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愛ちゃん vol.3
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愛ちゃんは1997年7月にパパが盲腸で手術を受けたとき、
術後の状態が思わしくなく再手術をすることになったという大事な時に、
犬関係の知り合いから『売れ残って困っている子犬がいるんだけど』
と話を持ちかけられたことが縁で我家にやってきた子です。

 愛ちゃん 1998年8月9日没 





パパと犬の話で盛り上がるとき、必ずでてくるのが大人になってもシェルティーの二ヶ月の子犬の大きさのままだったらもっとたくさんいてもいいよねという話題でした。

当時はMARIN、キャンディー、ダッシュ、ミールの4頭しかおらず、みんな成犬になっているときでした。

愛ちゃんを見に行ったとき、ひざは既に滑っていて『膝蓋骨脱臼』のレベルがかなり悪そうでしたし、頭の真ん中には穴が開いている(泉門が閉じていなかった)ので水頭症も考えられました。
何よりやけに小さくて綿の塊のように体重の少ない子でした。
二ヶ月直前のポメラニアンの子が400グラムしかなかったらかなり小さいって事です。

見に行った場所は埼玉郊外のペットショップで、ショップというのか養殖場と言うのかわかりませんが店の外にはサークルの中にたくさんの犬が入れられ吠えまくっていて、私の知る限りこれがポメラニアンですか?というほど大きな柴犬のようなポメばかりがいました。

私は不審そうな顔をしてみていたのでしょう。そのうえに子犬の体を丁寧に触りながら『ひざが滑ってる』とか『水頭症が出ないかな?』とかぶつぶつと一独り言のように言いながらそれでもこの小さくてガタガタと震えている臭い子犬を放そうともしないので売れると踏んだのかもしれません。

店の人は『この子犬はお客さんに頼まれて小さいポメをといわれて市場で仕入れた犬なんでうちの繁殖じゃないんですよ〜』と笑いながら言っていました。
何で断られたんですか?と聞くと子犬を見に来たお客さんはこクリームといったのにこんなに汚い色の仔犬じゃいらないと憤慨して帰ったのだそうです。

ピュアクリームを想像している人にはシェイデットクリームの子が最初は黒の差し毛があり時期にその黒い毛が抜けて綺麗な色に変わるのだと知る人は少ないでしょう。
ペットショップで犬を買うことにもかなり抵抗がありました。
でもそこには背骨の曲がったダックスの仔犬もいたし、目がふさがりそうになったマルチーズの仔犬もいました。愛ちゃんはたまたま縁あって私が抱いた子でした。
小さくてか細くてあと1週間もこんな環境において置いたらきっと死んでしまうだろうという感じに見えました。ほかの仔犬も助けてあげたかったけれどそこまでの余裕はうちにはまだありません。それに人の尻拭いは嫌いな性質です。

それでも愛ちゃんは置いてくる気にはなれませんでした。

店に入ったときから・・・いいえ知り合いから話が持ち込まれたときから愛ちゃんはうちの子に決まっていた気がします。
あれやこれや説明しようとする店員さんを後にして急いでうちに帰りました。一刻も早くおいしいものを食べさせて少しでも元気を取り戻させてあげたかったから・・・

病院には着替えを待っているパパがいます。報告しなくてはなりません。
愛ちゃんが落ち着いたのを見計らって紹介しなくてはなりません。

幸いその当時入院していた病院でパパは相棒(点滴)を連れてなくてはなりませんが歩くことができたので玄関まで来るように言っておき連れ帰ってきた愛ちゃんを見せに行きました。

びっくりしたのは言うまでもありません。最初の一言は『どうしたのこの子・・』でした・・・

程なく退院の運びとなり自宅療養をひと月もしなくてはならなかったパパは愛ちゃんの良い遊び相手になりました。

人間とべったりの日々が・・・パパは犬には甘い人なのでそれが愛ちゃんにはよかったのでしょう・・・愛ちゃんは人間が大好きなものおじしない小うるさくないとってもおりこうな子に育っていきました。
至れりつくせりの環境は愛ちゃんにとって大事なものだったのです。

懸念していたひざは少しの衝撃ですぐにはずれてしまうような状態だったのでそれまではじゅうたんを敷き詰めていなかった部屋という部屋にじゅうたんを敷いて置くようになりました。

それでも台所などはある一部分しか敷かなかったので愛ちゃんは用事があると絨毯のない場所から『カッカ』と愛くるしい声で私を呼び、自分の要望を伝えてくるようになりました。

賢く、聡明なシェルティーたちはたいてい要望されなくてもわかることが多く又要望されるようなこともほとんど無かったなかで愛ちゃんから出される希望や期待は決してわがままの範囲ではなくどうしてもできないから助けてというものだったことばかりでした。
また、愛ちゃんは何でも私に確認してから行動するようなところがあった子でそれはとても自慢の種でした。。。

どこに連れて行ってもお行儀のよいこで、犬にはうるさい実家の父や母もメロメロになっていました。
遠出をした時も放しても決して呼び戻しがきかない子でもありませんでしたし、抱っこが好きで愛想がよくて夏のキャンプがそれはそれは楽しみだったのです。

月日がたち、多くのことを学ばせなければならなかったにもかかわらず、かわいいだけが先にたち愛ちゃんは大人になっていきました。

今から考えれば問題らしいことは何もないままに暮らしていた気がします。
だからあんな悲しいことになってしまったことが今でも信じられなくて・・・

でもたった一年という短い時間しか一緒に過ごせなくしたのは紛れもなく愛ちゃんにしてはいけないことを正しく伝えていなかった私のせいであることが今も苦しみを消せない原因なのでしょう。

地面に落ちているものを食べてしまうことはどんな理由があってもしてはならないことでした。
私は家の中では愛ちゃんが『ママこれ食べても良い?』と聞いてくるとき下に落ちてしまっていても家の中だからきたなくないし良いよと気楽にOKしていました。

愛ちゃんの頭は単純で・・・習慣として私に許可をえようとする努力はしていても時間が立ってしまったり私が気が付かないでいるといつも良いよといっていると判断するようになっていたのだと思います。

そう覚えさせたのは私しかいなくてそれが今でも心残りなことになっています。。。
ちいさないい加減さが、アレほど楽しみにしていて現地に着いたときには嬉しくて小躍りしていた愛ちゃんが・・・まさか帰るときには小さい小さい骨壷の中に入ってしまうなんて・・・

我家で暮らす犬たちが外で下に落ちているものに興味を示すとき今も心がちじまる様な恐怖感が襲ってきます。。。



お気に入りの一番愛ちゃんらしい写真。
『カッカ』と言う声が今にも聞こえてきそう。。。
写真立てに飾り毎日見ている写真。。。



初めてのお正月に出した年賀状
いつも名前を呼ぶとこうして首を傾げてくれた。



大好きなおにいちゃんのダッシュと共に。



ダッシュといるのが一番安心。
パパに抱っこされて。



近くの公園にみんなでお散歩



家のすぐ近くで、ママの方に行きたくて『カッカ』と言う瞬間



3ヶ月の頃。このバスケットがお気に入りだった。



初めての遠出。山梨までドライブに行った時に。



愛犬チャンプの取材の日に野川公園で。中央の赤いジャンパーが私。抱かれているのが愛ちゃん。



初めての雪。1998年この年は大雪だった。雪は大好きだった。お気に入りの公園でのひとコマ



着たばかりでDISCDOGの大会を見学。
クリームになるんだよといっても誰にも信用されなかったころ。



小学生の頃のNAOYAと共に。夏のスキー場で・・・


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