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病院の中があわただしくなって…でも最初のうちはまさかヒカルがおかしくなっていることで先生たちが動いているとは思いませんでした。ジャイアンに注射をしてもらううちレントゲンを撮るだけのヒカルがなかなか戻りません。まさかねって思いました。 ぐったりした状態で全く生気がなく、そんなヒカルのもとに私は呼ばれました。心臓が止まりそうになるくらい驚いて「ヒカちゃんどうしたの!」と叫びました。先生が横でいろいろ説明してくれましたが耳にははいりませんでした。聞こえてきたのはこんなにひどい状態なので仕方がなかったという声でした。誰が言ったのかも覚えていません。 でもヒカルは私の顔を見たら急に元気が出て尻尾を振って蒼白だった顔に生気が戻りました。ヒカルを抱きながら先生の説明を聞きました。もう助からないこと、こんなにひどい心臓病はひどく少ないこと、今まで元気だったことが不思議だったこと、レントゲンに移ったヒカルの心臓は大きく肥大し、それに伴って肝臓もおなかにいっぱいになるくらい肥大していました。 レントゲンを撮るために横にされて押さえつけられてショックで心臓の機能がおかしくなったっていうことなんでしょう。心筋梗塞の状態になってしまったので何とか蘇生しましたという話でした。 さっきまで元気いっぱいだったヒカルはもういません。抱かれてはいてもぐったりして呼吸も弱く苦しそうです。病院では攻めて少しの間だけでも効果があるだろうからと利尿剤を出してくれました。つまり手術も何もできないのだそうです。動脈も開存しているし、心臓の肥大が半端じゃなく、おおよそいくつかの心臓病と言われるものを複数同時にもって生まれてきているのだろうという話でした。こういうのはとても症例が少なく今まで元気だったことが不思議だといくら言われても理解することができません。 泣きながらヒカルを抱いて家に帰りました。ジャイアンは一人で後ろの座席にちょこんと座り、なんか様子がおかしいなといった感じでとてもいい子でした。 家に戻ってもヒカルを下すことができません。下に置くと途端に呼吸できなくなってもがき苦しむからです。抱っこして顔を上にあげて顎を支えていてあげないと呼吸できないのです。何も食べられず、すぐに痩せてしまい水分はポカリスエットなら少しだけ飲んでくれました。大した量を飲めないのに薬のせいでおしっこばかりでました。 このときから24時間の看病が始まりました。家族がみんな協力してくれてできるだけ私はヒカルを抱き続けました。どうしても抱いていられないほんの数分の間子供たちが変わってくれました。犬の世話もご飯の支度も掃除も洗濯もみんな息子たちがしてくれて感謝しています。人はこんな時に眠らずにいられるのだと知りました。 でもどんなに頑張ってもヒカルはよくなることはありませんでした。2001年4月30日に産まれてたった2ヶ月半です。あまりに苦しそうで何度も病院に電話しました。先生は何度も親切に相談に乗ってくれましたができることはないと言います。このとき安楽死の相談もしました。当時まだ杉並にいたシンバ先生に…。このとき先生にどれだけ助けられたか…忙しい病院で随分大変な中を気持ちをくんでくださってやさしい言葉をかけていただいて感謝しています。先生の言うとりに3日後安らかに天使になったのですから…。 ヒカルは亡くなる日に急に元気になりました。ふやかしたご飯を食べてみると言ってくれ数粒食べました。そばにいるジャイアンと遊びたいともがいて、抱っこした腕の中からするりと抜け出してジャイアンとひとしきりガウガウと遊び、「遊んできたよ〜」と私の腕の中に戻ってきてコト切れました…。 同じように愛家の苦しみを見かねて安楽死を考えつつも悩んでいた、ヒカルのことをたくさん心配してくれた友人にあてて出した手紙です。
ヒカルはとっても可愛くてとっても愉快な愛らしいチョコタンのダックスでした…。小さな小さな天使でした…。 |