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2009/05/27 Wed

教訓は生かされる

親しい間柄になればなるほど、犬に関しては多くの友人が一目置いてくれている。

その代り、一目置かれる分、犬がかかわると途端に厄介というのか恐れ多いというのかめんどくさいというのかうざったいというのか(笑)そんな感じに思われる時もあると知っている。

私は言葉の通りに受け止める人間だから、ヒトにも直球でしか伝えられない。友人たちはそれをよく知っているから数年・十数年・何十年とその人と出会った日から長い時間を付き合ってくれているのだろう。

私の友人が犬を買ったとなると今までちょっと疎遠になっていてもそういえばさと必ず連絡が来て大いに話に花が咲くわけだ。そんな中、可愛がっていた愛犬をなくしてしまう人だっている。

口を酸っぱくしてあれほど言っていたのにねって笑い事じゃ済まないと知るのは失ったものの大きさを噛みしめてからだろう。
親しいからこそ言えることはたくさんある。その中で言ったその時には生かされなかったアドバイスも、一度経験した後は生かされることが多い。

今日はミールが天使になった日だ。そんな今日にうれしい連絡が入った。
「ひさしぶりぃ〜!オゲンコ?」
「やだぁ〜誰かと思ったよ〜」
「ギャッハッハ!元気そうねぇ〜」
「いやぁ〜。。。血圧高くなっちゃっててさ、何かって言うとダウンしてるよ(笑)」
「マジぃ〜?」
「マジ。。。」
「やだねぇ〜もう年だねぇ〜」
「おたがいさまじゃん」

付き合い始めた時期に覚えた会話言葉はいくつになってもそのまま止まっている。

そんな会話の後・・・
「今日電話したのはさ、いろいろあって連絡しにくくなっちゃったけどお礼が言いたくてね。。。」
「???なんの?」
「いやさぁ〜・・・この前うちの子が家から出ちゃってさ…ぐるっと回ったらあんたも知ってる通りあの大通りじゃん。思いっきり大声で呼んだらすっ飛んで帰ってきてさ、何事もなくすんだのよ〜(涙声)」

「・・・よかったじゃん!それで?」

「いや〜・・・昔さ、うちの子見せた時「待て」とか「来い」だけは教えておきなさいよってすげぇ〜嫌味行って帰ったじゃん。あの時ちょっとムカついてたんだけどさ、「待て」とか「来い」くらい教えられるわよって頑張ったのよね。今思うとあの時言われなかったら教えないままでいたんじゃないかなぁって思ってさ。。。心臓が止まるくらい焦った後さ、急に想い出したのよあんたの顔!」

すっかり忘れていた遠い記憶。
仲良くなってお互い遊びに行くようになって数頭ずつの愛犬家暮らしの友人の一人だった。

彼女は私とは考え方が違って、犬は自由に飼ってあげるのが一番という人だった。叱ったり、強制したら可哀想って言うのだ。だから彼女の愛犬たちはとっても可愛い子たちなんだけど、お世辞にも人の言うことを聞いてるような犬じゃなかった。

他人の言うことなんか聞く必要はないけれど、飼い主の言うことをきかなかったら事故にあう可能性が高くなるよとやんわり話しても、「教育ママゴン!」みたいなことを言われながら付き合っていた友人。

そんな関係でいる中に「ありがとう!」の感謝の言葉は「言ってよかった」とつくづくホッとしている。そして何より事故にあわずに彼女が泣かないで済んだことを犬たちが今ここに生きていることをありがたいと思っている。。。

2009/05/20 Wed

難病と闘う子犬のためにその2

なんとか投薬できる可能性を見つけてから時間はかかったけれど先方と連絡もついて良い方向に向いてきている。どうやら薬を使ってもらえそうだという知らせがあった。

夜なべしながら探しまわった苦労が報われる瞬間だ。

もっとも人間の病気からの情報を頼りに良い形への組み換えをしてもらえたのは多くの獣医さんたちの努力に他ならない。でもその形を作るために一役買えた自分を嬉しくも思うし、頼りない情報を元手に新境地を開拓した友人に頭も下がる。

あとは薬の効果が出てくることを祈るのみ。どうか神様、あの子にもう少し時間を与えてください。。。

2009/05/16 Sat

犬を買った理由

私たち夫婦が最初の犬たち、マリンとキャンディーを迎える決断をした時の理由は至極単純な理由だった。可愛い可愛い女の子が欲しくてその当時推奨された産み分け法とやらをがんばったけれど、結局妊娠することはなく、ハタと考えて確実な女の子を選んだ。

生まれてきてしまっている確実な性別。それが待望の犬だった。私たちの初めての娘のマリンは今2009年、私たちの年齢を遥かに超えて介護生活を送っている。

犬を迎え入れる目的が娘としてという単純な理由であるなかには、単純であるがゆえに大きな理由でもあったように思う。私たちの大切な娘。姿・形は犬であろうとも、神様から与えられた運命の子。そんな思いで迎え入れた。何もできなくたってかまいやしなかった。もともと、何かしようとも思って迎え入れたわけでもなく、「目的」と思われるものがないままに、ただただ愛する対象として迎えた娘だ。

迎え入れた子犬は姉妹で二頭同時に娘になった。双子が生まれたのと変わりない。姉妹であってもこれほどに違うものなのかと教えられ、息子という存在しか知らなかった私たち夫婦に多くのことを残した。人と違って巣立っていくことはないままに…。

私たち夫婦は彼女を産み落としてはいないけれど、他に彼女を産んでくれた親元はあっても私たちの子供なったその瞬間から生みの親のつもりで育ててきたと思う。下の娘は図らずも脳腫瘍という大病を患い、私にとっては短すぎる同じ時を過ごして天国に帰って行った。

今時のようにインターネットなんかもない時代に、生んでくれた親元に我が家の最高の娘の近況をよく報告しに行ったものだった。病気を心配してくれる親元に頑張っていますよ大丈夫ですよと伝え、励ましをありがたく思ったものだった。

犬を子供のように思うとき、犬たちの多くには生みの親がいて育ての親がいる。多くの飼い主といわれる人たちは生みの親であり育ての親であることは稀だろう。ちょうど私たちのマリンやキャンディーのように私たちの手で取り上げた犬でない以上。。。

実質犬たちにとってどちらの存在が親になるのかといったら育てたほうになる。犬は自分では産めないけれど、この腕に抱いたあの瞬間からわが子になった。

子育てをし、しつけをし、その能力に一喜一憂し、多くの楽しみを共有した後に残るものは「巣立ち」ではなく「介護」だ。病弱な子もいるし、健康優良児もいるし、それは生まれてきた彼らが決められるものでもないし、生んだ親が意図的に決められるものでもない。その解釈さえあれば犬と人はきっと幸せに暮らせるのではないかと思う。

若くして病気になるものもいるだろうし、ギネスブックに載るほど健康なまま長生きするものもいるだろう。その個体差を受け入れる勇気は大変なものなのだろうか?

犬を買った理由が商品を購入した部分に通じればきっと受け入れられないものとなるだろう。犬は生き物だから、法律上商品とされていても、ともに暮らしその生涯を看取る意思がある人と暮した時、初めて商品ではなくなるのかもしれないと思う。

人が犬を飼おうとしているとき、目的があるのならそれに沿う犬を探したほうが良いと進言してきたが、今の時代にはもうそぐわないのかも知れないなと考える自分がいる。それはきっと「目的」が私の意図する「目的」ではなくなっていて、犬たちが「目的」のための「道具」にされてしまう現実を拒否しているからだろうと思うようになった。

のんびりとゆっくりと焦らず騒がず、ただ穏やかに犬たちと暮らしたいと願っている。人よりもはるかに寿命の短いこの優しい天使たちにたくさんの愛をもらいながら…。

私たちの初めての娘は若いころの美しい姿とはかけ離れた悲しい姿に変わっている。それでも私たち夫婦にはふわふわの愛らしい瞳を輝かせたあの幼い日の面影をちゃんと残した大切な娘のままだ。

この犬を躊躇なく抱きしめ、愛撫できるものこそ親である証なのだと思いながら一日でも長くそばに居続けてもらえるように頑張っていく。迎え入れる前にこの日がきっと来るだろうと予想していた通りになったのだから何も心配をしないで頑張っていく。それが共に生きるということだと信じて。。。

2009/04/28 Tue

犬を飼うってステキー ですか?

su00.gif【犬を飼うってステキですか?】
この小冊子を私はマリンを飼ってしばらくしてからかかりつけの獣医さんの待合室で見かけました。もう15年も前のことです。その当時、とても感動しこういうことを沢山の人に知っていれば不幸な犬は減るのになぁとおもいました。そしてその当時無理を言って発行元に問い合わせし1冊送っていただきました。


とってもよい内容なのに、犬を飼う人に聞いても見たことが無いといわれて数年。。。今ではすっかり忘れかけていた冊子です。

調べ物をするためにサーチして言たら偶然引っかかりました。今ではインターネットという媒体があっという間にこうしたものも手軽に家にいて読めるようになったのですね。
うちのある冊子は何度も読み返していたのでずいぶんとぼろぼろになりとても写真等でブログに載せられる様相ではありませんが、本家本元ではダウンロードもできるようにpdfファイルにもなっているし、掲載もされているのでぜひ読んでもらいたいなと思います。

ぜひご一読を・・・【犬を飼うってステキーですか?】

子供さんでもわかるように漫画で楽しく可愛く、でも真面目に書かれています。 

2009/04/20 Mon

安楽死・最期の選択

犬を愛する、慈しむ・・・色んな形や方法があるのだと思う。
どれが正しくてどれが間違っていると誰にも決められないのかもしれない。

犬の命の重さを痛感する時・・・・それは彼らとこの世で一緒に生きられなくなる日が近づいている時ではないかと思う。今は獣医医療も日々進歩し、人間並みの治療が受けられるようにもなった。保険がきかない分確かに高額ではあるが、それでも今までは手をこまねいていた病気が治せるようにもなってきた。

ただ・・・人間も同様にどうしても繋ぎとめて置けないものがある。

その原因がどんなことであれ、どんなに泣き叫んでも、捕まえておくことができなくなった時に、一緒に生きた人間は大きな決断をしなければならないときが来るのだと思う。

犬には唯一人には許されてはいない『安楽殺』という方法が取れる。幸か不幸か、犬は法律的には物であるからだろうか・・・私があえて通常良く使う『安楽死』と言う言葉を避け、『安楽殺』という言葉を使うのには、私なりにその行為をどういいわけをしても自分から死ぬという意味ではなく他のものが命を止めるという意味だと思うからだ。安楽殺にもその手段に行き着く前に人それぞれ状況様々ではあるが、
日本では
飼い主がそれを望まない限り、獣医さんのほうからそう言う決断を下すべきだという話は少ないだろう・・・
それは、医療に携わるものは、決してあきらめてはいけないからだと思う。最後まで命を繋ぐ最善の方法を努力をする・・・そういう獣医さんが多い。
それがたとえ相手が動物であっても医療に携わるものの使命なのだとも思う。

ただ、手遅れで苦しむ姿をどれほど長く続けさせるべきかを飼い主は自分自身で判断しなければならない。
これほど辛くなかなか決断できないことはこの世にあるのかと思うほどだ。

薬物を使用しても、もう押さえられない発作が置き続けたり、生きていくために必要な器官が壊れてしまって再生する事が不可能だったり、体中に傷ができてしまうことすらわからなくなって暴れ続けたり、痛みに耐えかねて苦しんでいたり、呼吸することすらが苦痛であったり・・・

それが心臓が止まる時まで続くのであるなら・・・最後の選択として考える方法ではないかと考える・・・・

諸外国では、予後不良(生きる事が不可能)の場合に限り、動物が今後今以上に苦しみ続けることが解っていると、その苦しみにたどり着く前に楽にしてやることが多い。

これは競馬馬が骨折するとその場で安楽殺させることに似ている気がしてしまう。

昔、『テンポイント』と言う名馬がいた。誰もが2世を期待した名馬だったが、骨折の不運にあってしまった。競馬ファンのみならず、多くの人に愛された馬だっただけに、関係者は万が一への望みを捨てずに必死で治療をした・・・今までだって、決してそういう事で助かったこともなかったし、くるしませる結果が待っていることはこの世界では常識だった。でもその時、彼に関わる人たちや多くのファンたちは、彼に生きることを期待したのだから・・・
もしかしたらという一縷の望みを託して・・・結果は、彼に地獄の苦しみを与えただけだった。

その後、どんな名馬でも骨折の不運に見舞われた馬たちは、その場でその生涯を人の手で閉じさせることになった。ライスシャワー、サイレンススズカ・・・そして人の目に触れずに多くのファンももたずに逝った馬たち・・・
これは関係者の馬に対する最後の愛情なのだと思う。手塩にかけ育て育成し大きな晴れ舞台に立てた名馬といわれる馬たちは生まれてくる多くの馬たちの最頂に君臨する。誰が骨を折った位で死なせたいと思うものか・・・

でもサラブレッドは3本の足では自分の体重を支えられない。体をつるして体重を支えようとしても残ったひづめが腐り、敗血症を起こし、苦しみもがいて死んでいくしか方法が無いのだから・・・

愛する友が死の淵で苦しむ時、私自身はその子の状況がもし自分だったらどう言うのだろうかと考える。
この先に何かもっと楽になる方法はないのかと考える。
その方法が無くなった時、苦しみしかなく、やがて来る死を待つ間中
痛みや苦しみに体や精神をさいなまれるなら、深い深い眠りに付かせてやることは最後の愛情だと思う。

人間は哺乳類いや全ての動物の中で最高の知能を持つ最高の生き物だから、だから他の生き物の命を絶って良いとは思わない。人として正しい判断として苦しみから解放する最後の手段として行うなら、それは罪ではないのではないかと思っている。

私自身も2回安楽殺の方法を選んだ。ただその方法を実行する前に私の愛する友達は、天国に昇っていってしまった・・・もっと早く決断するべきだったのか、あの子達を思い出すたびにこれでよかったのかと思いをはせる時が有る・・・人には尊厳死と安楽死とを選ぶ権利があるとかないとか・・・様々な論議もあるようだが、家族に愛されている犬から、何を一番求められているのかを判断するのは飼い主以外の誰でもない。



願わくば、安楽殺という方法は、飼い主自身が楽になるために行われるのではなく、犬自身のために行われる方法であって欲しいと願っている。

犬の苦しみを取り去ることで選ぶべき選択であり、介護する飼い主が犬が頑張っているのを見るに忍びなくて早まった決断を下すのだけは避けて欲しいと願っている。
自分だけで判断を下さずに信頼できる獣医さんの助言を参考にし最後の決断をして欲しい・・・。
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