マリンとキャンディがやってきました。 彼女たちを迎えに行く日は、子供たちに初めて仔犬がくることを伝える日でもありました。 なぜなら仔犬達は私たちのために買ったので子供の為に買った犬ではなかったからその日まで子供たちは知りません。 彼らには小さな弱い兄弟が出来るという事、大事に大切にしなくてはならないこと、言いつけが守れなければ子犬は死んでしまうかもしれないことなどを懇々と言い含めました。ほとんど脅しに近かったかもしれません。でも小学生の息子たちにおもちゃ代わりにされたりしたらたまったものじゃないと思っていましたから・・。 迎えに行くといつもは元気な2匹が心なしかおとなしいといいます。いろいろお話を聞いた気もしますが気持ちのほうが浮ついていてよく覚えていません(笑)仔犬に対する注意を聞いて大急ぎで家に帰りました。 つくと早速ビデオを撮りました。可愛くて可愛くて食べてしまいたいくらい・・・仔犬が近寄ってくるまでそっとしておき、飛びついてじゃれてくる仔犬を抱き上げて頬ずりできる幸せを思いっきり堪能した夜でした。こんなにいとおしいと思うとは息子たちが生まれた時以来久しい感情です。子供たちは壊れやすいおもちゃを扱うようにそおっと触ります。子供は子供なりに動きまわりはしゃぎまわるぬいぐるみのような子犬たちが生きていると大きく実感がわいたようでした。こうして2匹と4人の生活が始まりました。 マリンはこれが仔犬なのかと思うほど一度で言ったことを理解し、何も心配の要らない犬でしたが、おまけに連れてきてしまったキャンディはそうは行きませんでした。 まず、ご飯を食べない、トイレが出来ない、あちこちにぶつかっては悲鳴をあげ、部屋中を転げ回って遊び元気がありすぎの悪戯三昧し放題です。でも可愛さはキャンディのほうが数倍上で、毎日、『きっとマリンだけだとつまらなくなってしまうのがわかっていたからキャンディもつけてくれたんだね』というのが合言葉になるほど、仔犬らしいヤンチャな女の仔でした。 とにかく何でもわかるマリンは全て後回しで、イイコにしますといった手前しつけの本とにらめっこ状態になり、キャンディには絶対に合わない方法で毎日毎日トイレとごはんと悪戯阻止の格闘が続きました。その間のマリンといったら、いるのかいないのかわからない位おとなしくてよい子だったのです。 気がつくとキャンディは隠れておしっこをするようになり、わたしの見ているところでは何時間も我慢してしまうようになっていました。慌てたのは私でした。こんなはずじゃなかった。どうして?本のとおりに言われたとおりにしっかり叱って、『ここじゃないのよ!』と教えたのに・・・ マリンは一回で出来たのに一体どうしてなの?比べてはいけないのに、2頭一緒でそれも姉妹だった為に本当に悩みました。子育てよりもずっと難しかったのです。一生懸命教えれば教えるほどキャンディは殻に閉じこもってしまうようになっていました。あんなに愛想の良いお茶目なキャンディはわたしの顔色をうかがう犬になりつつありました。 キャンディはボール投げの好きな子です。子供と遊べるようにと、サッカーボールでもあそばせました。外に行くととたんに元気の良いキャンディになります。家に戻るとうろうろしながらおしっこをしたそうなのに目が合うとこそこそ隠れてしまうのです。 そんなキャンディを見ていてやっと気がついたのです。なんだか下の息子に似ているなって・・・・押さえつけようとするとあのこもうまく行きませんでした。そうなのです。 やっと自分のやったことが全て間違っていたのだと気がつきました。キャンディーの態度があの子の答えです。ママの見ているところでおしっこをしたら叱られるんだと思っているというのが答えだったのです。そんなことは教えていないのに…(/_;)おトイレでしてねと教えたいだけなのに…なんでそんな風に思っちゃうんだろう??? 最初はどうしていいのかわかりませんでした。もうすでに5か月です。おしっこだなと思ってトイレにだけは連れていかないとと私がちょっとでも動こうとするとはっきり身構えているのがわかりました。これじゃどうにもできない。でもどうにかしなくちゃ。部屋の中で飼えないって言われてしまうもの。。。我が家はこの当時義母が同居していて、犬なんかは外で飼うものと思っている家でした。仔犬のうちは仕方がないけどそのうち犬小屋を建てて…と話される時ぞっとしたものです。 それからは粗相されても一切叱るのをやめました。おしっこをしようとしてるのが解っても逆に知らん振りをしました。された後はこそこそしているキャンディを一切見ないでただ黙々と掃除をしました。そんな日が何日か続いたある日、偶然キャンディはマリンがおしっこをしに入ったトイレでにおいを嗅いでいました。とにかく今までトイレには近寄りもしなかったのに・・・それは私が意地になってトイレに閉じ込めたりしたからだったのでしょう。 すかさず、『いい子ねぇキャンちゃんはイイコだねぇ!』というとキャンディはニコニコしながら『いい子?いい子?』と飛びついてきました。 抱っこしてしてKissしながら『イイコだねぇ』の連発でした。その日からキャンディは徐々にトイレに入るようになり、入ったことだけで褒められる理不尽さは感じていたようでしたが、褒められるという誘惑には勝てなかったようです。そしてついにトイレでおしっこができる日がやってきました。 それはキャンディが我が家に着てからゆうに3ヶ月たったころでした。その日を境に褒めまくり作戦は功を奏し、以来まったく粗相という文字は彼女にはありません。そして私はいかに本に頼って犬の心を無視した方法を続けると、お互いが不幸になってしまうかを経験したのです。 キャンディが根っから明るい性質だったからと体罰を与えない方法でいたからまだ救われたのかもしれません。本に書いてある方法も合う犬もきっといるのでしょう。でもキャンディには合わなかったのです。それに気づくのがもっと早かったらきっとこんなにキャンディを苦しめずに済んだのにと思うとすまなかったなぁと後悔してしまうのです。そんなこんなで私たちの生活のサイクルは運命の犬『マリン』よりも『キャンディ』が中心となっていました。 誘われて見にいくドッグショーもまだ小さな仔犬だったことで、とても自分が犬を出してみるなどとは考えもしないような別の世界のことでした。でも毎回のように勝つ『レディ』を見てはいつか『マリン』もあんなふうになるのだろうかと思ってみたり、いやいや、まず無理でしょうと、一喜一憂していました。 お座りやお手を教えたら駄目だといわれ、そのとおりに育てていれば当然何もできない犬でした。紐をつけて人と一緒に歩き、立って動かないでいるという事くらいは昔は当たり前だったと実家の父や母は言いました。だから実家に連れていけば、『なにもできない馬鹿犬』とさげすまれ、踏んだりけったりの悔しい思いをした時期もこのころです。 ついに両親の『どんなに良い犬だか知らないけれど、自由に飼えばいいじゃない。いくら良い犬だと言われても何でもできる犬のほうがずっと可愛いわよ、ねぇ!キャンディ!』 この言葉で私は飼い方を変えるようになっていきました。それからは毛が痛むから海に入れないほうがいいヨとの忠告も一切無視し、(ブリーダーさんごめんなさい)冷夏の夏にかこつけて休みになると毎日のように海で一緒に泳ぎました。お座りもおても待ても来いもついても、もってこいも、ショーなんかいいやと思って教えてしまいました。 夏を過ぎたころには、一通り普通に人様から良い犬ですねと言われる おりこうさんになっていました。勿論溺愛したわけではありません(笑) 私なりに人様から後ろ指を指されるようなことの無い子に育てたつもりでした。 秋になってIWASHIMIZUに連れて行くと それまではそんなに頻繁には薦められなかったショーに 出してみたらどうだろうと言われることが多くなってきました。 マリンはすっかり大人の風格になり毛の状態もよくなり いかにもシェルティーになってきたのです。 さてショーのことなど右も左も判りません。 全てブリーダーさんに言われるままにおんぶに抱っこの状態で 結構のりやすいたちも幸いしてか、 なりゆきでプロハンドラーさんにお願いしてみることになってしまいました(笑)。 マリンのハンドラーをお願いすることになったのが 初めてマリンと出会ったあの日にIWASHIMIZU家で 一緒に仔犬を見にきた森先生でした。なんというラッキー! vol.3へ続く…。