8月に入り世間はお盆休み。8月13日、キャンディーはまた発作を起こした。皆と一緒にいたけどまたできるだけ刺激しないようにお兄ちゃんと一緒に部屋に変えた。座薬ですぐに状態を確保しほっとするなか不安も大きい。そんな時に日に3回も獣医さんから大丈夫かと心配の電話をもらえた。すごくうれしかった。自分だけじゃなく心配してもらえたキャンディーを誇らしくも思う。
14日、また発作が起きた。15日発作が抑えられなくて入院。キャンディーは、なんか何とか頑張ってきたけどもう無理かもしれないって伝えているみたいに少しづつ心構えを作られている気がする。今まで何もなくいられたことのほうが不思議と言われる。なんとなくなんとなく不安。そんな中、キャンディーの母親のアンちゃんが16日に亡くなった。
キャンディーが入院中だったので生きているうちには会えなかったけど、キャンディーを、マリンを産んでくれてありがとうと言いたくてアンちゃんにお花を持って行った。まるで眠っているようなアンちゃんを見て、キャンディーも苦しまないで旅立てるかなと考えたら悲しくて・・・でもキャンディーがこの時間を作ってくれたのだろうと思いなおしてお別れを言わせてもらった。アンちゃんがいたから私のもとにキャンディーがいる。今は病気と闘っていて今にも負けてしまいそうなんだけど、見守ってやってくださいと頼んだ。
16日の午後迎えに行くとまた発作が起きる。今度は簡単には止まらない。かなり重い症状になってしまったので深く眠る麻酔で止めましょうという提案を受け入れて、キャンディーを抱きかかえ、「大丈夫だよキャンちゃん、いいこだね、心配ないよ、ちゃんと抱っこしてるからネンネするのよ」と言い聞かせて麻酔剤を入れてもらった。すぅ〜っと体の力が抜けて緊張していた体の力が抜けていく。腕にかかったキャンディーの首がぐらりと動いてのしかかる。眠らせただけなのになぜか永遠の別れのような気がして涙があふれ出た。先生がびっくりした顔で見る。。。当たり前だね死んじゃったんじゃないのに、なんで泣けてくるんだろう。
明日にはきっとまた良い状態に戻れると信じて頑張りましょう!という先生の言葉を背中に受けて家に帰った。次の日の朝堂でしょうかと状態を聞きに電話する。麻酔が覚めると発作が始まるので引き続き眠らせていますとのことだ。夕方「顔を見に行きます」と病院へ電話を入れるとどうしても今晩だけ人がいなくなってしまうと聞かされた。誰もいない所に置くよりもおうちに帰ったほうがと言われる前に、閉院時間ぎりぎりに迎えに行きますので麻酔を入れてくださいと頼む。急いで車に乗って家を出る。あと数十分でつきますのでと電話を入れた。
キャンディーはその電話を入れている最中に急変し、天使になった。。。
半年の間、キャンディーは自分では止めようのない恐ろしい痙攣と戦い、わたしはそれをただ見守っていくしか出来ないでいた。
漠然とした病名がわかるまでいろんな病名が浮上し、機能の低下によって起きるものまで病気に結び付けていった時期もあった。体質から来る薬への異常反応や飼い主側の気持ちの整理がつかないもどかしさから来る獣医への不信感や、キャンディーを失うことの恐さから何をどうするのが一番いいのか辛く長い時間だった。
別れの日・・・まさかその日に別れがやってくるとは思いもよらなかったが、キャンディーが天に召された後なぜか今日のこの日が彼女との別れの日ではなく、抱いたまま麻酔を入れて痙攣を止めたあの時があの子が私を記憶している最期の時間だったことを思い出している。
だからあの夜、もう限界だった彼女が誰もいない病院に置き去りにされない前にわたしが病院に連絡を入れるように手招きしたのだと信じている。
電話を入れてすぐに『後30分でつきます』といった後・・・『ちょっと待ってください!』というただならぬ声に
なぜかまだ逝っちゃだめだという叫び声が出そうになった。
『今まで大丈夫だったんですが今心停止を起こしてしまったので急いできてください』
ハンドルを握るパパには、一緒に乗っていた息子たちには『キャンディーが逝っちゃう・・・』としか伝えられなかった。
あの子が逝くときには決して泣かないと決めていたのに・・・笑顔で大丈夫だよママが一緒にいるよと見送ってやろうと思っていたのに・・・
病院ではキャンディーが手術台の上に寝かされ人工呼吸器を付けられ女医さんが必死で心臓マッサージをしていてくれた・・・むなしく響き渡る呼吸器の音と『いちにっさん』という掛け声を聞いたときに先生のそばに行きその手を止めた。
『もういいんですよ先生・・・キャンディーはがんばりましたから・・・先日麻酔で私に抱かれて眠ったときで記憶がないはずです。麻酔をかけ続けていて起きることがなかったのですからもう逝かせてあげたいんです・・・もういいよねキャンディー・・・御迎えに来たよ。さぁ一緒に帰ろう・・・』
まだ暖かいキャンディーを抱きしめてもう心臓の音がしていないのを確認してオイオイと声を上げて泣いた。もう泣いてもいいよね・・・神様の下にいけたでしょ?キャンディーもがんばったけどママもがんばったから泣くのは許して頂戴ね。。。
愛ちゃんがそこにいるでしょう?二人でママが行くそのときまでいい子にして待っていてね・・・
キャンディー 2002年8月17日没 家にて・・・
今にも呼んだら起き上がってきそうなほど、穏やかに眠っているように横たわるふわふわのコートを撫ぜているのに、いつもの規則正しい鼓動が聞こえてこないことが嘘のようだよ。
見た目には何も変わっていないのに、もう呼吸する胸の動きが無いんだね・・・
何度も何度もこの部屋にはいるたびに・・・
ここにはキャンディーの抜け殻しかないんだっていまも信じられない。
部屋のドアを開ける時、
キャンディーの悪戯そうな不満そうな、『ここから出してよ!』って言う声が聞こえてきそうで、
そっと開けないとするりと抜け出してくるんだからって気をつけて静かにドアを開けているママがいる。
退院してから長い間この部屋におにいちゃんと居たから、
キャンディーの寝ていたお布団の敷いてあるゲージはそのままで、
そのゲージの上にいっぱいのお花に囲まれて横たわっていること自体が凄く不自然だね。。。
部屋に入り君の体を撫ぜるたびに、
逝ってしまった現実が受け止められなくなって嗚咽が止められなくなってしまうのは許してね。
君が逝ってしまった今日、お兄ちゃんはこの部屋で眠らなかったよ・・・
何かと言い訳しながらみんなと一緒に眠ったんだよ。
ママにはお兄ちゃんの気持ちが痛いほど良くわかるんだ。
だってこの部屋に居ると、涙が止まらなくなってしまうから・・・
それにね、この部屋にはいらなければ、君が逝ってしまった事を思い出さないでいられるからなんだよ・・・
ドアさえ開けなければ、今もそこから君の可愛い顔がのぞいてきそうだからなんだ・・・
2002年8月18日家にて・・・
絶対にいなくならないと思っていたのに・・・今までそんなことを考えたことはなかったのに・・・
あの日から少しづつ私たちに覚悟というものを教えてくれたんだね。
苦しくて辛かったあの日々から、私たちに元気な姿を見せてくれて、
勇気をいっぱい与えてくれて最後の役目を果たしたんだね。
あきらめないこと、信じること、愛すること、変えられない運命・・・
生きると言う事、神様の元に旅立つと言う事・・・
数え切れないたくさんの事を君が教えてくれたんだね。
本当に良く頑張ったね。
できるだけの事をしてあげたという思いを残してくれてありがとう。
だから悲しくて悲しくて・・・気が緩んだ時には涙が流れてしまうけれど、後悔はしていないよ。
君が私の子になってくれて本当に良かったよ。
キャンディーに出会えたから、犬と暮らすと言う事がどんなに素晴らしくて尊いものかを
いっぱい理解できたんだと思っているよ。
ホンの少し一緒にいる時間が短かったけれど、君が教えてくれたことは本当にたくさんありすぎて、
毎日を暮らす中にいつもそれが生きている。
ショードッグでもない、
ポチと呼ばれたシェルティーだったキャンディーの素晴らしい功績を、
キャンディーとの思い出を一つ残らず書き留めておきたいから、
しばらくの間、ママが書いている間、
いつものように足元で頑張れって応援してちょうだいね・・・
2002年8月19日 家にて・・・
お兄ちゃんが君の毛をホンの少しだけもらっていたんだってね・・・
ママにはそんな余裕も無くて、君が天国に昇っていった後に
お守りに入れて渡してもらったんだよ・・・
それでまた、たくさん涙が止まらなくなってしまったんだよ・・・・
キャンディー、キャンディー
本当のことを言ったら、もっと一緒に居たかったよ・・・
後悔はしていないけれど、
やっぱりキャンディーがいないのはとても辛くて悲しくて・・・
みんなの前ではできるだけ、平気な顔をしているけれど、
1人の時は、我慢しなくていいよね・・・
声をあげて泣いたって、許してくれるね・・・・
ママが何かで泣いていると、いつもとても心配してくれたけど、
その君がもうそばにいないことが、こんなに苦しいなんて・・・
キャンディー約束だよ。
ママは後、何十年かかるかわからないけれど、
きっと君のいる場所まで行くんだから、
それまでイイコに待っているんだよ。
キャンディーなら大丈夫だね。
待っててね、キャンディー・・・大好きだよ・・・約束したよ・・・・