想い その1

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何とかブログを復活できたものの、いまだにスマホからは投稿ができない。毎日書く予定がPCを開かないと書けないのであっという間に色んなことが過ぎ去っていく。その日その日に多くのことが起きていてあれもこれも書き残しておきたかったなと思うのになかなかうまくいかないものだ。

実は先月5月2日、愛するプラスが旅立った。いつもなら愛犬の死を受け入れるように努力するのだけれど、今回だけはできなかった。プラスを奪われたことに対する怒り、悲しみ、なぜこんなことが起きたのか、なぜプラスがここにいないのか、心が引き裂かれそうなどうしようもない思いをFBにほんの少しだけ書き残した。プラスの死は神様の間違いだと。。。

私がネット上に愛犬の病気のことや治療のことや使ったもの、やったこと、サプリ、食事、その時の自分の気持ち、応援してくれる多くの人への感謝を書き綴り始めたのは1993年にホームページを開設した当初からだ。インターネットも当時は今ほど利用されておらず必要とされていた情報の一つになっていたように思う。時が流れ、今の時代はGoogle先生も登場し、たいていのことは瞬時で調べることができる。若者たちだけでなく多くの人々がネットがなくては生きられない時代になっている。

数えきれない多くの人々が自身の意見の発信場所として利用するようになったので、実に様々な情報が飛び交い、私が書き綴っていた闘病日記のような類のものはいたるところに存在し、病気のことや治療のことで悩む飼い主たちに飼い主からのメッセージ以外にも獣医師からの情報さえ手に入れることも可能になった。かかった費用なども詳しく書き残している人もいる。

気が付けば高度医療は当たり前になり、動物の保険も数多く出回っている。犬にかける費用は莫大になり、それができないことが非難されたりする時代だと思う。たまにお金がない人は犬を飼うなという意見すらある。お金がないと犬は飼えないの?まぁ確かに純血種を購入しようとすればこの3年ほどの間に価格は高騰しているけれど、何を購入するにしても相応に費用は必要だ。問題はその後にどんな費用が長い年月の間にかかるのか、かけるのか、だと思う。

確かに犬の存在は家族同様だし、助けられる治療法があるなら、それにかけられる費用を捻出できるのなら、犬を愛する人たちは実行するだろう。たとえ結果は悪かろうともやれることはやったのだという実感が必要なのかもしれないとも思う。自分自身も、愛犬に起きた不幸を払拭するために事あるごとに獣医に走り、治せないとわかっている病気でも何とか生き続けさせようとずいぶんもがいていた時代がある。いわれるがままに治療を受け莫大な費用も払ってきた。人間の家族でも一昔前には回復の見込みがなくても管だらけにされ生かし続けられた時代があった。時代が変わり、人間は延命を拒否し緩和治療を望むことができる時代に変わっている。

でも。。。動物に関してはどうも様子が違っているようだ。費用が捻出できなければクラウトファンディングを使い多くの人の協力を得ることもできる。保護動物に限らず個人のペットでも行われるようになった。最近の獣医医療費は高額だ。100万円、200万円とかかる治療費もたくさんある。わからないでもないけれど。。。

飼い主が治療のために借金をしたり、クラウドファンディングを立ち上げたりしてまで費用を捻出することは正しいことなのか、それが犬自身のためになることなのか?犬が求めていることなのか?いつしか私の中に大きな疑問がわくようになった。

治療には助けられるものもあるし、延命させるためだけのものもあるし、治療を決めるために病気の特定に必要な多くの検査もある。人間の保険とは違い破格の費用だ。その上に犬や猫は人間のように治療されていることの意味を理解できない。針を刺されるストレスや知らない人間に抑え込まれる恐怖や、飼い主がそばにいない場所に入院という名のもとに隔離されることは幼児に等しい恐怖を覚える。

それでも病気が治るのであれば治療を受けさせ頑張らせる意味もある。治すの意味が一時的ではなく病気になる前と同じように健全に幸せに生きられるのならば、完治せずとも治療を続ける意味もある。

そんな風に考えているときにプラスは治らない病気になった。彼を健全に生かせるたった一つの方法は臓器移植だけだった。我が家にはその臓器を分けられる若く健康な犬たちがたくさんいる。できないことはない。。。そんなことまで考えた。助けたい一心で。。。

プラスは助けたい。でもそのために犠牲になる犬を出してよいのか?成功すれば数年はそれでも良いのかもしれないけれど、プラスが天寿を全うした後も、臓器を提供した犬が健全なまま生涯を終えられるのかと考えたらその犬に申し訳なくて踏みとどまった。

血液の供給くらいならいくらでもできることだけれど、私がやろうとしていることを愛犬たちが理解があり受け入れてくれるとは思えない。彼ら自身の気持ちを確認できないことに私が感謝すれば済むことではないと気付くのにちょっとだけ時間がかかった。

そしてプラスは天使になった。色んな思いが交錯する中にこれでよかったとは思っていない。現実にあのプラスはここにはもういない。私だけの犬だったプラスに旅立つ数日前からずっと言い聞かせてきた。一度天国に行かなければならないようだけど神様に会ったらすぐに戻らなきゃならないんですと言って帰っておいでと。ママは大丈夫かなとこの世に残らず急いで天国に行って戻っておいでと。

仏教では亡くなった後はしばらくあの世とこの世を行ったり来たりしながら49日たってあちらの世界に行くのだと聞いた。あちらに行ったら帰ってくるのにすごく時間がかかるかもしれないからこの世に残らず早く天国に行けと言い聞かせた。プラスは私の言うことだけはよく聞く子だったからきっと戻ってくると信じて。

一月後の6月2日、プラスは生まれ変わってきた。ナビとダンクの息子として私の前に現れた。

生まれ変わりなんか信じない人もいるだろう。誰が信じなくてもそんなことは構わない。プラスは帰ってきた。それは私とプラスとの約束で、これからまた生涯の友として生きていくためにお互いに必要な相手である証をちゃんと携えて産まれてきた。あんなに恨んだ神様にやっと感謝ができる。返してくれてありがとうと。。。

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