命日

Facebook にシェア

8月9日は、愛犬を初めて亡くした日です。1998年でした。17年も前の事です。でも今もあの日の事は鮮明に思い出すことができてしまう・・・書くという記憶とは凄いものだと思います。

愛ちゃんを失ったことを、その時の状況を、その時の自分の気持ちを記録しておきたくて始めたのがホームページの始まりでした。あれから沢山の愛犬たちとの別れを経験しています。沢山の時間が流れいろんなことがあって、いろんな事情で書いていないこともあるようになり、最近は嫁いだ子たちの訃報もあまり書かなくなりました。書いた意味があるのか、書いた内容は正しく伝わったか、悩むことも多くなっていました。

闘病記録も同じです。。。書かなくても経験値は上がり続け、対応策も増え続け、その中でどうにもならないことも解るようになります。何のために書いているのか、何が犬にとって大切な事なのか、上手く伝えられていればいいのだけれど、人の想いという物はなかなか難しく…。感情が高ぶって書いているからこその内容は、湧き出る言葉を連ねただけで、読み返しながら直しながら書くものでもなく、それが良かったのか悪かったのか・・・。

悲しみの沼に一度はまったらそう簡単には抜け出せることは無い、一生、彼らを失った辛さを抱えて生きるのだと思います。その中で書くという作業が自分の中に大きな部分を占めていることにも気がつきはじめました。

今日、久しぶりに闘病中の愛犬と頑張っていた友人と出会い、その子が亡くなったことを知りました。存在感の大きな優しい犬で、我が家の子たちの教育にも一役買ってくれた子でした。

「亡くなったの・・・。」という言葉と同時に目頭が熱くなり、たくさんの人がいる中で泣きそうになりました。その場の出来うる限りの私の知る慰めの言葉を掛けましたが、彼女の顔にその犬の顔が重なって辛くなりました。

犬はその寿命をよく言われる平均的な年月に満たなくても、より長く生きられたとしても、密な時間を過ごした関係であるなら、飼い主にとって、その悲しみが癒えることは有りません。祖父母や両親や親戚を失った気持とは明らかに違うもっと深いものです。まるで3歳くらいの可愛い盛りの幼子を失ったようです。

人はなぜ犬を欲するのか・・・それは彼らが人ではないからだと思います。人間と犬という異種でありながら、互いの気持ちを理解しあえ、尊重しあえ、喜びも悲しみもともに分かち合える素晴らしい生き物だからでしょうか。

 

愛ちゃんの命日の昨日、9日にファンタの姉妹のルナが天使になりました。つい先日一緒に暮らしていたレオンが逝ったばかりです。近い年齢の子たちの時、シークが旅立った後すぐにルークと翼が逝ってしまったように、我が家のサムが逝った後、ダッシュ、エリー、クリス、蘭、ミニー、モモ、チャー、ノンと続いて幼いころからずっと仲良しの子たちが逝ってしまったように、犬もまた、人と同じように愛する者のいない暮らしの大きなストレスで後を追うように旅立つことも多いから、きっとルナもレオンを追いかけて行ったのだろうと思います。

愛する者たちを続けて失ってしまった飼い主さんの深い悲しみを思うと言葉がありません。でもレオンもルナもNさんと暮らせてとってもお利口な子に育ててもらい、いつも綺麗にして貰っていて、何度も会う機会を作っていただき、彼らが本当に幸せな人生だったことを知っています。正しく教育して犬と暮らせる人が少ない昨今、非常に努力された素晴らしいチームでした。彼らはいつも共通の言葉を持っていました。

これを機会にまた我が家で産まれた犬たちの事を以前の様に書いていこうと思います。みんな素晴らしい飼い主さんたちに恵まれて幸せな人生を送ったのだから。あの子たちがどんな犬だったのか、記録として書き残すこと、それが我が家に産まれてきた犬たちの、彼らに対する供養になるのではないかと思うから…。

今年亡くなった、グレース、ナツ、白、レオン、ルナの冥福を祈って、少しづつ書こうと思います。

Facebook にシェア

コメント