2017.10.20

パフィーが天使になりました。。。

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6月に肥満細胞腫が発覚してから闘病生活が始まったパフィーは、10月18日午後6時55分、11歳7か月4日の生涯を閉じました。彼女が亡くなった原因は肥満細胞腫ではありませんでしたが、3つの腫瘍を抱える中、肝臓を傷めた結果だったろうと推測しています。数週間の間ほとんど食事らしい食事を取れずに衰弱し、嘔吐と下痢に悩まされ、黄疸と貧血で苦しい時間が過ぎました。
獣医さんのバックアップの元、イマニチブ、ステロイド、抗生剤、胃の保護剤、下痢止め等投薬を続けましたが、食事がとれないパフィーに薬のみを与える事への大きな疑問を持ち、9月末には覚悟を決めなければならない事態にまでなり投薬もステロイドと胃の保護剤のみに減らしました。

9月の終わり、もう駄目かと思った数日後から、パフィーは再び今までの3分の1ほどの量でしたが食事を取るようになりました。あれもこれもいりませんと顔を背け、無理やり給仕すると嘔吐・下痢をする毎日からは考えられないほど、にこやかにおいしそうに少しづつですがいろんなものを食べてくれました。このまま少しづつ回復するのではないかと錯覚するくらい元気も戻りました。

しかし喜びもつかの間、10月10日を境にぴたりと受け付けなくなり、今までにも増して下痢が酷くなりました。排尿してもまっ黄色な尿に変わり、横になっている時間が大半の毎日になりました。

15日の夜になると今まで吠えて人を呼ぶことなどほとんどなかったパフィーが私の姿が見えなくなると「ひゃんひゃん」という悲しげな声を出して傍にいてくれというようになりました。今までの経験で、具合の悪くなった子が、寝ているはずなのに傍から離れると私を呼ぶようになった数日後お別れが来るので、もう頑張れないのだと解りました。

それでもパフィーは食事の時間には自力で台所に歩いてきてテーブルの下に陣取って横になります。
日に3回、何とか自力で立って歩けるパフィーに、何をあげてももういらないと顔を背けるのが解っていても、これはたべない?そうかいやか、じゃぁこれは?とみんながかわるがわる食べ物を差し出します。

16日の日、夕飯時に息子が差し出したお豆腐を美味しそうに食べました。1丁の半分も食べて、もしかしたら不安な思いは間違いで、先月の終わりの様にまた戻るんではないかと期待してしまうほど食べました。それがパフィーが食べた最後の食べ物でした。

パフィーは本当はうちの子として残す予定ではなく、欲しいという方が決まっていた子です。ただ余りにもギャルギャル唸り、初めて飼う人には難しい子なのではないかと思い、エリーが産んだ子と変えていただき我が家に残りました。

しかし、育てていくうちに気が強く攻撃的なのではなく、自分の意思を相手に伝える手段が唸ることだったということが解り、嫌な事さえされなければ唸ることも無く、彼女を守り、断り方を教えれば問題が消え、愛らしい素直な子になりました。

女帝メロディーの娘として母親に溺愛され、美しい姿に息子の寵愛を受け、モコモコのパフィーは成長していきました。当時陽性強化の方法論を学んでいた息子のパートナーとしてたくさんの事を学んだ犬でした。我が家の流儀に反する行動が目立ち始めた頃、学ばせる内容を変えていきましたが、私たちに犬の教育について多くの問題を投げかけてくれた犬でもありました。

パフィーが我が家に残ったことで現在の子犬達が産まれてくる基礎ができました。マズルに白が入った美しいブルーマールの子たちはパフィーからの遺伝だと思うことが良くあります。パフィーが産んだブルーの女の子はミシェルと紗璃の2頭だけでした。我が家にはトライの女の子だけが残りました。それは当時は思いつかなかったけれど、ファンタの子のプラスを残すための準備だったように思います。

マオ・エコー・カリン・レディの母犬となった彼女はメロディー亡きあと群れの女王となりました。非常に聡明で群れの秩序を守らせることに長けていて、誰もパフィーに逆らうようなことは無く、ダッシュの面影を彷彿させる子でした。

我が家の場合、自分の産んだ子の数が(一緒に暮らしてる数が) 多いほど群れの中での順位は高くなります。パフィーはメスの中で最上位の子でした。娘を4頭も従えて暮らせる母犬は数少ないものです。いつもベッドの上の高い位置からみんなを見下ろして眺めているような犬でした。

息子が大好きで、ご飯よりも大好きで、散歩よりも大好きで…。彼に撫ぜられながら生涯を閉じたパフィーは、少し短い生涯だったけれどきっと幸せだったと思います。大きな百合の花と、黄色と白の菊の花に囲まれて永い眠りにつきました。

美しい、可愛い、綺麗なパフィー。仲良しだったファンタもサンダーも、いつも何かと真似をしていたダッシュも、唯一怖かったママのメロディーも、みんないるから寂しくはないよね。

お母さんがアスカの時のようにショックを受けないように、ずいぶん頑張ってくれたね。おかげで、ボロボロにならずにしっかりパフィーが天使になることへの覚悟ができたから心配しないでね。お兄ちゃんがちょっとだけ静かすぎるのが心配だけど、パフィーの事だから神様にお願いしてきっとまたこのうちに帰って来ると思ってる。だからその日が来るまでちょっとだけサヨナラね。

パフィー、パフィー、今までありがとう。我が家流をぶれないできっちり守っていくからさ、帰って来る時まで天国で遊んでいてね…。
今はただ、君の名前を呼んでも返事が聞こえないのが辛いよ…。最近の写真は辛くて載せられない…もう少し時間がたったら載せるからね。ゆっくりお休み、大好きだよパフィー。。。

 

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2017.09.13

雷が天使になりました。

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9月12日、雷が天使になったと連絡がありました。
雷の命を脅かす病気が解ったのは今年の初めだったでしょうか…。それまで特に大きな病気をしたことも無く、活発なダッシュに良く似た元気印で、小さいころから我が家と一緒に行動を共にしてきてくれた子です。

全くのインドア派だったというRYUさんが雷と関わったことでアウトドアに興味がわきドッグスポーツに興じ、シェルティーの血統をさかのぼることに興味を持ったり、クラブの事もお手伝いしてくれるようになりました。

訓練をがんばり、DISCDOGに参加し、アジリティーも楽しみました。

雷とはどのくらい一緒に出歩いたでしょうか…。逢うたびに大笑いするような事件が起こり、泣いたり笑ったり、まるでうちの子同然でした。その分、RYUさんにも多くの負担を強いたかもしれない気がしています。

厳しい事もたくさん言ったし、結果につながった時は手を取り合って喜んだし、二世が誕生しいろんな未来を想像しました。。。嬉しい事も悲しい事も、雷が彼女の元に行ったことで、私は言葉では言い表せないくらい沢山沢山助けられ続けています。

雷がだんだん弱っていく中を本当に良く介護してくれたと思います。雷が求めるモノをすべて与えてくれたことに感謝しかありません。雷の最期の一日をずっと一緒に居てくれたRYUさん、本当にありがとう。きっと雷も別れる日が少し早かったけれど、ママと出会えて幸せだったよとずっと一緒に居てくれてありがとう言っているに違いありません。。。最後に食べられた霜降りの黒毛和牛、美味しかったよね…。

雷はダッシュとデイジーの子で、うちにいた時はやんちゃっ子だったのに、お嫁に行った後、子犬の時はちょっとビビりなちび犬でした。今思うと、お兄ちゃんにはイケイケのボーダーコリーのマルボロ君がいて、押さえつけられていたのかもしれませんし、シェルティーの繊細な部分をうまくコントロールするのが難しかったのかもしれません。最初のうちは状況が解らず、まるまるデイジーに似たのかと思い、慎重に扱ったほうが良いと思っていた雷は大きくなるにつれ大胆な犬になって行きます。それは雷を理解しようと努力してくれたRYUさんのおかげと、マルボロ君の突然の死とその後に弟になったジェットの存在が大きかったのだろうと思います。

雷はジェットの兄貴としてリーダーシップを発揮するようになって行きました。

いつだったか・・・個人的に少々練習したばかりの私達は、雷とサンダーを連れてアジリティーの練習会に参加したことがありました。終わりに近いころ、練習走行が行われました。サンダーが走り終わり雷がコースを走るのを眺めていると、なにがどうしたのかはわからなかったけれど雷がハードルをぶち倒して(バーだけではなく全て)慌てるRYUさんを横目に「次は!!!!」と指示を要求していました。

普通のシェルティーだったら、痛みで走るのをやめるとか、驚いてコースを逸脱するとか・・・。でも雷は走るのをやめたRYUさんに文句たらたらで、もっと走ろうと怒っていました…。それはもう可笑しくておかしくて、青くなったり赤くなったりしているRYUさんには悪かったけれど私は大爆笑で涙まで流れました。
雷が倒したハードルは修理しないと使えない状況で、レースは中断し、一体何犬がぶつかったの?とみていなかった人がささやく中、笑いを押し殺した飼い主と繁殖者でした…。

10年間続けたドッグセミナーもほとんど参加してくれました。群馬県でアジの練習をした後、急遽白馬まで遊びに行ったり、ナナコのおうちで用水路に落ちたり・・・。雷はいつも笑わせてくれる子でした。

あんな事もあったこんな事もあったと想い出を書き始めたら書ききれないほどです。まるでうちの子と同じように、一緒に居た時間が長かっただけに、しょっちゅう顔を見てきた子だっただけに、昨日は何も手に付きませんでした。

毎日一緒に居たRYUさんやご家族の悲しみはもっともっと深いでしょう。。。愛されて信頼されて、家族みんなの体の一部となった犬たちが天使になった時、人は抜け殻のようになることがあるのだと私の犬達の死で経験しています。
人が悲しみの沼に沈み込んでしまうほど存在が大きい犬に育ててもらえたことを、その犬を産ませられたことを、育てていく過程でずっとずっと関わり続けてこられたことを、RYUさんと雷とダッシュとデイジーに感謝しています。

これからもまた、雷のような素晴らしい犬をこの世に産ませられるように、雷との関わり合いのように多くのお嫁に出した子犬達とも関わって行けるように努力したいと思います。雷のおかげで色んなことを勉強しました。RYUさん、雷を愛して色んなことにチャレンジしてくれて、いっぱい楽しんでくれて、そして私のアドバイスを聞いてくれてありがとうございました。まだまだこれからもジェットやトールと共に長いお付き合いをよろしくお願いします。

雷~!虹の橋の袂に着いたらファンタさんもいるからね、メロちゃんにもちょっかい出して叱られないようにね~。サンダーがいるしダッシュもいるし、白もいるよ、みんなでいっぱい走り回って遊べるね!神様にDISC投げてもらって仲良く遊ぶんだよ~。バイバイ雷、ゆっくりお休み…。

 

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2017.09.11

アスカが天使になりました…。

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パフィーも何とか落ち着いて緊急性が低くなった9月6日、アスカは突然倒れた。ダッシュが亡くなる前日に倒れた時と同じような倒れ方で、このまま見送ることになるかもしれないという恐怖を感じながらダッシュにやった時と同じように大きな声で名前を呼び続け体をゆすり、最後の心臓のあたりを強く叩いた。硬直した体が柔らかくなり呼吸が始まって、抱き上げてずっと体をさすり続けた。

見えない目を開けるアスカ、聞こえない耳に私と息子の声は届いたのかわからない。でも、確実に彼女は向こうの世界へ行きかけたけど、寸でのところで留まって帰ってきた。

私は獣医じゃないからはっきりとした診断名は解らないけれど、俗に言う心筋梗塞のような物だったのではないかと思った。ご飯を食べた後ウロウロと歩き回り、落ち着きなくトイレに行っては排便し、また戻ってきては寝たいけれど寝れないといった不安そうな様子で部屋中を歩き回っていて、その数分後に倒れた。

6月22日で17歳を迎え、我が家の最高年齢の17歳1か月5日のミミの記録を超えて、目の横に腫瘍が一つあるが、耳と目が駄目だったことを除けば、ごくごく普通に毎日を暮らし、ご飯も若者と同じようにたっぷりと食べ、粗相することなく暮らしていたアスカ。
もっさり見事な毛をしょって、筋肉もあり、とても17歳を超える犬には見えなかった。

若くして亡くなった愛犬たちを思うたびに、きっとアスカはみんなの生きられなかった時間を生きてくれるのだと、20歳まで生きる犬なんだと信じて疑わなかった。

倒れた翌日、すっかりいつも通りに戻ったアスカに、ダッシュとは違う、アスカは死んだりはしないんだという安心感を持った。ご飯もいつも通りに食べ、前の晩のようにウロウロすることも無く、シンノスケと一緒にいつもの寝場所で寄り添って眠った。

9月8日、孫のお守りを頼まれて朝から昼過ぎまでバタバタしていたが、ちらちら覗き込むアスカはいつものようにぐっすりと眠りこんでいた。15歳以上のダックスたち(その時はアスカとシンノスケだけになってしまったけど)は日がな一日よく寝ている。起きている時間のほうがずっと短い。だから心配はしていなかった。

遅い昼食を取り、早めに洗濯物を入れて台所にいると4時半ころ妙にシンノスケが変な声をがして呼ぶのでどうしたのと傍に行くと、アスカが顔を突っ伏して倒れていた。

慌てて引き出して抱き上げると頻脈になっている。息子を呼んでアスカをベッドに寝かせ体をさすってやると意識だけ回復した。お腹が痛いのか腹に力が入る。尻尾がかすかに動く。お腹が痛い時、痛みが強い時、犬達はこんな仕草をする。

痛いなら痛みだけは止めてやりたい、でも入院はさせない、アスカが望むことはきっとこの家にいて私が傍にいることだと思うから、でも病院へ行く意味があるのか、入院を拒めるのか、痛みだけ止めてもらえるのか・・・色んなことが頭の中をぐるぐる回ったけど、家で痛みを止められないので病院へ走った。

病院で皮下点滴をしてもらい、抗生剤を打ってもらう。たぶん飼い主の単なる気休めにしか過ぎないかもしれないと思った治療はアスカのおなかの痛みを止めた様だった。
家に戻る車の中でアスカは私の膝に乗りたそうだった。今は駄目だヨ運転中だからねと聞こえないことが解っていても話しかける自分がいる。音が聞こえなくたってアスカにはきっとつたわるんだろう。見えない目を私の目に合わせるように見上げて、ふぅっとため息をついておとなしくなった。

家に着くころガソリンが無くなったランプがついた。アスカを乗せたままスタンドに寄る気にはなれなかったので急いで家に戻った。ベッドに移すアスカは顔をあげてありがとうと言うように尻尾を振ってくれた。痛くてフルフルしたしっぽの動きとは明らかに違う力強い意思のある動きだった。

それなのに…病院から戻ってちょうど1時間後、アスカは眠るように穏やかに天使になった。。。

 

 

アスカは産まれて2か月の時、私の不注意でソファァベッドに首を挟んでしまい、一度呼吸も心臓も止まった子だ。尿も便も出てしまい、死んでしまったと思ったが必死で蘇生したら生き返った。
そのせいでアスカの声がほかのダックスとは違って非常に野太く、女の子には思えないような声しか出なくなってしまった。

後ろめたい気持ちのせいか、アスカは私にべったりの犬だった。他のダックスができることをアスカは一つだけできなかった。それは「待て」というコマンドで、必ず傍に戻るんだよと何度教えても我慢が出来ずに私の傍に来てしまった。無理やり止めて離れるとヒーヒー泣くので根負けして教えるのをやめた。アスカはどんな音がしても、何がいても誰が来ても、家の中では離れられても外で傍から離れることの無い犬だった。みんなと一緒に外を走り回っていても呼ばなくてもちゃんと足もとに戻ってきて楽しかったわよと野太い声でお話が上手だった。それは他のダックスたちが家族にするような家族に対して平等なものではなく、明らかに私に対してだけするものだった。

私は子犬時代の失態のせいで、アスカをまさしく【お母さん命】という犬に育ててしまった。。。

アスカは一回だけ子供を産んだ。1頭を除いてすべてレッド、アスカと同じブラックタンは男の子だけでアスカにそっくりだった。その子は気にられてお嫁に行った。次の子で女の子が産まれたら残そうと思っていた矢先にブラックタンの子犬が二分脊椎症と水頭症であることが解り、大手術を受けることになり、某獣医さんと大学病院の協力で手術は成功したけれど、予後が悪く数か月後に亡くなるという事態が起きた。

何が原因でその子が当時6万頭に1頭という珍しい症例として生まれ落ちてきたのか解らなかったけれど、もしもまた同じような子が産まれてきたらと考えるとアスカの子を望むことはできなくなった。アスカは多産系で6頭も7頭も産むような仔だったし、同じ病気の子が産まれないとは限らないし、アスカさえ元気で傍にいてくれればそれで良かったから血が繋がることは無くなった。今思えば遺伝疾患でもないことで恐怖におののき、アスカの子孫がいない事が悔やまれる。あんなダックスはなかなかお目にかかれない、可愛い可愛いお茶目な頭のいいアスカだった。

アスカが死んだ日から一滴も涙が出なかった。やることが無くなると何も手につかず、明るい間とても眠くて、夜になると眠れなくなった。だから犬関係の電話とかはいるととても助かった。どんな内容でもアスカの事を少しだけ頭の中から離す事が出来るから…。

いつもは亡くなるまでは泣かずに我慢するせいか堰を切ったように泣き続けるのに、今回は一粒も涙がこぼれなかった。
アスカがいた場所をぼんやり眺めていてハッとして我に返る。何か考えていたんだけれどまったく思い出せない。体中の力が抜けた感じ。こんなことは今まで一度も無く慈恵院でお骨を拾った後も、仏壇に花を飾りアスカを安置した後も涙が一滴もこぼれなかった。

 

死ぬと思っていなかった…それが原因…。

それなのに…今これを書き始めてから涙が止められない。この3日間、まったく流れなかった分だけ流れ続けている。いつもそばにいることが当たり前だったアスカ。あの子が産まれてきた時に17年2か月17日という長い長い年月を一緒に暮らす想像はしていなかった。
猫の毛みたいに柔らかく、普通のダックスよりずっと脚が短くて、顔も四角く耳付きが高く、タンマークが綺麗で美人さんだったアスカ。大きな生骨を齧って奥歯を折って歯科処置した以外病院もほとんど行かなかった健康優良児。

天国に着いたらみんながいるから大丈夫だね。おばあちゃんの体を脱いで、若く元気で張りのある姿に戻ってみんなと一緒に爆走しているんだろうね。アスカの大好きなファンタやサンダーもすぐそこにいるね。長い長い幸せな時間をありがとう。アスカは最高のダックスだったよ。愛してるよアスカ…。アスカのことを書き遺しておこうとしたらいっぱい涙が流れるよ、なかなか止められないから買い物に行けなさそうだよ、泣きたいだけ泣いてもいいね、アスカの事を思うほど止まらなくなってしまってるから。。。何の後悔も無いけれど、アーちゃんがいなくてすごく辛くて悲しい…。写真はまだ辛くて見れないから落ち着いたら美人に撮れたのを探しておくね…。お休みアスカ・・・またね。

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2017.08.22

アスランが天使になりました…。

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アスランが18日、亡くなったと連絡がありました…。

アスランは私の知り合いのショーブリーダーさんの繁殖犬で、我が家から嫁いだ子ではありません。
飼い主さんから我が家に子犬の件で連絡をいただいた時には大人になっていました。
いつかはブルーマールをとのことで、我が家からはユノが嫁ぐとき、先住犬としていた子です。。。

アスランはユノの、また、その後に嫁いだルキアの良き兄貴として長い間家族を守ってきた犬です。立派な体格と素晴らしい毛量、美しい毛色、どこをとってもそれは見事なセーブルでした。

毎年九州から東京に帰った折には顔を見せに来てくれた子です。うちの子の兄貴分で、良く会った事のある子だから、逝ってしまった事が嫁いだ子と同じように悲しく喪失感を感じます。

オフ会でのちょっとした事件の事とか、ドッグセミナーでくつろいでいた姿とか、我が家でシャンプーされるときお湯を掛けられて迷惑そうな顔とか、ドライヤーにうっとりし眠ってしまった事とか、飼い主さんとお散歩中に大きな犬に襲われ怪我をさせられて、ずいぶん心配だったこととか・・・うちで生まれ育った子でなくても、頻繁に接触が有りコミニュケーションを取った子はうちの犬の兄弟姉妹であればなおさら思いは深くなります。

アスランを亡くし、飼い主さん家族は今はただただ深い悲しみの中、元気なユノやルキアに支えられているのだと思います。どの子もみんな何時かは年を取り、産まれてくる前にいたであろう天国に帰っていく日が来ます。

今はきっと、ピカピカに輝く元気な姿に戻って虹の橋のたもとをみんなを引き連れて走っているのではないでしょうか。。。アスラン、またいつか会える日を待っています。ゆっくりお休みなさい…。みんなにあったらよろしく伝えてね…。

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2017.08.02

とっぷが天使になりました。

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7月29日朝6時、とっぷが天使になりました。ダッシュとクリスの子で我が家のサンダーの兄弟。一緒に産まれた4頭は皆男の子で、リスキー・サンダー・ニート・とっぷ、全員ドッグスポーツに関わるという我が家では珍しい兄弟です。すでにリスキーとサンダーは天使になっています…。

ゴージャスで綺麗でおりこうな子だったとっぷ君。ドッグショーもちょっとだけチャレンジしたこともあったね、アジリティーも上手だったね、ママのお仕事を手伝って良きモデル犬として活躍していました。公的なお仕事も毎年やっていたんだよね。

東京西シェルティークラブがやっていたドッグセミナーにも参加してくれて、兄弟4頭でよーいドンをしたときも、サンダーが暴走する中、ママの元に一目散に走りこんだ優等生でしたね。

とっぷとは、京都と言う遠い場所に嫁いでもらったにもかかわらず、若いうちになんかも会う機会を飼い主さんが作ってくださって、成長ぶりを確認する事が出来てとても幸せでした。確か東京で行われたドッグショーの帰りに車が故障してしまって、こちらで修理することになって1週間だったか滞在しましたね。一目合うのと違って、とっぷの色んなことがたくさん解りました。ママと私は毎日朝から晩遅くまで犬談義に花を咲かし、有意義な1週間でしたよ。
今はもう天使になったウノちゃんも一緒に、できたばかりの柏の宮公園までお散歩しましたね。あれは何年前だったでしょうか…。もう10年も昔かな?

アジアインターのショーにも一緒にチャレンジしたね。とっぷのショーの写真結構あったから、なんか見ていて泣けてしまって…。

アジリティーの練習場所を借りていた時も遠くから遊びに来てくれましたね。一緒にアジリティーを出来たことはとても大きな糧となりました。あの場所が使えなくなってもうずいぶん経つけれど、あの時の写真とか動画はいっぱい残してあります。

ママに色んなことを教わって、ものすごいお利口さんにしてもらったとっぷ君。沢山の人に愛されて幸せな犬人生だったと思います。

とっぷのママ、長い間彼を愛してくれてありがとうござました。犬に関わる仕事をしているといろんなことがあるけれど、いつまでも良い犬仲間であることに変わりは有りません。それは犬を知り、犬と言う生き物を考え、彼らと共に生きることを選んだ人のみの共通点と言うか、価値観が同じだからだと思います。

貴女との語り合いはいつも楽しく、多くを学び合い、いろんな問題点を悩みあう事が出来ます。とっぷという私とあなたを繋ぐものの姿形は失われたけれど、あなたに託した時間の中で培われたものは失われません。それはとっぷが残してくれた大きな遺産です。

今は悲しみから抜け出せずに辛い時期だと思うけれど、とっぷが何時も見せていたあの可愛い笑顔のようにあなたに笑顔が戻る日を待っています。

とっぷくん、もう天国には着きましたか?もうすっかり元気な体に戻って一番若くて元気な姿に戻っている頃でしょうか…。貴方の大好きなウノちゃんも、モエちゃんも、ちゃんと待っててくれたでしょう?少し探してみれば、サンダーもリスキーもきっと近くにいますよ。
パパのダッシュもママのクリスも、一緒に育ったり遊んだ親戚犬たちも、ママと暮らし始めてからできた沢山のお友達も、みんな一緒に居るでしょう。

私たち人間はまだもう少しこちらにいなければなりませんが、いつか必ずそちらに行くので、良い子で待っていてください。もしチャンスが有ったら生まれ変わっておいでね。いつでも待っているから…。

 

 

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2017.07.03

ジャイアンが逝きました・・・。

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7月1日の早朝、ジャイアンは眠ったまま天に旅立ちました。前日の夕方まで一人でトイレに立ち、水を飲む事が出来ていたのに、夜には立てなくなりました。何度も夜中に様子を見ていたけど、そのたびに大丈夫だよと顔を持ち上げて尻尾を振ったジャイアン…。
まったく動かず、吐くことも無く、苦しむことなく、お気に入りのベッドの中で、私が寝かせた姿勢のまま、朝7時、彼は顔をあげてくれませんでした。体はまだ温かかったのに…。

元気なくせにおトイレのほうはほとんど失敗ばかりになってしまったアスカとシンノスケを見ているだけに、最後の最後まで寝床を汚さず、部屋を汚さず、ギリギリまで頑張った素晴らしいジャイアンでした。

天晴なダックスでした。名付けたとおりの体の大きな心根の優しい子に育ち、2か月で先天性心疾患で亡くなった兄弟のヒカルの分までちゃんと16歳を超えて長生きしてくれました。

2年前、急性胆嚢炎で入院した以外まったくの病気知らずで、怪我一つせず、ヘルニアも起こさず、シェルティーやダックスの子犬の良き兄貴として振舞ってきた頼れるダックスでした。

パパが大好きで撫ぜられるのをとても喜んでいたから、一緒に見送ってもらえて喜んでるだろうと思います。

いつかまたジャイアンのような大きな心優しいダックスと暮らしたいと思います。
ジャイアン、16年と2か月、素晴らしい時間をありがとう。また生まれ変わって帰っておいでね…。

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2017.01.31

良く頑張りました…。

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1月22日エルザ、消化器型悪性リンパ腫のため天使になりました。2013年5月生まれ、3歳8か月の生涯でした。

昨年10月の初めに久しぶりの連絡が、なんだか具合が悪いという相談でした。いつもとても良く食べる子なのに急に食べなくなって痩せてしまったとのこと、無理に食べさせると吐いてしまう、獣医さんには連れて行っているのに一向に良くなってこないとのこと…ファンタの様子と似ているのでかかりつけの獣医さんでやるべきことを知らせ、結果を貰った上でどうしても納得がいかないのならセカンドオピニオンをと話しをしました。
結果、私のかかりつけの先生の判断を仰ぐことになり、悪性リンパ腫の可能性が高いけれどお腹の中に何か大きな腫瘤が有るのでCTで確認して見ない事にはお腹をあけていいものかどうか判断できないとのことで、急遽CTの予約を取ることにしました。もしも悪性リンパ腫でなければ助けられるかもという淡い期待を持って…。

CTの予約は本来のかかりつけの獣医さんにお願いするというので任せ、予約の日、大学病院へ行くと最初からの検査に変更になっておりCTの予約は入っておらず、たぶん悪性リンパ腫でしょうと同じような診断でした。すでに手術はできませんと言われ、抗がん剤治療を勧められるも法外な治療費の提示で帰宅。
一体どうしてそういう事になってしまうのか、怒りばかりが募りました。その日までに3週間もたってしまっていたのですから…。

抗がん剤治療をするにも提示された料金の十分の一くらいが普通のはずなので我が家のかかりつけではない信頼できる病院を紹介し判断を仰ぐように勧め、余命いくばくもない状態まで時間が立ってしまったエルザは適切な処置を受け抗がん剤治療を受け、年を越せないと思われた状況から回復し、家族と幸せなお正月を迎える事が出来ました。

でも…体の中に潜むリンパ腫はエルザの肝臓に転移しあっと言う間にその命を奪っていきました。

エルザには年の離れたおばちゃまがいます。初代マリンの娘、ホーリン。昨年8月に亡くなったアイスの同腹姉妹です。
ホーリンの年を考えて、エルザを迎え入れたのにエルザのほうが先に旅立ってしまことなど思いも寄らない事でした。しかし時を同じくして、1月25日、ホーリンもまた天使になりました。15歳と7か月でした。

ホーリンはエルザの治療でたびたび連絡を取っている中で、彼女が起こす症状がどうしても治療している物と納得がいかないモノだったのでどうせ一緒に連れて行っているのなら同じ先生の所見を聞いたほうが良いと提案し、結果、「てんかん」ではなく腎不全によるけいれん発作の可能性が高く急遽治療を変更して一時をしのぎ、一緒のお正月を過ごす事が出来ました。しかし高齢での腎不全の予後は決して良くはなりません。

毎日のように点滴に通い、元気になりました!と言う報告をうれしく聞く日々は徐々に減り、エルザが旅立って慟哭されている飼い主さんに、今はホーリンの前では動揺しないようにしてあげてと話しました。

悲しくて辛くてしんどいのは赤ちゃんの頃から一緒に暮らしていたホーリン。母のようにエルザを愛していたはずだから、大きなストレスがかかっているのよと、本当なら泣きわめいていい時を堪えるように話しつつ、酷な事を言っている自分に嫌気がさしました。

仲が良ければよいほど、後を追うように逝ってしまうものだから、あなたは頑張って欲しいと…。

泣きじゃくった彼女がホーリンの為に慟哭を抑え、必死に耐え、ホーの為に今は我慢しますと言って電話を切った後、どうか神様がいるのなら、ホーリンをすぐに連れて行かないでと願いました…。

神様がいてもいなくても、時はその瞬間を待ってはくれません。ホーリンは25日に旅立っていきました。人がその悲しみに耐えられる力を持っているから、こんな大きな悲しみを続けて起こすのだろうかと、対象が無いのに恨んでしまう自分がいます。

我が家でも4年前の12月1月2月と2週間おきに立て続けに仲良し4人組が天使になって行きました。
子犬の頃からベッタリだったレナとレオンも…。

犬にも人に勝るとも劣らない心が有ります。一緒に踏ん張って、もう少し一緒に生きたかったのに「ごめんね、お母さん、先に逝ってるね」と旅立って行ってしまう…。そんな経験はもう何回も何回も経験してるけど、産まれてきた前に帰ったのだと言い聞かせ、また産まれてくるんだよと願い、彼らとの赤い糸が繋がる奇跡に携わって行きたいと思いながら冥福を祈っています。

エルザ、ホーリン、仲良く天国に行ってしまったんだね。ママさんもパパさんもお兄ちゃんたちも酷く悲しんで、君たちがここにいない現実に潰されそうになっているよ。だから早く帰っておいで、神様に丈夫で元気な体を貰ってね、ずっと待っているからね。

ホーちゃんママ、ご家族の皆様、若く美しいエルザとの闘病生活、気高く凛としたホーリンとの15年に及ぶ暮らし、本当にいろいろと頑張ってくださってありがとうございました。
何度も、こんな時だけ連絡してすみませんと言っていたけれど、あなたが勇気を出して連絡してきてくれたからこそ、少しでもお役にたてて良かったです。
大事に大事にしてくれていたのに、3年8か月しか一緒に暮らせなかったエルザの病気については本当に悔しく思っています。病気にはならないことがベストだけれど、いつの日か治らない病気が無くなる時代が来ますようにと願います。

今日長いお手紙をいただきました。中には数えきれない感謝の言葉が並べられていました。沢山頑張ってくれてお礼を言わなければならないのは私のほうなのに…。二人をあなたに嫁がせて彼女たちは幸せな犬生を送れたと感謝申し上げます。

二つの大きな宝物を失った今、悲しくて辛い時間ばかりでしょうけれど、どうかご自愛ください。
長い間ありがとうございました。

 

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2016.09.27

メロディが天使になりました…。

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我が家の女帝、ダッシュとクリスの唯一の娘であるメロディーが今朝早く天使になりました。

この数日食欲も回復し、上手くしたら体重も戻ってくるかもしれないと期待できるくらい目の光も強く、動きも良くなり、ご飯の時間が私の幸せな時間となっていたのに…。

毎朝、目覚めると寝ているメロディーのおなかが動いているのかを確認し、ホッとしてその一日は始まっていました。でも今朝は、お気に入りの場所に居るメロディーのおなかは動いていませんでした。

昨夜遅く、2時過ぎにはぐっすりと眠って、ちゃんと呼吸していたのを確認したのに・・・。
すぐ横に眠るモリーすら、メロディーが逝ってしまった時を知らなかったのか、何かあれば大騒ぎするはずが、まったく静かな朝でした…。
パパは私よりも1時間くらい早く起きますがそのパパも気が付かないまま…。

呼吸していないメロディーに気が付いてから、何をどうしたのか覚えていません。少しだけ体は暖かく、でも硬くなりつつありました。抱き上げてメロちゃんが死んじゃったと喚いた様な気がします。息子を呼びつけ、右往左往し…。

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メロディーがいなかったら今我が家でブルーマールやバイブルー・トライやバイブラックの子犬が産まれることは無かったでしょう。
メロディーはダッシュとクリスの間に、2002年1月30日4頭の子犬の長女として産まれました。たった1頭のブルーマールの女の子だったので産まれたその時にうちの子に決めました。
一緒に産まれた兄弟たちは良いオーナーさんの元で大切に育てていただきみんな寿命をまっとうしすでに天使になりましたからメロディーは4頭の中の最後の1頭でした。

メロディーは体が小さくコロコロとした子で気の強いおてんば娘でした。2005年、メロディーの血を繋げたくてカルロス君との間にジェニィー(50グラムの奇跡)が産まれました。あまりに小さく産まれたジェニィーの生涯は短く、辛い思い出がたくさんあります。なので出産をどうしようかずいぶんと悩みました。。。でもここで血を途絶えたくない思いから…。

翌年、ルディ君との間に2頭の子をもうけました。そのうちの女の子がパフィーです。

その後メロディーの子で女の子は3頭生まれましたがうちに残ることは無く、最後の出産はすべて男の子でした。右京はメロディーの子ですがうちの犬のラインでは血が近すぎるので未だ独身です。

そんなわけで、メロディーがいなかったらパフィーは産まれてこなかったし、パフィーがいなければエコー・マオ・カリンたちは産まれてこないわけで、代々血を繋げていくとき、運命のような物を感じます。当時は今のようになるとは思いも寄りませんでした。。。

メロディーには厳しくも優しいクリスが母で、群れのリーダーだった父親のダッシュが何時もそばにいました。彼らから引き継いだ強い精神力と無謀にも思える冒険心を持ち、いつも子犬のように可愛らしい、見た目はキャンディーだけど中身はマリンという子でした。

ダッシュ亡き後、マリンが仕切っていた時代のように長い間メロディーがリーダーを務め、いつしかその役目をサンダーに引き継がせ、穏やかで静かな時間を過ごしてきたと思います。サンダーが逝ってしまった時も凛として女は強いなと感じさせた子でした。

ファンタを亡くした時、食べられないことへの私の苦悩を察知していたのか、大声で泣きじゃくりファンタにすがりついていた私に、同じように悲しまないように気を使ったんじゃないかと、あいつはそう言う気遣いする奴だったから・・・と息子に言われ、メロの亡骸を見てはそうかもしれないなと思います。

メロディーはシェルティーらしく飼い主をよく観察し非常に細やかに私を知っていました。体が小さいからと私が凄く心配していることも知っていました。

何も食べれなくなってきたとき、これは?あれは?と差し出す私に、「ゴメンね、あんまり食べたくないんだ」と鼻先でそっと押し返してきたりする子でした。具合が悪くなってからスイカだけでかろうじて命が繋がっていた時もあったし、枝豆が気に入って毎日枝豆をすりつぶしたときもありました。馬肉のほぐし缶しか食べなくなった時はもう駄目かなって思わせたけど、炭水化物を取ってほしくてご飯を混ぜて食べてくれたのは3日間でした。カボチャやさつま芋を甘辛く煮つければ食べるのに、蒸かしたり茹でただけだとそっぽを向かれて困った日もありました。鳥のささみを食べた後盛大に吐かれた時は泣きたくなりました。ゆで卵を食べるというのであげれば酷い下痢を起こし、病院のお世話になる羽目になった事も…。肛門嚢炎を起こし、お薬を飲むのにチーズでくるんで無理やり飲ませるとちょっと怒っていたけど、1回解るとちゃんと食べてくれました。苦いお薬もあったのにね偉かったよ、メロディー。。。

亡くなる数日前、たまたま、たまには食べてみようかと買ってきた「きおうりんご」をスーパーの袋の中に入れたまま床に置いていたら、それを持ち出して齧って半分くらい食べていました。食べ過ぎだよと取り上げると後をついて回るほど欲しがるので、きっと体が欲しがるものが入ってるんだろうとその日から与えるようになりました。スイカはもう手に入りにくくなっていたので消化しやすいように毎日りんごを擂ってあげました。驚くほどよく食べ、ウンチも硬く良い感じ物もが出て、元気そうに見えました。その時の写真を撮り、そのうちブログに元気ですよって載せようと思っていた矢先の今朝、小さな女帝は静かに眠りにつきました。

メロディーはとってもかわいい子でした。シェルティーのスタンダードと見た目は程遠いかもしれないけれどクリクリの大きな目の彼女の内面にあるシェルティーらしさがとても好きです。それが彼女の曾孫や曾曾孫たちに備わっていることを願っています。

虹の橋のふもとには多くの我が家の犬達や、メロディーの同腹の兄弟たち、一緒にDISCや訓練で楽しんだメンバーが勢ぞろいして迎えてくれているでしょうから、若く美しいキビキビと動ける年齢に戻ってご挨拶しているでしょう。14年と7か月28日、もう少しで8か月だったけど欲張っては駄目ですね、長い長い間、沢山の幸せと希望と夢をありがとう。

メロディーに関わる多くの方々にもお礼申し上げます。長い間応援ありがとうございました。今度はメロディーは天国から皆さんを見守る役に尽きました。。。

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2016.08.02

白・HAKU…。

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昨年の2015年7月12日。ダッシュとデイジーの間に産まれた白は12歳3か月で天使になりました。私の予想と違って余りに早い別れでした。。。白が病気である知らせを貰ってすぐに、我が家のサンダーも体調を崩し、状態は芳しくなく、時を同じくしての二人の闘病生活では、まだ若い彼らをを思っては涙が止められず、看病をがんばっていたNORIさんの胸中を思うと自分と同じように夜が来るのが怖いだろうになどと想像しては、頭がいっぱいになり、結果、何も手につかなく・・・。
当時、白の状態の改善に役立つことや治療など白にとって何が一番必要で何をやってあげることが大切であるか役に立てるかもしれないことを思いつくままに伝えていたような気がします。。。

白の病状、頑張っている様子など、途中経過はたびたび伝えてくださって一喜一憂していたのが一年も前であるとは・・・。亡くなったのはまるで昨日の事のように鮮明なままだから…。
白が亡くなった知らせは予想よりもずっとずっとショックが大きく、彼のことを書けないまま1年もたっています。

彼の動画や写真を穏やかな気持ちで見れるように気持ちが落ち着いた今、改めて彼とのことを書いておこうと思います。若く美しい彼の姿と共に・・・。

2003年4月7日誕生。白は名前とは裏腹にまっくろでタンのマークがほとんど見えない地味な毛色の男の子でした。飼い主のNORIちゃんの希望はブルーマールの雄だったのに、私が勘違いして、先に「アトム」の飼い主さんを決めてしまい、トライの白がパートナーになりました。
まさかの失態に、本当に申し訳ない事をしたと次の子を待ってもらうように話したけれど、何かの波長が合ったのか、やはり運命の赤い糸が結ばれていたのか、「この子と暮らしていきたいです」と言ってもらい、白を抱いて「良い人に選んでもらえて良かったね!」と喜んだことが昨日の事のように思い出されます。
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彼女が決めた名前を聞いた時、真黒な子だったからあえて印象的に「白(ハク)」なのか?と思ったら、「千と千尋の神隠し」の川の化身「白」からもらったという素敵な名前でした。

白は子犬の時からメキメキ大きくなって、スタンダードサイズを有に超えたけれど、のちにフリスビードッグとして素晴らしい結果を出す犬に成長していきます。頑丈でタフな彼だったからこその結果なのだろうと思います。
子犬時代は溺愛?と思うほどそれはそれは可愛がられて育った子でした。1歳くらいになってから訓練を模索し、一緒に大きな競技会会場での試験を受けました。やる気満々の犬で動きは素晴らしいのに、あたふたする飼い主に「次は?次は?早く言ってよ!!!」と、まくし立てる賑やかな子に育ちました。

いつかは父親のダッシュのようにフリスビーができる犬にと頑張ってくれたおかげで、白はボーダーコリーたちと互角に戦い結果を残すようになって行きます。若く元気な飼い主の要求通りに、抜群の動きと体力を備え、少々おしゃべりな所もあったけれど見事な写真や動画をたくさん残してくれました。今もまだ動画サイトに彼の雄姿が残されています。(NORI&HAKUで検索)

一度、ファンタとの間に子供を期待しましたが、女の子が苦手だった白との間に子供ができることは有りませんでした。返す返すも残念です。JCC埼玉展では何回かお昼の休憩中にイベントとしてDISCDOGを一緒に披露してくれた白でした。当時DISCができるシェルティーは何頭か育っていましたが、大柄でダイナミックで一番カッコ良かったなぁ~…。
たくさん写真があるけれど当時は動きの速い白の写真が上手に撮れずにピントがぶれるばかりで歯がゆい思いを沢山しました。

白は毛色が地味だったけれど誰よりも華やかに生きた犬だと思います。シェルティーだってフリーフライトはできるんだよとダッシュやサンダーが見せたモノよりもドッグダンスの業なども取り入れてずっと華やかで煌びやかな演技を披露してくれました。

数年前、多くのシェルティー飼いの人たちにフリスビーの楽しさを知ってもらおうと「AIRMAGIC」というサイトを別枠にし、チームを立ち上げた時もありましたが、「家庭犬としてベストにしてから」という私の希望と、「DISCDOGとして早く練習させたい」というメンバーとの間に意思の疎通ができなくなりチームが消滅したことはとても残念でした。あの当時、NORIさんが作ってくれたサイトはとても素敵で、TOPに貼ってあったDISCDOGFLASHはまた見たいほど素晴らしい出来でした。。。

多くの犬が年を取り、競技から離れた現在、ようやく当時の意図が伝わり、「何が伝えたかったのか今になって解る」と言ってもらえることは今後の犬たちに有益でしょうし、白たちDISCDOGからもらったご褒美の一つだと思っています。

犬との人生の最高な時期は、ほんのわずかです。それまでに泣いたり笑ったりしながら一緒に学び育っていく、そしてそれが数年後に大きな成果に変わって現れる、それがあったら、無いよりもずっとずっと人と犬は幸せになるのではないかと思います。

ダッシュを失い、今もまだ彼の思い出を胸に抱き続けるパパや、サンダーを失った私が途方に暮れ、なかなか新しい子たちに目を向けられずにいたように、白を失ったNORIさんの悲しみはずっと続くのかもしれません。それほど彼らは飼い主の人生に決して消えない巨大な花を咲かせたのだと思います。

ダッシュが多くの子を残したように、白にもサンダーにも子孫を残してほしかったけれど、叶わぬ夢となりました。でもいつかきっと、彼らを彷彿させるような見事なDISCDOGのシェルティーがきっと現れるでしょう。それを飼い主が望むことによって、すでに経験値を積んだものがいて、何をすべきかを伝えられれば、ダッシュ達よりももっと早く完成するかもしれません。。。

大きめのシェルティーだからこそできる多くの楽しみ、頑丈な体と強い精神を持った、白の様な素晴らしい犬にまた逢いたいと願いつつ…今天国にいる白と、彼を立派な犬に育てて最期を見届けてくれたくれた飼い主のNORIさんに感謝を込めて、ありがとう!!!!!

NORIさん・・・悲しみが癒えたら、また逢いましょう。
白やダッシュ・サンダーの想い出を沢山語り明かしましょう…。

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2016.08.01

アイスが天使になりました。

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マリンの娘で先月15歳を迎えたばかりのアイスが29日午後9時過ぎ、天使になりました。

アイスは産まれてすぐに生死をさまよい、助かったものの不安で我が家の子として残した子です。先代マリンの娘の中でブルーマールで両目がブルーの子はこの子だけでした。思いのほか大きく育ち当時楽しんでいたショーの夢は断念。穏やかで利発な彼女にはマリンから受け継いだ人の話をよく理解する賢い頭脳が備わっていました。マリンを育てた時のように何ら苦労することもなく毎日の言葉の掛け合いで十分すぎる成果を見せる子だったのでいつかは子孫をと望んだ子です。

アイスが大人になってしばらくしたころ、アイスの子供を熱心に望んでくださる方が数人いました。なかなか出産まで至らないとお断りが続く中、とても熱心でずっと待っていると言ってくださったのが我が家からクッキーをお嫁にしてくれたクッキー家のご夫婦でした。希望に沿いたくてもアイスはなかなか出産まで至らず、何年待たせるのかわからない状況でした。
当時クッキーの訓練を通して非常に親密になっていたこともあり、もし良かったらアイス自身を主嫁にもらってくれないかと相談し、一つの約束をしていただきアイスをお嫁に出すことにしました。

アイスは犬として十分なものを備えて、クッキー家に嫁ぎ、少々可愛がられ過ぎてやんちゃだったクッキーの良き指導者として暮らしました。
それ以上に、犬との暮らしが初めてだったクッキー家に、「犬」を教えてくれたようにも思います。

アイスを通してクッキー家と我が家は普通のオーナーさんたちよりもずっと親密なお付き合いをするようになりました。そこにアイスの存在がどれほど大きなものだったのかと今も感謝の気持ちでいっぱいになります。

月日が流れ、アイスが母になる日がやってきました。アイスの大きくなったお腹に聴診器を当てて、「ほらココに赤ちゃんがいるんだよ、元気に心臓が動いている音が聞こえるでしょ?」とクッキーママに聞かせてあげたあの日を思い出しています。アイスは素晴らしい子を7頭も産んでくれました。うちにその血統を残さなかったことがとても悔やまれますが、2004年生まれの子供たちは皆大事にされています。でも12歳の年を迎え、すでに天使になった子もいます…。

犬は2頭までと思っていた彼らがその音を聞いた時から、アイスの子と暮らしたいと決心したとは思いも寄らず…。2014年9月5日、アイスは7頭の子を出産し、そのうちのココアがクッキー家の3番目の娘として嫁ぎました。

クッキー・アイス・ココアの三姉妹との逸話は数えきれないほどあります。笑いあり、涙あり、楽しかった思い出、辛かった思い出・・・。我が家の恒例のキャンプに度々立ち寄ってくれ、24時間かけて、我が家の犬たちに対する接触の仕方などなど観察して、「なるほど~勉強になりました!」とかえって行き、それを次の年には我が家のほうが舌を巻くほどの結果にして見せてくれたことはご夫婦の犬たちに対する愛の深さを感じずにはいられませんでした。
そして、三姉妹の為にお二人が頑張ってお宅を新築され、新築祝いに駆け付けた時、三姉妹の幸せに満ちた顔を忘れません。

長い長い年月が過ぎるとき、ブリーダーと飼い主との間に親密な関係が続いてることは非常に稀な事でしょう。親しかった彼らとも、それぞれの忙しさから1年に一度会えるかどうかという関係に変わっていました。

年月が流れ、犬たちの体にも変化が起きます。調子が悪いけれど病院行くべきか?という相談よりも先に、「病院でこういう病気だと言われました」とか「亡くなりました」との報告が、嫁がせて10年くらいからポツリポツリと届くようになります。突然倒れたとか、病気の兆候の知らせが届くこともあります。。。

問題なく年を取っていく子たちのうちの1頭だったアイスは、親しい分、少しの変化についても何度か相談がありました。それも大したことがないままで、だんだんと連絡は途絶えがちになっていましたが、それはクッキーの死によって再開し、また密に連絡を取り始めた頃でした。

今年の初め、アイスは年齢を考えて避けていた手術を受けることになりました。手術をしなければ死んでしまうのを待つだけなら、危険を冒してもやる価値があると判断したからでした。何度かそのことについて相談を受け自分なりのアドバイスをしつつ。。。
術後急激な回復を見せたアイスが数日で体調を崩したと連絡がありました。

我が家では今年になってすでに25頭を見送っている経験があり、術後についても多少なりともの知識が有ります。アイスの症状はすでに経験済みのもので、時間が遅ければ手遅れになるものでした。
緊急に病院へ行ってもらい、検査の種類を知らせ、獣医さんに知らせてもらい、適切な処置をしてもらえたので事なきを得ました。

今思えば、あの日からの7月29日までの半年強の時間、アイスがご夫婦との別れが来るまでのご褒美だったかもしれないと思います。

アイスはクッキーを見送って寂しくて辛い時間ご夫婦を支え、娘のココアと共に頑張ってくれたと思います。

愛犬の事で相談を受けた時、私は厳しい事も伝えなければならない立場にあります。愛犬がいつかは死んでしまうこと、それまでのできることは何か、どこまでやることが犬にとっての幸せなのか、犬が目の前にいるのに泣いてばかりは駄目だと、いなくなる前からその時の事ばかり考えていたら大事なものを失くしてしまう事、病気と闘っている犬を不安にさせないでほしいと・・・。

時には悲しみの共鳴を求められていることが解っていても・・・それをしてしまったら冷静な判断ができなくなることも知っているから。。。

アイスは頑張りぬいた15年とひと月を、ご夫婦と実の娘に見守られ天使になりました。

長い間アイスを娘として大切に育んでいただいたこと感謝しています。

 

アイス、そっちにはママのマリンもクッキーも君の子供たちもいるから大丈夫だよね。
アイスのパパとママが沢山泣いている・・・とっても愛されて、大事にして貰って本当に幸せだったね。私からもお礼を言っておいたよ、アイス、またいつか私の元に産まれておいで、待っているからね…。

ゆっくりお休み、またね、アイス・・・。

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