2017.08.02

とっぷが天使になりました。

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7月29日朝6時、とっぷが天使になりました。ダッシュとクリスの子で我が家のサンダーの兄弟。一緒に産まれた4頭は皆男の子で、リスキー・サンダー・ニート・とっぷ、全員ドッグスポーツに関わるという我が家では珍しい兄弟です。すでにリスキーとサンダーは天使になっています…。

ゴージャスで綺麗でおりこうな子だったとっぷ君。ドッグショーもちょっとだけチャレンジしたこともあったね、アジリティーも上手だったね、ママのお仕事を手伝って良きモデル犬として活躍していました。公的なお仕事も毎年やっていたんだよね。

東京西シェルティークラブがやっていたドッグセミナーにも参加してくれて、兄弟4頭でよーいドンをしたときも、サンダーが暴走する中、ママの元に一目散に走りこんだ優等生でしたね。

とっぷとは、京都と言う遠い場所に嫁いでもらったにもかかわらず、若いうちになんかも会う機会を飼い主さんが作ってくださって、成長ぶりを確認する事が出来てとても幸せでした。確か東京で行われたドッグショーの帰りに車が故障してしまって、こちらで修理することになって1週間だったか滞在しましたね。一目合うのと違って、とっぷの色んなことがたくさん解りました。ママと私は毎日朝から晩遅くまで犬談義に花を咲かし、有意義な1週間でしたよ。
今はもう天使になったウノちゃんも一緒に、できたばかりの柏の宮公園までお散歩しましたね。あれは何年前だったでしょうか…。もう10年も昔かな?

アジアインターのショーにも一緒にチャレンジしたね。とっぷのショーの写真結構あったから、なんか見ていて泣けてしまって…。

アジリティーの練習場所を借りていた時も遠くから遊びに来てくれましたね。一緒にアジリティーを出来たことはとても大きな糧となりました。あの場所が使えなくなってもうずいぶん経つけれど、あの時の写真とか動画はいっぱい残してあります。

ママに色んなことを教わって、ものすごいお利口さんにしてもらったとっぷ君。沢山の人に愛されて幸せな犬人生だったと思います。

とっぷのママ、長い間彼を愛してくれてありがとうござました。犬に関わる仕事をしているといろんなことがあるけれど、いつまでも良い犬仲間であることに変わりは有りません。それは犬を知り、犬と言う生き物を考え、彼らと共に生きることを選んだ人のみの共通点と言うか、価値観が同じだからだと思います。

貴女との語り合いはいつも楽しく、多くを学び合い、いろんな問題点を悩みあう事が出来ます。とっぷという私とあなたを繋ぐものの姿形は失われたけれど、あなたに託した時間の中で培われたものは失われません。それはとっぷが残してくれた大きな遺産です。

今は悲しみから抜け出せずに辛い時期だと思うけれど、とっぷが何時も見せていたあの可愛い笑顔のようにあなたに笑顔が戻る日を待っています。

とっぷくん、もう天国には着きましたか?もうすっかり元気な体に戻って一番若くて元気な姿に戻っている頃でしょうか…。貴方の大好きなウノちゃんも、モエちゃんも、ちゃんと待っててくれたでしょう?少し探してみれば、サンダーもリスキーもきっと近くにいますよ。
パパのダッシュもママのクリスも、一緒に育ったり遊んだ親戚犬たちも、ママと暮らし始めてからできた沢山のお友達も、みんな一緒に居るでしょう。

私たち人間はまだもう少しこちらにいなければなりませんが、いつか必ずそちらに行くので、良い子で待っていてください。もしチャンスが有ったら生まれ変わっておいでね。いつでも待っているから…。

 

 

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2017.07.03

ジャイアンが逝きました・・・。

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7月1日の早朝、ジャイアンは眠ったまま天に旅立ちました。前日の夕方まで一人でトイレに立ち、水を飲む事が出来ていたのに、夜には立てなくなりました。何度も夜中に様子を見ていたけど、そのたびに大丈夫だよと顔を持ち上げて尻尾を振ったジャイアン…。
まったく動かず、吐くことも無く、苦しむことなく、お気に入りのベッドの中で、私が寝かせた姿勢のまま、朝7時、彼は顔をあげてくれませんでした。体はまだ温かかったのに…。

元気なくせにおトイレのほうはほとんど失敗ばかりになってしまったアスカとシンノスケを見ているだけに、最後の最後まで寝床を汚さず、部屋を汚さず、ギリギリまで頑張った素晴らしいジャイアンでした。

天晴なダックスでした。名付けたとおりの体の大きな心根の優しい子に育ち、2か月で先天性心疾患で亡くなった兄弟のヒカルの分までちゃんと16歳を超えて長生きしてくれました。

2年前、急性胆嚢炎で入院した以外まったくの病気知らずで、怪我一つせず、ヘルニアも起こさず、シェルティーやダックスの子犬の良き兄貴として振舞ってきた頼れるダックスでした。

パパが大好きで撫ぜられるのをとても喜んでいたから、一緒に見送ってもらえて喜んでるだろうと思います。

いつかまたジャイアンのような大きな心優しいダックスと暮らしたいと思います。
ジャイアン、16年と2か月、素晴らしい時間をありがとう。また生まれ変わって帰っておいでね…。

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2017.01.31

良く頑張りました…。

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1月22日エルザ、消化器型悪性リンパ腫のため天使になりました。2013年5月生まれ、3歳8か月の生涯でした。

昨年10月の初めに久しぶりの連絡が、なんだか具合が悪いという相談でした。いつもとても良く食べる子なのに急に食べなくなって痩せてしまったとのこと、無理に食べさせると吐いてしまう、獣医さんには連れて行っているのに一向に良くなってこないとのこと…ファンタの様子と似ているのでかかりつけの獣医さんでやるべきことを知らせ、結果を貰った上でどうしても納得がいかないのならセカンドオピニオンをと話しをしました。
結果、私のかかりつけの先生の判断を仰ぐことになり、悪性リンパ腫の可能性が高いけれどお腹の中に何か大きな腫瘤が有るのでCTで確認して見ない事にはお腹をあけていいものかどうか判断できないとのことで、急遽CTの予約を取ることにしました。もしも悪性リンパ腫でなければ助けられるかもという淡い期待を持って…。

CTの予約は本来のかかりつけの獣医さんにお願いするというので任せ、予約の日、大学病院へ行くと最初からの検査に変更になっておりCTの予約は入っておらず、たぶん悪性リンパ腫でしょうと同じような診断でした。すでに手術はできませんと言われ、抗がん剤治療を勧められるも法外な治療費の提示で帰宅。
一体どうしてそういう事になってしまうのか、怒りばかりが募りました。その日までに3週間もたってしまっていたのですから…。

抗がん剤治療をするにも提示された料金の十分の一くらいが普通のはずなので我が家のかかりつけではない信頼できる病院を紹介し判断を仰ぐように勧め、余命いくばくもない状態まで時間が立ってしまったエルザは適切な処置を受け抗がん剤治療を受け、年を越せないと思われた状況から回復し、家族と幸せなお正月を迎える事が出来ました。

でも…体の中に潜むリンパ腫はエルザの肝臓に転移しあっと言う間にその命を奪っていきました。

エルザには年の離れたおばちゃまがいます。初代マリンの娘、ホーリン。昨年8月に亡くなったアイスの同腹姉妹です。
ホーリンの年を考えて、エルザを迎え入れたのにエルザのほうが先に旅立ってしまことなど思いも寄らない事でした。しかし時を同じくして、1月25日、ホーリンもまた天使になりました。15歳と7か月でした。

ホーリンはエルザの治療でたびたび連絡を取っている中で、彼女が起こす症状がどうしても治療している物と納得がいかないモノだったのでどうせ一緒に連れて行っているのなら同じ先生の所見を聞いたほうが良いと提案し、結果、「てんかん」ではなく腎不全によるけいれん発作の可能性が高く急遽治療を変更して一時をしのぎ、一緒のお正月を過ごす事が出来ました。しかし高齢での腎不全の予後は決して良くはなりません。

毎日のように点滴に通い、元気になりました!と言う報告をうれしく聞く日々は徐々に減り、エルザが旅立って慟哭されている飼い主さんに、今はホーリンの前では動揺しないようにしてあげてと話しました。

悲しくて辛くてしんどいのは赤ちゃんの頃から一緒に暮らしていたホーリン。母のようにエルザを愛していたはずだから、大きなストレスがかかっているのよと、本当なら泣きわめいていい時を堪えるように話しつつ、酷な事を言っている自分に嫌気がさしました。

仲が良ければよいほど、後を追うように逝ってしまうものだから、あなたは頑張って欲しいと…。

泣きじゃくった彼女がホーリンの為に慟哭を抑え、必死に耐え、ホーの為に今は我慢しますと言って電話を切った後、どうか神様がいるのなら、ホーリンをすぐに連れて行かないでと願いました…。

神様がいてもいなくても、時はその瞬間を待ってはくれません。ホーリンは25日に旅立っていきました。人がその悲しみに耐えられる力を持っているから、こんな大きな悲しみを続けて起こすのだろうかと、対象が無いのに恨んでしまう自分がいます。

我が家でも4年前の12月1月2月と2週間おきに立て続けに仲良し4人組が天使になって行きました。
子犬の頃からベッタリだったレナとレオンも…。

犬にも人に勝るとも劣らない心が有ります。一緒に踏ん張って、もう少し一緒に生きたかったのに「ごめんね、お母さん、先に逝ってるね」と旅立って行ってしまう…。そんな経験はもう何回も何回も経験してるけど、産まれてきた前に帰ったのだと言い聞かせ、また産まれてくるんだよと願い、彼らとの赤い糸が繋がる奇跡に携わって行きたいと思いながら冥福を祈っています。

エルザ、ホーリン、仲良く天国に行ってしまったんだね。ママさんもパパさんもお兄ちゃんたちも酷く悲しんで、君たちがここにいない現実に潰されそうになっているよ。だから早く帰っておいで、神様に丈夫で元気な体を貰ってね、ずっと待っているからね。

ホーちゃんママ、ご家族の皆様、若く美しいエルザとの闘病生活、気高く凛としたホーリンとの15年に及ぶ暮らし、本当にいろいろと頑張ってくださってありがとうございました。
何度も、こんな時だけ連絡してすみませんと言っていたけれど、あなたが勇気を出して連絡してきてくれたからこそ、少しでもお役にたてて良かったです。
大事に大事にしてくれていたのに、3年8か月しか一緒に暮らせなかったエルザの病気については本当に悔しく思っています。病気にはならないことがベストだけれど、いつの日か治らない病気が無くなる時代が来ますようにと願います。

今日長いお手紙をいただきました。中には数えきれない感謝の言葉が並べられていました。沢山頑張ってくれてお礼を言わなければならないのは私のほうなのに…。二人をあなたに嫁がせて彼女たちは幸せな犬生を送れたと感謝申し上げます。

二つの大きな宝物を失った今、悲しくて辛い時間ばかりでしょうけれど、どうかご自愛ください。
長い間ありがとうございました。

 

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2016.09.27

メロディが天使になりました…。

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我が家の女帝、ダッシュとクリスの唯一の娘であるメロディーが今朝早く天使になりました。

この数日食欲も回復し、上手くしたら体重も戻ってくるかもしれないと期待できるくらい目の光も強く、動きも良くなり、ご飯の時間が私の幸せな時間となっていたのに…。

毎朝、目覚めると寝ているメロディーのおなかが動いているのかを確認し、ホッとしてその一日は始まっていました。でも今朝は、お気に入りの場所に居るメロディーのおなかは動いていませんでした。

昨夜遅く、2時過ぎにはぐっすりと眠って、ちゃんと呼吸していたのを確認したのに・・・。
すぐ横に眠るモリーすら、メロディーが逝ってしまった時を知らなかったのか、何かあれば大騒ぎするはずが、まったく静かな朝でした…。
パパは私よりも1時間くらい早く起きますがそのパパも気が付かないまま…。

呼吸していないメロディーに気が付いてから、何をどうしたのか覚えていません。少しだけ体は暖かく、でも硬くなりつつありました。抱き上げてメロちゃんが死んじゃったと喚いた様な気がします。息子を呼びつけ、右往左往し…。

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メロディーがいなかったら今我が家でブルーマールやバイブルー・トライやバイブラックの子犬が産まれることは無かったでしょう。
メロディーはダッシュとクリスの間に、2002年1月30日4頭の子犬の長女として産まれました。たった1頭のブルーマールの女の子だったので産まれたその時にうちの子に決めました。
一緒に産まれた兄弟たちは良いオーナーさんの元で大切に育てていただきみんな寿命をまっとうしすでに天使になりましたからメロディーは4頭の中の最後の1頭でした。

メロディーは体が小さくコロコロとした子で気の強いおてんば娘でした。2005年、メロディーの血を繋げたくてカルロス君との間にジェニィー(50グラムの奇跡)が産まれました。あまりに小さく産まれたジェニィーの生涯は短く、辛い思い出がたくさんあります。なので出産をどうしようかずいぶんと悩みました。。。でもここで血を途絶えたくない思いから…。

翌年、ルディ君との間に2頭の子をもうけました。そのうちの女の子がパフィーです。

その後メロディーの子で女の子は3頭生まれましたがうちに残ることは無く、最後の出産はすべて男の子でした。右京はメロディーの子ですがうちの犬のラインでは血が近すぎるので未だ独身です。

そんなわけで、メロディーがいなかったらパフィーは産まれてこなかったし、パフィーがいなければエコー・マオ・カリンたちは産まれてこないわけで、代々血を繋げていくとき、運命のような物を感じます。当時は今のようになるとは思いも寄りませんでした。。。

メロディーには厳しくも優しいクリスが母で、群れのリーダーだった父親のダッシュが何時もそばにいました。彼らから引き継いだ強い精神力と無謀にも思える冒険心を持ち、いつも子犬のように可愛らしい、見た目はキャンディーだけど中身はマリンという子でした。

ダッシュ亡き後、マリンが仕切っていた時代のように長い間メロディーがリーダーを務め、いつしかその役目をサンダーに引き継がせ、穏やかで静かな時間を過ごしてきたと思います。サンダーが逝ってしまった時も凛として女は強いなと感じさせた子でした。

ファンタを亡くした時、食べられないことへの私の苦悩を察知していたのか、大声で泣きじゃくりファンタにすがりついていた私に、同じように悲しまないように気を使ったんじゃないかと、あいつはそう言う気遣いする奴だったから・・・と息子に言われ、メロの亡骸を見てはそうかもしれないなと思います。

メロディーはシェルティーらしく飼い主をよく観察し非常に細やかに私を知っていました。体が小さいからと私が凄く心配していることも知っていました。

何も食べれなくなってきたとき、これは?あれは?と差し出す私に、「ゴメンね、あんまり食べたくないんだ」と鼻先でそっと押し返してきたりする子でした。具合が悪くなってからスイカだけでかろうじて命が繋がっていた時もあったし、枝豆が気に入って毎日枝豆をすりつぶしたときもありました。馬肉のほぐし缶しか食べなくなった時はもう駄目かなって思わせたけど、炭水化物を取ってほしくてご飯を混ぜて食べてくれたのは3日間でした。カボチャやさつま芋を甘辛く煮つければ食べるのに、蒸かしたり茹でただけだとそっぽを向かれて困った日もありました。鳥のささみを食べた後盛大に吐かれた時は泣きたくなりました。ゆで卵を食べるというのであげれば酷い下痢を起こし、病院のお世話になる羽目になった事も…。肛門嚢炎を起こし、お薬を飲むのにチーズでくるんで無理やり飲ませるとちょっと怒っていたけど、1回解るとちゃんと食べてくれました。苦いお薬もあったのにね偉かったよ、メロディー。。。

亡くなる数日前、たまたま、たまには食べてみようかと買ってきた「きおうりんご」をスーパーの袋の中に入れたまま床に置いていたら、それを持ち出して齧って半分くらい食べていました。食べ過ぎだよと取り上げると後をついて回るほど欲しがるので、きっと体が欲しがるものが入ってるんだろうとその日から与えるようになりました。スイカはもう手に入りにくくなっていたので消化しやすいように毎日りんごを擂ってあげました。驚くほどよく食べ、ウンチも硬く良い感じ物もが出て、元気そうに見えました。その時の写真を撮り、そのうちブログに元気ですよって載せようと思っていた矢先の今朝、小さな女帝は静かに眠りにつきました。

メロディーはとってもかわいい子でした。シェルティーのスタンダードと見た目は程遠いかもしれないけれどクリクリの大きな目の彼女の内面にあるシェルティーらしさがとても好きです。それが彼女の曾孫や曾曾孫たちに備わっていることを願っています。

虹の橋のふもとには多くの我が家の犬達や、メロディーの同腹の兄弟たち、一緒にDISCや訓練で楽しんだメンバーが勢ぞろいして迎えてくれているでしょうから、若く美しいキビキビと動ける年齢に戻ってご挨拶しているでしょう。14年と7か月28日、もう少しで8か月だったけど欲張っては駄目ですね、長い長い間、沢山の幸せと希望と夢をありがとう。

メロディーに関わる多くの方々にもお礼申し上げます。長い間応援ありがとうございました。今度はメロディーは天国から皆さんを見守る役に尽きました。。。

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2016.08.02

白・HAKU…。

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昨年の2015年7月12日。ダッシュとデイジーの間に産まれた白は12歳3か月で天使になりました。私の予想と違って余りに早い別れでした。。。白が病気である知らせを貰ってすぐに、我が家のサンダーも体調を崩し、状態は芳しくなく、時を同じくしての二人の闘病生活では、まだ若い彼らをを思っては涙が止められず、看病をがんばっていたNORIさんの胸中を思うと自分と同じように夜が来るのが怖いだろうになどと想像しては、頭がいっぱいになり、結果、何も手につかなく・・・。
当時、白の状態の改善に役立つことや治療など白にとって何が一番必要で何をやってあげることが大切であるか役に立てるかもしれないことを思いつくままに伝えていたような気がします。。。

白の病状、頑張っている様子など、途中経過はたびたび伝えてくださって一喜一憂していたのが一年も前であるとは・・・。亡くなったのはまるで昨日の事のように鮮明なままだから…。
白が亡くなった知らせは予想よりもずっとずっとショックが大きく、彼のことを書けないまま1年もたっています。

彼の動画や写真を穏やかな気持ちで見れるように気持ちが落ち着いた今、改めて彼とのことを書いておこうと思います。若く美しい彼の姿と共に・・・。

2003年4月7日誕生。白は名前とは裏腹にまっくろでタンのマークがほとんど見えない地味な毛色の男の子でした。飼い主のNORIちゃんの希望はブルーマールの雄だったのに、私が勘違いして、先に「アトム」の飼い主さんを決めてしまい、トライの白がパートナーになりました。
まさかの失態に、本当に申し訳ない事をしたと次の子を待ってもらうように話したけれど、何かの波長が合ったのか、やはり運命の赤い糸が結ばれていたのか、「この子と暮らしていきたいです」と言ってもらい、白を抱いて「良い人に選んでもらえて良かったね!」と喜んだことが昨日の事のように思い出されます。
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彼女が決めた名前を聞いた時、真黒な子だったからあえて印象的に「白(ハク)」なのか?と思ったら、「千と千尋の神隠し」の川の化身「白」からもらったという素敵な名前でした。

白は子犬の時からメキメキ大きくなって、スタンダードサイズを有に超えたけれど、のちにフリスビードッグとして素晴らしい結果を出す犬に成長していきます。頑丈でタフな彼だったからこその結果なのだろうと思います。
子犬時代は溺愛?と思うほどそれはそれは可愛がられて育った子でした。1歳くらいになってから訓練を模索し、一緒に大きな競技会会場での試験を受けました。やる気満々の犬で動きは素晴らしいのに、あたふたする飼い主に「次は?次は?早く言ってよ!!!」と、まくし立てる賑やかな子に育ちました。

いつかは父親のダッシュのようにフリスビーができる犬にと頑張ってくれたおかげで、白はボーダーコリーたちと互角に戦い結果を残すようになって行きます。若く元気な飼い主の要求通りに、抜群の動きと体力を備え、少々おしゃべりな所もあったけれど見事な写真や動画をたくさん残してくれました。今もまだ動画サイトに彼の雄姿が残されています。(NORI&HAKUで検索)

一度、ファンタとの間に子供を期待しましたが、女の子が苦手だった白との間に子供ができることは有りませんでした。返す返すも残念です。JCC埼玉展では何回かお昼の休憩中にイベントとしてDISCDOGを一緒に披露してくれた白でした。当時DISCができるシェルティーは何頭か育っていましたが、大柄でダイナミックで一番カッコ良かったなぁ~…。
たくさん写真があるけれど当時は動きの速い白の写真が上手に撮れずにピントがぶれるばかりで歯がゆい思いを沢山しました。

白は毛色が地味だったけれど誰よりも華やかに生きた犬だと思います。シェルティーだってフリーフライトはできるんだよとダッシュやサンダーが見せたモノよりもドッグダンスの業なども取り入れてずっと華やかで煌びやかな演技を披露してくれました。

数年前、多くのシェルティー飼いの人たちにフリスビーの楽しさを知ってもらおうと「AIRMAGIC」というサイトを別枠にし、チームを立ち上げた時もありましたが、「家庭犬としてベストにしてから」という私の希望と、「DISCDOGとして早く練習させたい」というメンバーとの間に意思の疎通ができなくなりチームが消滅したことはとても残念でした。あの当時、NORIさんが作ってくれたサイトはとても素敵で、TOPに貼ってあったDISCDOGFLASHはまた見たいほど素晴らしい出来でした。。。

多くの犬が年を取り、競技から離れた現在、ようやく当時の意図が伝わり、「何が伝えたかったのか今になって解る」と言ってもらえることは今後の犬たちに有益でしょうし、白たちDISCDOGからもらったご褒美の一つだと思っています。

犬との人生の最高な時期は、ほんのわずかです。それまでに泣いたり笑ったりしながら一緒に学び育っていく、そしてそれが数年後に大きな成果に変わって現れる、それがあったら、無いよりもずっとずっと人と犬は幸せになるのではないかと思います。

ダッシュを失い、今もまだ彼の思い出を胸に抱き続けるパパや、サンダーを失った私が途方に暮れ、なかなか新しい子たちに目を向けられずにいたように、白を失ったNORIさんの悲しみはずっと続くのかもしれません。それほど彼らは飼い主の人生に決して消えない巨大な花を咲かせたのだと思います。

ダッシュが多くの子を残したように、白にもサンダーにも子孫を残してほしかったけれど、叶わぬ夢となりました。でもいつかきっと、彼らを彷彿させるような見事なDISCDOGのシェルティーがきっと現れるでしょう。それを飼い主が望むことによって、すでに経験値を積んだものがいて、何をすべきかを伝えられれば、ダッシュ達よりももっと早く完成するかもしれません。。。

大きめのシェルティーだからこそできる多くの楽しみ、頑丈な体と強い精神を持った、白の様な素晴らしい犬にまた逢いたいと願いつつ…今天国にいる白と、彼を立派な犬に育てて最期を見届けてくれたくれた飼い主のNORIさんに感謝を込めて、ありがとう!!!!!

NORIさん・・・悲しみが癒えたら、また逢いましょう。
白やダッシュ・サンダーの想い出を沢山語り明かしましょう…。

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2016.08.01

アイスが天使になりました。

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マリンの娘で先月15歳を迎えたばかりのアイスが29日午後9時過ぎ、天使になりました。

アイスは産まれてすぐに生死をさまよい、助かったものの不安で我が家の子として残した子です。先代マリンの娘の中でブルーマールで両目がブルーの子はこの子だけでした。思いのほか大きく育ち当時楽しんでいたショーの夢は断念。穏やかで利発な彼女にはマリンから受け継いだ人の話をよく理解する賢い頭脳が備わっていました。マリンを育てた時のように何ら苦労することもなく毎日の言葉の掛け合いで十分すぎる成果を見せる子だったのでいつかは子孫をと望んだ子です。

アイスが大人になってしばらくしたころ、アイスの子供を熱心に望んでくださる方が数人いました。なかなか出産まで至らないとお断りが続く中、とても熱心でずっと待っていると言ってくださったのが我が家からクッキーをお嫁にしてくれたクッキー家のご夫婦でした。希望に沿いたくてもアイスはなかなか出産まで至らず、何年待たせるのかわからない状況でした。
当時クッキーの訓練を通して非常に親密になっていたこともあり、もし良かったらアイス自身を主嫁にもらってくれないかと相談し、一つの約束をしていただきアイスをお嫁に出すことにしました。

アイスは犬として十分なものを備えて、クッキー家に嫁ぎ、少々可愛がられ過ぎてやんちゃだったクッキーの良き指導者として暮らしました。
それ以上に、犬との暮らしが初めてだったクッキー家に、「犬」を教えてくれたようにも思います。

アイスを通してクッキー家と我が家は普通のオーナーさんたちよりもずっと親密なお付き合いをするようになりました。そこにアイスの存在がどれほど大きなものだったのかと今も感謝の気持ちでいっぱいになります。

月日が流れ、アイスが母になる日がやってきました。アイスの大きくなったお腹に聴診器を当てて、「ほらココに赤ちゃんがいるんだよ、元気に心臓が動いている音が聞こえるでしょ?」とクッキーママに聞かせてあげたあの日を思い出しています。アイスは素晴らしい子を7頭も産んでくれました。うちにその血統を残さなかったことがとても悔やまれますが、2004年生まれの子供たちは皆大事にされています。でも12歳の年を迎え、すでに天使になった子もいます…。

犬は2頭までと思っていた彼らがその音を聞いた時から、アイスの子と暮らしたいと決心したとは思いも寄らず…。2014年9月5日、アイスは7頭の子を出産し、そのうちのココアがクッキー家の3番目の娘として嫁ぎました。

クッキー・アイス・ココアの三姉妹との逸話は数えきれないほどあります。笑いあり、涙あり、楽しかった思い出、辛かった思い出・・・。我が家の恒例のキャンプに度々立ち寄ってくれ、24時間かけて、我が家の犬たちに対する接触の仕方などなど観察して、「なるほど~勉強になりました!」とかえって行き、それを次の年には我が家のほうが舌を巻くほどの結果にして見せてくれたことはご夫婦の犬たちに対する愛の深さを感じずにはいられませんでした。
そして、三姉妹の為にお二人が頑張ってお宅を新築され、新築祝いに駆け付けた時、三姉妹の幸せに満ちた顔を忘れません。

長い長い年月が過ぎるとき、ブリーダーと飼い主との間に親密な関係が続いてることは非常に稀な事でしょう。親しかった彼らとも、それぞれの忙しさから1年に一度会えるかどうかという関係に変わっていました。

年月が流れ、犬たちの体にも変化が起きます。調子が悪いけれど病院行くべきか?という相談よりも先に、「病院でこういう病気だと言われました」とか「亡くなりました」との報告が、嫁がせて10年くらいからポツリポツリと届くようになります。突然倒れたとか、病気の兆候の知らせが届くこともあります。。。

問題なく年を取っていく子たちのうちの1頭だったアイスは、親しい分、少しの変化についても何度か相談がありました。それも大したことがないままで、だんだんと連絡は途絶えがちになっていましたが、それはクッキーの死によって再開し、また密に連絡を取り始めた頃でした。

今年の初め、アイスは年齢を考えて避けていた手術を受けることになりました。手術をしなければ死んでしまうのを待つだけなら、危険を冒してもやる価値があると判断したからでした。何度かそのことについて相談を受け自分なりのアドバイスをしつつ。。。
術後急激な回復を見せたアイスが数日で体調を崩したと連絡がありました。

我が家では今年になってすでに25頭を見送っている経験があり、術後についても多少なりともの知識が有ります。アイスの症状はすでに経験済みのもので、時間が遅ければ手遅れになるものでした。
緊急に病院へ行ってもらい、検査の種類を知らせ、獣医さんに知らせてもらい、適切な処置をしてもらえたので事なきを得ました。

今思えば、あの日からの7月29日までの半年強の時間、アイスがご夫婦との別れが来るまでのご褒美だったかもしれないと思います。

アイスはクッキーを見送って寂しくて辛い時間ご夫婦を支え、娘のココアと共に頑張ってくれたと思います。

愛犬の事で相談を受けた時、私は厳しい事も伝えなければならない立場にあります。愛犬がいつかは死んでしまうこと、それまでのできることは何か、どこまでやることが犬にとっての幸せなのか、犬が目の前にいるのに泣いてばかりは駄目だと、いなくなる前からその時の事ばかり考えていたら大事なものを失くしてしまう事、病気と闘っている犬を不安にさせないでほしいと・・・。

時には悲しみの共鳴を求められていることが解っていても・・・それをしてしまったら冷静な判断ができなくなることも知っているから。。。

アイスは頑張りぬいた15年とひと月を、ご夫婦と実の娘に見守られ天使になりました。

長い間アイスを娘として大切に育んでいただいたこと感謝しています。

 

アイス、そっちにはママのマリンもクッキーも君の子供たちもいるから大丈夫だよね。
アイスのパパとママが沢山泣いている・・・とっても愛されて、大事にして貰って本当に幸せだったね。私からもお礼を言っておいたよ、アイス、またいつか私の元に産まれておいで、待っているからね…。

ゆっくりお休み、またね、アイス・・・。

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2016.05.23

あとむが天使になりました。

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21日土曜日の朝、ダッシュとデイジーの息子のあとむが天使になりました。
1週間くらい前から食欲が落ち、3日ほど食べれない日が続き・・・大好きな娘さんを待って、旅立ったそうです。13歳1か月でした…。

2003年4月7日、5頭兄弟で産まれた子犬達は菊乃さんを残してみんな天使になってしまいました。

あとむはエクストリームやアジリティーを楽しみ、ご家族に愛されて幸せに暮らしました。会う回数は少なかったけれど、彼の雄姿は今も目に焼き付いています。

奇しくも日曜日の今日、久しぶりのfamilyオフ会を開催し、古き良き仲間との再会と新メンバーたちとの交流をしてきたところでした。

若かったあの子たちが年老いて、それでも飼い主さんとともに楽しんだゲームをほんの少し堪能し、嬉々として走ったり飛んだりした姿には往年の雄姿が垣間見えます。一緒に遊んだメンバーならなおさらその当時を思い出し、とても楽しかった記憶が呼び起されてきます。
犬も人も、楽しかった記憶は体に力をみなぎらせ、溌剌と生き生きと目が輝き、喜びに満ち溢れます。
そんな老犬たちを見ていて・・・改めて、若い犬たちとの今後を充実したものにしていかなければと感じた日でした。

あとむの訃報は悲しく辛い現実だけれど、ご家族の中にいつまでも彼は生き続けるでしょう。彼は天国で一番良かった時代に戻り、楽しくアジリティーをしているのではないかと思います。
長い間あとむを愛してくださってありがとうございました…。合掌。

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2016.05.17

青藍が天使になりました…。

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巷では長ければ10連休となるゴールデンウィーク突入の日となった29日の朝、レナとレオンの娘の青藍が天使になった知らせが入りました。
青藍は2008年1月2日生まれ、デイジーの最後の血統のレナとダッシュの息子であるメロディーの兄弟のトライのレオンとの間に3頭姉弟で産まれたブルーマールの女の子です。

レナの初めての仔だったので、うちに残す機会はまだまだあるからと飼い主さんに託し、今年8歳でした。

電話を受けた時、久しぶりだなぁと思いつつ何歳になったんだったっけ?と思い出しながら「お久しぶりですね、元気ですか?ちょうどオフ会をしようと計画していたところですよ~。」と話したのち…あまりにも若く、突然の訃報に言葉に詰まりました。

今年、マリンが産まれた時、以前にも同じように正月早々のお産があったっけなぁと思い出し、そういえばあの子たち、会っていないけど元気かなぁと3頭の事が頭をよぎった記憶が蘇ります。

何度も書くけど、「知らせが無いのは元気な証拠」という基本的な考え方は今も変わりません。ただ、10歳を超えてからの突然の連絡は、やっぱり少々覚悟を持っているので、「なにかあった?」と聞くことが多く、それ以前の年齢の子たちの場合には良いか悪いかは別としてお気楽に「元気にしていますか?」がいつものあいさつの習慣です。

多くの飼い主さんたちからは毎年近況報告の代わりに年賀状で犬たちの様子を知らせていただくことが多く、飼い主さんによってはSNSやブログで日々の状況が解る子もいますし、直接メールや電話を通じてコンタクトが続き、毎年誕生日になると私の希望通り写真を送ってくださる方もいます。
犬の1年は人の約5~7倍なので、1年前には問題が無くても病気になってしまったり悲しい訃報が入ることもアリ・・・・・。

青藍は昨年7歳を超えた後「リンパ球性形質細胞性腸炎」という病気と闘い始めたそうです。下痢と嘔吐から始まる原因不明の病気で、総称してIBDと呼ばれる特発性の慢性の炎症性腸疾患の一つです。
かかりつけの獣医さんと治療に取り組み、約1年4か月頑張りました。

最期の1日を病院への入院をせずに自宅での看護を選び家族の元から旅立させてあげられたことは辛い時間だったと思いますがきっと青藍は喜んでくれていると思います。
まだ若く、溌剌としている年齢のさなかに、体に栄養を保てない病気と闘い、辛い治療にも耐えたであろう青藍とそのご家族の勇気と努力に感謝申し上げます。

青藍、少し早く天国に走って逝ってしまったけれど綺麗なあなたの目を忘れないよ。。。ママもパパもそちらにいるからいっぱい甘えなさいね。

青藍の写真沢山いただきました。その中の1枚です…。

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青藍を愛し、大事にしてくださってありがとうございました。

お体ご自愛ください…。元気になられることを青藍も願っていると思います。。。

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2016.03.25

ジョニィーが天使になりました。。。

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遠く、和歌山に嫁いだファンタの兄弟のジョニィーが3月21日午後9時50分、天使になりました。。。

ジョニィーはレインとキングの間に産まれた5頭のうちのたった1頭の男の子でした。女の子に囲まれて育ったせいか小さい時は優しく穏やかな子でした。和歌山県は遠く、車でお迎えに来て頂き大いに嬉しかったことを覚えています。

MAGICFAMILYのオフ会はどうしてもこちらで行われることが多く、遠方に嫁いだ子はなかなか会うことができません。そんな中、こんなに大きくなりましたよと一度連れてきてくださったことがありました。

飼い主さんを一番好きな子に育ててくださいねという願いどおり、ジョニィーはオンリードッグになっていました。当時我が家ではDISCDOG全盛期、ジョニィーもフリスビーを楽しんでいて披露してくれました。

訓練も盛り上がっていた時期で、我が家までレクチャーを受けに来られない人たちの為に、動画を送ってもらい、一緒に見ながら問題点を見つけ、解決策を伝えるという「MAGIC流赤ペン」なるものを考案し、ジョニィーは良き生徒でした。
会うことはできなくても動画の中から見えてくるジョニィーと飼い主の関係、良い点悪い点、伸ばしてもらいたい部分、治すべき部分、ジョニィーが醸し出す雰囲気からつかめる多くの情報は、言葉だけでは決して伝わってこない大きなものでした。

嫁がせた犬たちはいつしか完全な大人になり、数年の間年賀状だけの付き合いとなる日々が続き、そして重ねた年月の後半には、我が家で暮らす犬たちと同様に高齢による体の不具合の事や病気になった知らせなどが届くようになっていきます。それが私の望みであり、便りが無いのは元気な証拠として受け止めている呑気な実家です。
ジョニィーからは数年前に一度発作の様なものを起こして倒れたと緊急の電話が入ったことがありました。突発的なものだったようでその後は落ち着きました。

病気になったと知らせを受けても、実際に何ができるわけではないだろうけれど、少しでも役に立てる情報を伝えられればと思い、病気について、診断や治療について、また介護について、知る限りのことを伝えたいと思う日々…。

何ができるのか、何を犬は望むのか、どこまですることがベストな選択なのか、犬が「幸せだ」と感じることはなんなのか…。私なりの勉強して得た知識と経験値から覚悟しなくてはならないことについても話してきました。

今年、私は年賀状を出せませんでした。孫の誕生、子犬の誕生、嬉しいけれど忙しい事を言い訳に、年賀状が出せなかったようなことを言っていたけれど、実際はサンダーの死が受け入れられなくて、年賀状に載せる写真を作る時に号泣してしまうのでやめたのです。いなくてはならないサンダーがいない事は今もまだ受け入れられていません。
私から出すことが無くても、ありがたい事にそういうときもあることを知っている多くの飼い主さんや友人からは毎年近況報告を兼ねて沢山年賀状が届きます。その中にジョニィーの飼い主さんからも届いていました。

飼い主さんの結婚式という晴れ舞台にジョニィーがリングドッグを勤め上げた写真が貼られていました。

リングドッグとは、結婚する二人に誓いの指輪を運んでくる役目をする犬の事です。愛犬にこの役をしてもらえたらどんなに嬉しい事でしょうか…。ジョニィーはとても誇らしげで、飼い主さんは輝くばかりの笑顔で、素晴らしい写真でした。私は家族に「見てみて、ジョニィーがリングドッグやったんだって!偉いねぇ~、ちゃんと教えて育てたことがこういう形に残るなんって最高だよね~」と大騒ぎしました。

ジョニィー2015-06_2

それから3カ月半過ぎ…。

久し振りに見慣れた彼女の名前でメールが届きました。そこにはジョニィーが昨年から腎不全と闘って来ていたこと、頑張って頑張って結婚式のリングドッグを務めてくれたこと、ジョニィーが新婚の彼女たちと一緒に暮らしていること、頑張れるだけ頑張ったけれど、残った時間があまりないことなどが知らされていました。
腎不全についてはうちの犬たちも数頭戦い続けた病気なので昔の日記に私がやってきたことやそのほか諸々全て書いてあるので彼女はジョニィーに最善の方法を選び、昨年2月に2か月の命と言われながら1年以上も長生きさせてくれました。お金も時間も手間も大変だったでしょうし何よりも精神的な辛さは計り知れません。そして・・・ジョニィーの望みどおり、彼女の腕に抱かれ、眠るように静かに彼は犬生の幕を閉じました。

 

その日、私は心の中に湧いてくる言葉をそのままありがとうと言うメモに書きとめました。。。

 

其々の場所で、それぞれの犬と人の時間は過ぎていく。

母犬の命を削って産まれた小さな命、生まれ育った我が家から巣立ち、新しい家族に愛し慈しまれて成長し、大人の姿になって再びその姿を見る。立派になった姿に言い知れない喜びが沸き起こる。
時を重ね、会うことも減り、元気の便りを楽しみとし、いつしか重なる年の終わりにその命の限りの知らせが届く…。その悲しみと苦しみは、我が愛犬と同じく…。

時が来て、愛した者に抱かれ、苦しむことなく目覚めることの無い眠りについた知らせは、深い悲しみと共に託した命を愛し続けた者への大きな感謝をもたらす。

ありがとう、ありがとう、ありがとう…。
私たちがこの世に生み出した命を全うさせてくれてありがとう。幸せに暮らさせてくれてありがとう。
犬の一生という長い年月を私たちと付き合い続けてくれてありがとう。
貴方と出会えたことに感謝します。。。

 

彼女から頂いた写真とメールを使う許可をいただいたのでお名前・お顔など一部を除き掲載します。

ジョニィーが幸せだったことをここに残しておきたいのです…。

 

2016年3月21日午後9時50分、ジョニィーは亡くなりました。
最期の最期まで本当によく頑張ってくれました。
超がつく程、甘えん坊でママっ子で、頑張り屋さんのジョニィーは自慢の息子です。

最期は私の腕の中で、旦那にも見守られながら。
笑顔で…もう頑張らなくていいんだよ。大丈夫だよ。安心してね。大好きだよ。ありがとう。
伝えたい言葉をジョニィーに伝えることができました。
本当にゆっくりと穏やかにジョニィーの鼓動が聞こえなくなりました。

最期のときを私の腕の中で迎えさせてあげたい。
ジョニィーを我が子として迎えた時からの願いでした。

ジョニィーは人の気持ちが分かる子です。人間の言葉を話せるのでは?と感じる程、私たち家族の思いを汲み取って応えてくれます。
私だけではなく、家族それぞれに掛け替えのない存在で誇りに思っています。

私も心身ともに滅入っているときにジョニィーが支えとなってくれました。
ジョニィーがいてくれたから、ジョニィーのために頑張れたと思っています。

ジョニィーが亡くなったあと、旦那に言われた言葉があります。
「君にとってはジョニィーが一番だからね。誰よりも何よりも大切な存在だからね。でも、それでいいんだよ。」
新婚とは言え、ジョニィー優先の生活でしたが、旦那は常にサポートして私の思うようにさせてくれました。
そんな旦那だからこそジョニィーも新居での生活を受け入れてくれたのだと思います。そして、お互いに認め合っていたのだと思います。

また、ジョニィーはお利口さんだったので皆んなに愛されていました。
散歩コースの家庭菜園をしているお宅では、ジョニィー専用の畝を用意してくれ、もぎたての野菜や果物を食べました。
犬嫌いで有名な近所のおばあさんにも、この子は人の話をよく聞くから好き。とまで言ってもらいました。
ジョニィーが元気の源。と言ってくれるお宅もあります。

菱田家のマジックがかかったジョニィーは、MAGICファミリーの一員として私たち家族はもちろん、周りに笑顔をたくさん届けてくれました。

ジョニィーを我が家に送り出してくださり、本当にありがとうございました。
ご家族の皆さまにもくれぐれもよろしくお伝えください。

ファンタさん、ルナさん、ジョニィーと仲良くしてあげてくださいね。強がるけど本当は甘えん坊で寂しがり屋なんですよ。

そして、ミルキィさん、ルリさんが、ジョニィーたちの分ももっとご家族の元で穏やかに暮らせますようお祈り申し上げます。

*今日、旦那と実家の母とでジョニィーを天に送りたいと思います。
まだすぐ隣で寝息が聞こえてきそうな感じです…。

 

カサブランカの良い香りが広がっております。
ジョニィーもクンクンして「杉並のお母さん、ありがとう」と言っていると思います。
ジョニィーは季節の風の香りや花の香りを嗅ぐのが大好きでしたから。

 

今はジョニィーが傍に居ない悲しみに沈んでいます。
ついジョニィーが居るつもりでに話しかけてしまったり、ジョニィーの姿を探してしまったり…。もっと一緒に居られたんじゃないか?と嘆いたり…。

でも、ジョニィーは逝く日を自分で選んだ気がします。
亡くなる直前の3連休。年度末で仕事が立て込んでいることもあり、1日だけジョニィーを実家に預けて仕事に行こうかと悩みました。
でも、ジョニィーと一緒に居ることを選びました。旦那も仕事を休んでくれ、3人でずっと一緒に居ました。お天気が良くお庭で日向ぼっこを楽しみました。3日間、私の膝の上を独占したジョニィーです。

3連休の最終日の朝、病院の先生から「今日かもしれないので心積もりはしていてください。」と言われた後、実家にジョニィーを連れて行きました。先生からの言葉を伝えましたが、ジョニィーの顔付きがあまりにしっかりしていたので「まだ大丈夫そうやん。ジョニィー、まだ頑張れるわなぁ。」と、声を掛けられ穏やかな表情でフワフワと尻尾を振っていました。
帰り際、車まで見送りに来た両親の姿が見えなくなるまで、ジッと2人を見つめていたジョニィーの横顔が忘れられません。

ただ連休明けには、私たち夫婦も実家の両親も仕事が忙しくなりそうで、ゆっくりとジョニィーの傍について居られない不安がありました。

ジョニィーが亡くなったのは3連休の最終日の夜9時50分でした。
夜中ではなかったので、実家の両親もすぐにジョニィーに会いに来れましたし、中学生の甥っ子も駆けつけました。

旦那が言いました。「天晴れな最期だったね。自分も最期はこうありたいと思った…。突然亡くなるのではなくて、ある程度こちらに覚悟する期間を与えてくれて…。連休も始めの日ではなくて最終日だからその分一緒に過ごせたし。そして、寝たきりにならず皆んなに手をかけさせることなく…。すごいねジョニィー。なかなか真似できることじゃないよ。」

本当にその通りだと思います。
こんなにお利口な子と一緒に暮らせたことを心から感謝します。
ジョニィーから「ママ、がんばれ!」と言われている気がして、昨日から仕事にも出ています。仕事中は気が張っている分、帰宅後は我慢せずにジョニィーを想い泣いています。

いつの日かまた、ジョニィーみたいに心が通じ合える子と暮らしたいと思える日が来ましたら…是非ともと思っています。

ブログ、ジョニィーのことを書いてあげてくださいね。きっとジョニィーも喜ぶと思います。

添付写真は結婚式の日に、「本当はジョニィーが君の隣に立ちたかったはずだから。」と旦那に勧められて撮ってもらったものです。
得意げなジョニィーの表情を見てください。

ジョニィー2015-06_1

長い間、ジョニィーを慈しみ、愛情を持って育て続けて来てくださったことに感謝します。ジョニィーが我が家に産まれて来てくれたこと、あなたとご縁が繋がっていたこと、きっと天国にいる犬たちからの采配であろうと思うのです。またいつかジョニィーが愛した貴女とあなたの旦那様とのご縁があることを願っています。ジョニィー、いっぱい頑張って偉かったね。君は素晴らしいMAGIC・Sheltieだったよ!

ゆっくりお休みなさい…。

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2016.02.26

七瀬、ありがとう…。

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七瀬の体を天国に返してきた。最後のお別れをして・・・泣かないように我慢していたんだけれど、お坊さんが七瀬の名前に興味を持って、名前の由来を聞いてくれたので、話しているうちに号泣してしまった。。。

頭の中に産まれたばかりの姿や幼くお茶目で可愛かった姿が浮かんでは消えた。

七瀬はブラックタンだけどタンマークが小さくて地味な顔だった。形がとっても綺麗なのに地味だなぁと思ったので当時気に入って聞いていた歌手の「相川七瀬」がとっても可愛い人だったので、地味でも可愛い子になってほしいと名前をいただいた。

ショーに出そうかなとか考えたけど、もっとやせさせろと言われて断念。5キロ以下にするには私からしたら可哀そうだったから。良く食べよく遊び穏やかでおとなしい子だった。アスカとは対照的な静かな子だった。子育てが上手くてシェルティーの子犬達はメグと同じに良く面倒を見てくれた。七瀬が入れば仔犬たちはいつもピカピカだった。

依存性も低くて待ても教えてもいないのにできて(アスカはあまりできない)ほとんど吠えなかった。

年を取っていつしか一番吠えるようになったのはつい半年くらい前だ。ご飯の時間が近づくとどうにも我慢が出来なかった。耳が遠くなっていたから言葉で制御はできなかったけど姿を見ないと吠えるのだけは止められなくなった年老いた七瀬はそれはそれで可愛かった。ご飯が大好きで小躍りして喜んだ。

ダックスは寒がりだ。七瀬は夜は必ず私の右側の背中にくっついて寝た。左側にアスカ、枕元右にアラレ、枕元左にメロディー、足元にジャイアン・シンちゃん。朝起きるまでいつも七瀬はくっついていた。

今から思えばすでに病気が始まっていたのかもしれないなと思う。貧血で寒かったんだろう…。

暖かい日はとっても元気なのに寒い日は良く羽毛布団にくるまっていた。そのころに治療していたらもっと生きられたかなとか考えてしまう。

でも、七瀬に輸血という最後の手段をやめ、家にいることを選んだことには後悔はない。もしも私が病気になって痛くて耐えられないような状況ではない限り、残された時間をギリギリまでいつも通りの生活を送り、家の中の好きな場所で、大好きな者たちに囲まれて、ほんの1時間ほど横になったまま穏やかに死ねたら本望だから…。

七瀬の死に方は私の理想だ。寝たきりにならずに、寝ずの看病をさせずに、最後の最後まで一緒に居ることを望んむ者たちといられた。だから七瀬には感謝しかない。これからの愛犬たちを見送らなければならない日が来たとき、七瀬の時のような決断ができるようにいられたらと考えている。そして自分が逝くときも七瀬のようでありたいと願っている。

七瀬、ありがとう。。。

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