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2009/03/06 Fri

優しさと溺愛の違い

溺愛とは「相手を客観的に見る目を失い、むやみにかわいがること」で盲愛とも言われます。
これはその人自身が感じるものではなくはた目から見るとそう見える可愛がりようだということでしょう。
我が家もきっと人が見たらシェルティーはもとよりダックス・特にポメラニアンの2頭にはデレデレの溺愛飼い主に見えることと思います。


自分自身が責任感なくわがままを受け入れているという自覚があった場合、溺愛というのかどうかはわかりませんが、適当な言葉が思いつかないので同じ意味に使っています。


人間の子供の場合、親の立場であるものは溺愛しては子供は社会に受け入れられるような大人に育てるのが難しくなるはずです。
なんでも思い通りになるという解釈しかできなかったり自己中心的な考え方しか持たないように育ってしまったら社会には受け入れてもらえません。
親は子供を教育し育てるという役目を本能で担っています。
育てることに、教育することに責任を持っていない、おじいちゃんやおばあちゃんとは違う立場にいます。


もちろん育成にかかわるものは実際に子供が生まれるための両親でなくても、全て産んだ後に育てる親の立場と同じ行動をとるようになることが人だけでなく多くの生き物の本能として知られています。
その関係は、子供自身に対して他種による場合、血縁関係のない同種のものから、血縁である祖父、祖母、親戚関係のような立場、兄弟姉妹の場合もあるとのことです。


祖父や祖母が孫を溺愛するのは、親が教育を担当し生きるために必要な事柄を学ばせているからこそ、その部分において担当する必要性がないので溺愛することができるのです。

こっちはかわいがるだけで嫌われるようなことはしないのだから、いい身分だなぁと思うことしばしばですが(笑)信頼という部分においては親に軍配が上がることは周知の事実です。
つまり、相手にとって都合のいいことばかり与えてもよい関係は生まれないということなのだと思います。



家族という一つの群れの構成の中に、犬を社会的に認めてもらえるような後ろ指をさされないですむよい犬に育てる役目を担う人がいなかったら、犬は傍若無人にふるまうわがままなまま育ちます。
周りに存在する人間が親の立場になるものがいなければ早い時期からリーダーが不在である認識を持ち、成長するに伴って自分がリーダーとなろうとするのです。


ふわふわでかわいいあまりに溺愛したくなる気持ちもわからなくはないですが、犬も子供と同じように成長する部分があります。
そして人と暮らす以上、野生の犬と違って学ばなければならないことはたくさんあります。
犬を飼った以上飼い主はその犬の親としてふるまい、必要な教育をしていかなければなりません。

つまり溺愛していたら育てられないということになります。


心から愛することは溺愛とは違います。
相手を客観的に見つめることができる愛は溺愛よりもずっと尊いものです。
親だからこそ与えることのできる無償の愛は溺愛とは違う優しさです。


犬をかわいがることの優しさと溺愛との違いをよく認識して犬に接することが重要です。
犬はとてもそういう部分において敏感で頭がいい生き物なのですから、溺愛されているのか、心から愛されているのかの違いをいとも簡単に見分けるでしょう。