ジークが天使になりました。

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3月の終わり、ジークは体調を崩しました。その後元気を取り戻し、4月19日にオフ会に来てくれて、私に見事な姿を披露してくれたのがまだ記憶に新しいです。元気になって良かったねと喜んだばかりだった気がします。。。ジークは2003年ダッシュとデイジーの2回目に産まれた子で5頭の兄弟姉妹、3番目に産まれた長男です。

オフ会の後、順調に時を過ごしていたけれど、7月に入り大きな発作が起きてしまったのち、治療の効果を期待していたけれど、昨日8月31日夜、天国に駆け上っていったと、その夜中1時過ぎにメールが届きました…。

ジークはデイジーの柔らかいコートをそのまま受け継いで豊かな毛量のゴージャスな穏やかな犬でした。ママさんを朝起こすのがジークの楽しみで、寝たふりをすると起きるまでそばにごろんと横になりいつまでも待っていてくれる子だったそうです。

ジークへの想いを、逝ってしまったときの悲しみをつづられたメールを読んで、いたたまれない気持ちになります。それは愛するものを失った悲しみの時が今も私の中には続いていて、今、悲しみの中にいる人からの情報とが混じり合い同化するからなのだろうと思います。

どれほど愛おしい犬であったか、どれほど失ったことが辛く悲しいか、心の平静を保てない中でジークを産ませた私に彼の事を知らせてくれたことへの感謝は言葉には尽くせません。

生きとし生けるものにはいつか必ずこの世に存在できなくなる時があります。持って生まれた体には勝てない病気に蝕まれることもあるやもしれません。私自身が育ててきた子たちにも短い命を全うした仔もいますし、長く長く傍にいてくれた子もいます。病気の文字には縁のない子もいたし、大きな病に倒れた子も何度も手術を経験した仔もいます。獣医さんに度々お世話になる仔もいたし、予防注射位しかお世話にならなかった子もいます。

介護が辛い病気になった子もいるし、お世話させて貰える時間が少なすぎて後悔ばかりが残る子もいます。この手に抱いて見送れた子、病院で亡くなってしまった子、ちょっと目を放した隙に逝ってしまった子、ぴったり寄り添って体を触りながら寝ていたのに逝ったことに気が付かせなかった子…

愛する者との別れの日が来るまでの長い長い歴史にはどの子についても誰一人、一様に同じであったことはひとつもありません。

それは今まで産まれてきてくれた子犬達1頭1頭すべての違いと同じです。亡くなった知らせを貰った時、私たち家族はその子が産まれてきた時を、またその赤ん坊が少しづつ成長し子犬へと変化していく様を、素晴らしい飼い主の出現を喜んだことを、ちょっぴり不安そうな顔をして飼い主に抱かれながら我が家を出て行った日を思い出すのです。

たった2か月程度の時間の中で、私たちが彼らに費やす時間は途方もない長い時間です。仔犬の横で眠り、体を触り、じゃれ合いに参加し、時として態度をいさめたり・・・母犬以外の犬ではない別の存在、「人間」をしらせ、彼らを守る保護者であることを感じさせ、子犬育てに参加させてもらうのです。我が家から巣立つ犬たちはどの子もまず第一に「家庭犬」で有らねばならないから。

そんな時間を掛けなければ、子犬達は「ただの犬」にしか成長しないように感じるからその習慣は今も続いています。巣立っていった犬たちが、幸せに暮らさせてもらい、彼らが託された役目の寿命を全うできたことは、仔犬を渡す時に交わした私たちとの約束を守ってくれた報奨です。。。仔犬に費やした時間の重さを、私たちの気持ちを、理解していただいていることに大きな感謝を感じています。

飼育放棄が横行するこの時代に、犬との暮らしによって、目に見えないけれど大きな「愛」を受け止めた飼い主さんたちは、どんな病気になろうとも最期まで愛情を持って面倒を見てくださり、彼らが神様に決められている寿命を全うさせてくれます。それが犬たちにとってどんなにありがたく何物にも代えられないことであるかを感謝し、ジークの冥福を祈りたいと思います。

長い間ジークを大切にしてくださってありがとうございました。合掌

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