愛ちゃんが天国に行ってしまった日から、しばらくの間私の時間は止まってしまっていた。
そして今でも、『愛ちゃん』の存在に深く触れるとそこだけ時間が止まってしまう。
あの懐かしい楽しかった日々が、あのこの感触が今もこの腕の中に残っている。
あの『カッカ』と私だけを呼ぶ甘えた声が、さりげない写真の奥から聞こえてくるのだから。。。
愛ちゃんは今天国にいます。いつも私たちを,見ているのでしょう。
可愛かったあの頃、楽しかったあの日々・・・
|
|
我が家に来たばかりの愛ちゃん |
むくむくの毛糸玉だった・・・ |
愛ちゃん 1998年8月9日没
愛ちゃんと共にすごした、ホンの短い時間が、犬とはなんなのかを私の中に深く刻み込んだ。
こんなに深く自分の中に浸透するものがあると言うことを今まで知らなかった。
愛ちゃんは愛ちゃんであり何者も代わりにはならない。たった2キロの小さな犬が、こんなにまで重いものだと私は知らなかった。この先たくさんの犬たちと関わって行く私に、一番大切なものを残してくれた愛ちゃん。
愛すると言うこと、信じると言うこと、守ると言うこと、そして言葉の通じないはずのまったく別の種類の動物と、心が通じ合うと言うこと。この小さな弱い子の命を守り、快適に生涯を過ごさせられるかどうかはすべて自分にかかっているということ。
私が無くしてしまった命。どんなに叫んでもゆすっても帰っては来ない。愛ちゃんが死んでしまったのはみんな私のせいなのだから。。。この先に一緒に生きていく私の子達のために、いくら勉強しても足りない。もっともっと色んなことを自分の中にもっていたい。そうでないと不安ばかりが付きまとってしまう。
このサイトにきてくれるたくさんのDOGファンシャーに、少しでも、手助けになるなら、私の知っていることだけ伝えていきたい。末永く大事な愛犬と共にすごせる幸せを知ってもらうために。。。
愛ちゃんを見て、本当にポメラニアン?と思う人もいるだろう。実際、純血種のブリーダーをしていれば、ショーに出てくるような素晴らしい固体を違うことなど、言われなくたって把握している。
犬の価値は、そんなことではなく、その犬と共に生きる人間にとってどれほどの存在なのかと言うことだ。純血種でなくても、純血種であっても、犬の価値に代わりは無いと思っている。値段が高かろうと、素晴らしい賞暦を持とうと、道端で拾った子であろうと、特別なことが出来ようと出来まいと、そんなことでは測れないのだから。
犬はその人の鏡だと思っている。そこかしこにその人自身が見えてくる。
そんな犬が私は好きなのだ。かけがえの無いたった一つだけのそれもホンのちょっとした油断で消えてしまう小さな命を、愛しみ、敬い大切に育む気持ちをもてるかどうか。そんな価値観を持つ人たちとめぐり合っていくことが私の夢になった。それを教えてくれた『愛ちゃん』に出会えたことは私の最大の勲章だと思っている。
今でも。。。愛ちゃんを失ってしまった自分の不注意が許せない。どうして気づかなかったのか、何のために一緒にいたのか・・・助けられなかったことよりもあんな目に合わせてしまった自分が情けない。
せっかく私のもとにきたのに、
何もしてやれなかったような気がして、
あの子は幸せだったのだろうか?
私のところにきて幸せだったのだろうか。。。
毎朝覗き込む写真立ての中の愛ちゃんは
『ママ大好きだよ』
と言っているのだけれど・・・