の原因であることは徐々に理解しますし、ほかにも条件を変えて1頭で問題を指摘され制限されることの繰り返しからほかの犬と同様の行動に準じてくるようになります。


選挙カーが通り、さおだけ屋さんが通り、豆腐屋さんが笛を鳴らし、学生が奇声をあげて通り過ぎて行く環境です。
大きなトラックが通れば駐車場のシャッターがガタガタ震え変な音も出ます。毎日郵便配達の人が来て、宅急便のお兄さんがきて、通学の小学生の子供たちが、近所のお年寄りが、赤ちゃん連れのお母さんが、犬がいっぱいいるねと門越しに覗きこんでいく家で、庭先や駐車場でうろちょろしている犬たちが全く吠えないで静かにしていられるようにすべてを教育し切れているわけではありません。

でも、「誰かがのぞいているよ!」「誰がきた〜!」と吠えたら最初にかける言葉は「やめなさい!」です。

状況が分かっていても決して「わかったよ」「ありがとう」とはいいません。

吠えずに伝えに来たら「いいこだね、ありがとう」と頭の一つもなぜますが吠えたらまず制限するが一番なのです。

そうしないと次からどんどん吠えるようになって行くからです。


室内でも同じことが言えます。
年をとって耳が聞こえなくなったり、人の話がよく理解できなくなった年齢の子は別として、10歳前の犬たちなら室内でも同様だということです。

窓から見えるものに対して吠えたてたり、興奮して部屋中走り回ったり、やめなさいと言われてやめてくれなかったら我が家の頭数では大変なことになるのですから。。。


ちなみに我が家の犬たちでは飼い主の言うことをちょっとへらへらしながらこのくらいはいいよねという表現をダックスの方が多くします。

でもそんな子たちでさえ、こちらが本気で行動制限をしに来た時はピクリとも動かずに数分耐えることができるのです。言葉だけで…。

あのガサツなダックスでもです(笑)

通常お客様の前では本気で叱らないのだということを犬たちはよく知っています。
目に余らない限り本気で叱ることはなく来ているので多少ずうずうしい表現が多いかもしれません。
幼い子供と同じです。


我が家の基本のルールは「やってほしくないことは必ずやめさせる」だけです。
一つ一つは常識の範囲で、自分たちが困るというよりも、他人から見てあんな犬は嫌だなと思われないような犬にするために多くを教えています。
教え方は、母犬や群れを形成する犬たちが仔犬に対して群れのルールや犬としての常識を教えるやり方をまねて人ならその方法をどう使うかをMAGICSTYLEと呼び作り上げています。

一般的に使われている強制訓練、陽性強化法は時と場合によって利用することはありますが、多くは独自の教え方です。

餌や物による代償行為も使いませんし、犬が恐怖によって行動の制限をするような強い禁止も使いません。

犬からの理解の度合いを把握し、その犬に合わせた方法論の選択から伝えていく作業を推奨しています。


なぜなら犬と付き合うということは彼らの意思を認めなければこちらの意思も認めてくれないと長い経験の中から知ったからです。

2009/03/06 Fri

私の理想の犬

誰にでもこんな犬と暮らしたいという理想の犬がいると思います。
私の理想の犬は大まかに言ったら飼い主だけを見てくれるオンリードッグでしょう。


オンリードッグというものは飼い主のそばを離れないシャイな犬のことではないのですが、そういう表現の犬を指していることもあるようです。

ちなみに私は違う犬を指しています。


1:飼い主を一番大好きな犬。
2:簡単な人の言葉が理解できる犬。
3:苦手なものが少ない犬。


飼い主を何よりも好きな犬がまず第一です。
家の中でも外で思い切り遊んでいても飼い主から声がかかったら大喜びで飛んでくるような犬です。
また、たとえ嫌なことをされるとわかっていても飼い主であれば言われたことに従える犬のことを言っています。

爪切りとかシャンプーとか足をふくとか獣医さんに行って診察台の上に乗るとか、知らない場所に連れて行かれるとか、やりたくないことをされることが分かっていても従える犬が良い子だって思います。


いくら好きでいてくれても全く言葉が理解できない犬は困ります。
犬との共通語はボディーランゲージしかないと言われてきました。
でもある程度の知能をもつ犬たち同士は声帯を持っているので、ちゃんと独自の音のコミニュケーションをとっています。

つまり簡単な明確な言葉程度なら犬にも人の言葉の意味を伝えることができ、理解させらます。
ただし幼い時期から豆に言葉をかけて犬が理解できるような環境を整えなければ難しいことですが。
簡単な言葉が理解できるように育てられると犬との暮らしは格別なものになります。
相手はただの話の通じない犬ではなくなるからです。



苦手なものが少ない犬は飼い主の育て方以外に生まれもったものも関係します。
犬はみな同じ犬ではないので苦手なものはそれぞれ違い、怖がる程度もまたそれぞれ度合いが違います。
嫌がるもの怖がる物の数の多さも、最初から0の犬はいません。
苦手なものが10ある犬と20ある犬とでは数多く苦手なものを持つ犬の方が悪いとは限らないということです。


苦手なものを減らしていくため・怖がる程度を少なくするにはその理由を知らなければなりません。
こまやかな観察力を持ち、タイミングを逃さない行動力が伴う人なら、多くの犬の苦手なものを減らすことができます。

苦手なものがたくさんある犬を「こういう犬だから」と言ってしまうのはあまりに犬が気の毒でしょう。
生まれもったものからそのままであれば人にとって都合の悪いものが表現されることが多々あります。
ですが我が家の犬たちは血統の流れも違い、表現がかなり違う犬たちが生まれてきますが、うちに残っている犬たちの表現はあまり違う子はいません。

生まれもったまま育てるのではなくその家に沿うように修正するから同じような表現の犬になるのだろうと思います。


経験からいえば犬の性質や表現力の多くは育てられた環境によって変化するものなのだということです。
これを環境遺伝といいます。
つまり犬は飼い主から伝えられた通りの表現を見せる生き物だということです。

たとえば問題行動が多く手放された犬がその犬を理解できる飼い主に巡り合えると名犬に変わることがあります。
プロのトレーナー等がレスキューした犬の中には、隠されている本質を見出し、それを伸ばすことによって職業DOGに生まれ変わることすらあります。

一般の家庭でも細やかな愛情豊かな飼い主のもとにレスキューされると穏やかないうことの良く聞ける犬になり、手放された理由すら理解できないようなこともあるほどです。
このことは逆にも言えることで、どんなに素晴らしい素因を持った犬でも、環境次第で育てにくいと思われる犬や、問題行動を起こす犬になることもあるわけです。


私の理想の犬は上記を踏まえ、飼い主以外の人間に媚びず、誘惑に負けずに飼い主からの指示に従える気持の大らかな犬です。
ドッグスポーツの競技を楽しんでも結果が一番ではなく、スイッチのオンとオフを飼い主にゆだねられるくらい信頼関係の深い犬を理想としています。
競技自体や使うアイテムに反応するのではなく、飼い主と一緒に楽しむことを喜びとしてくれる犬が理想の犬です。


DISCやボール等の犬の大好きなものを持っていると何でも言うことを聞くとか、食べ物をもらえると常に期待しているとか、競技をすることだけが喜びとなってしまう犬はどんなに良い結果をもたらしても私にとっては理想の犬ではありません。

我が家はドッグスポーツを楽しみますが、結果を求めて犬を使ったことはありません。
教えてきたことが結果につながった時は大いに喜びますが、教えている・教えられている時間が楽しいのであってそれは人も犬もその時が娯楽であればよいという考えでいます。


私の理想の犬は散歩等でひとや犬に出会った時に逃げ出したり威嚇したりせずに穏やかに挨拶ができる程度でよく、自ら飼い主以外の人になぜてなぜ手と媚を売るような犬ではありません。

また意味もなく吠えかかったり飛びついたり追いかけたり、犬の意思で動かなくなってしまうような子ではありません。
ドッグスポーツをするときにも静かに始めるよという合図が出るまでおとなしく待っていられる犬であり、どんなに好きなことでも興奮してやみくもに切れて走るような犬ではないのです。
また飼い主と一緒である認識が高く、ほかの犬たちがたとえ大好きなことを目の前でやっていても興味を持ちつつ無視できるくらいの犬が良い犬だと思います。


つまりDISCやアジリティーなどをほかの犬がやっていてもコースのすぐ横でリードなしで黙って座って順番が待てるような犬です。
そんなことができるはずがないと言われる方も多いでしょうが少し筒教えていけば犬はこの程度のことは理解できるものなのです。
一般家庭で愛情を十分に受けて言葉をたくさんかけられ意味を理解できるように育っている犬は手間もかからずいきなりでもできてしまう子もいるくらいなのですから、訓練によって教えるものとは違うのでしょう。

ですから我が家に限っては、自分と暮らしている犬について、競技の結果よりもこちらができないことに失望を感じ、わが家族は「未完成」と評価します。


通常いわれるオビディエンスは形を教えるものであって行動を教えるものとは違うのかもしれません。
犬と楽しく幸せに暮らすために必要なことはオビディエンスではなくしつけといわれる家庭内のルールの徹底に尽きると思います。

そのルールは犬が嫌いな人にも犬は嫌いだけれどこういう犬なら認めてもいいかなと思わせるようなものでなくてはならないと思うのです。

最終的に犬を怖いと感じている人や嫌な経験がある人が我が家の犬との接触を持ち犬への理解に良い変化が起きるような犬を理想としています。
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