犬がいなかったら…。

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自分が犬を飼わなかったら、今の世界は無かっただろうと思う。そして、選んだ犬種がシェルティーで無かったら、この先も未来もまた変わらなかっただろうと思う。

シェルティーは家族にするにはとっても良い犬種だ。子供の良き友人にもなりうるし、多くの人間関係に翻弄される主婦の愚痴こぼしにも忍耐強く付き合ってくれる。社会と言う戦場で7人の敵と戦う一家の長の疲れ切った心を癒す術も心得ている。

犬には多頭飼いに向く犬種と向かない犬種がある。シェルティーは相応の数で暮らすにも良い家族関係を構築する。正しく躾ければトラブルはほとんどないし、『群れ』と言う犬独特のスタイルを見ることも可能だ。

スタートが2頭から始まった我が家は1993年から24年がたち、多くのシェルティーと暮らすようになった。もともとの家はいつしか犬仕様に変化し、都会で暮らすせせこまさを除けば理想的だ。たった一つの不自由さがあるとしたら、彼らが走り回れるような広い広い場所がないこと。

二階のベランダをぐるっと回れるようにしたところで、猫の額ほどの狭い庭に毎年芝を張り替えたところで、車2台入る駐車場を解放したところで、活動的な犬達は思いっきり走り回り、彼らの人生を謳歌できるような毎日を送らせてあげられているとはとても思えない。
リードを付けていくら周りを歩いても、多少のストレスの解消にはなれどいつも後ろめたい気持ちが付いて回った。1.2頭の犬しかいなければ確かに毎週のように出かけ、海や山や川で十分堪能させることもできるだろう。でも我が家には相応の老犬がいる。元気な子だけを連れだして、他は留守番と言うのは何とも不公平で置いて行かれる犬が可哀そうに思う。

そうは言っても、日々の介護に追われ、たまに生まれる子犬を精いっぱいの愛情を持って育成するには、手のかからないお利口さん仕立て上げられた一番大切にされるべき子たちが一番割を食う形になってずいぶんの年月がたってしまった。

2009年、最初のスタートのマリンが亡くなったころから、時たま口に出すようになった事がある。
宝くじが当たったら、広い土地を買って専用ドッグランを作りたい。好きな時間に練習なんかもできてさ、うちの子犬を持っていった人たちもみ~んな呼んでバーベキューとかして、正月だって、犬を置いて来いと言わずにみんな犬連れで集まれるそんな家を作る。

うちが駄目なら、誰か宝くじ当たったらそういう場所を作ってよ~って冗談交じり本気半分・・・。

犬がいなかったら、シェルティーを飼わなかったら、こんな夢を持っただろうか?繁殖をして多くの人に自分の産ませた犬を持ってもらい、その飼い主さんたちと親戚づきあいの様な事をしようだなんって思いつくはずも無い。

いつか夢が叶い、犬達がのびのびと暮らせる場所に居られますように。。。

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