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2009/04/20 Mon

どこまで頑張るか?

 キャンディーを失ってみて・・・ 

病気の犬を抱え、獣医さんにかけて治療して行く時に直らないとわかったらどこまで頑張るべきなのだろうか?生まれながらに障害を持っていたらどこまで頑張ったら良いのだろうか?
判断は飼い主が決めることだが・・・

私自身が経験した中で、病気の子が生きようという気持ちがあり、その病気自体が治療によって治らなくても、小康状態を保てたり、または少しでも介護してあげることで楽な状態で生活していける範囲であるうちは、望みを捨てたくはないと思う。

病気の種類によっても、障害の状況によっても頑張る範囲が違ってくるのかもしれない。

私個人は、もう限界だと思うときが来るまではできるだけの事をしてやりたいと思っている。
ただそのできるだけのことというのは、手術や治療を受けることだけではない。受けないことを選ぶ場合だってある。できるだけのことというのはその人それぞれに違うと思うが、これでよかったねと思う事ができるような介護だと思う。

犬はいつも飼い主を必要としている。だからできるだけそばにいてやりたい。不安や悲しみから少しでも救ってやりたいと思う。

同居の母が亡くなった時、とても後悔が残った。
治らない病気なら・・・家に連れて帰ってやればよかったのにと思った。
血小板や赤血球を輸血しないと生き続けられないと解っていたからそれは病院でしか受けられなかったから・・・通院することはもうできなかったから・・・

酸素が無いと呼吸が苦しくて・・・なかったらもう駄目だったから・・・

病院にいてよかったのか悪かったのか今も判断はつかない・・・生きていた時間が母にとってあれでよかったのか、もう聞くことはできないから・・・

平行して病気と戦っていた愛犬は、自宅介護してきた。眠れない日が何ヶ月続いただろう?
何時起こるかわからな発作と、止められるはずの薬が効かなくなった時の不安と戦いながら、眠り続けるあの仔を見続ける自分との戦っていた。

呼吸が苦しそうで少しでも楽にしてやりたくて、酸素ボンベも家に持ち込んだ。酸素室も作った。

薬の影響で異様に食べ物を欲しがるあの仔に少しづつ気がまぎれるようにしてご飯を上げた。
毎晩交替で寝ずに監視した。

不安だろうと必ずあの仔のそばに誰かがついていた。病気になってからあの仔は1人になることはなかった。薬を使っても痙攣が止まらなくなって、高熱が下がらなくなって、体中を冷やす為にアイスノンや氷嚢を作り溶けては取り替え間に合わなくなると夜中でもコンビニに走った。

口や肛門から異様な分泌物が出るようになったとき、もう限界だと思った。
こんなに苦しんでいるのに、生きていて欲しいと願いのはわたしの我が儘だと思った。

その時に家族みんなを呼んで、これが続くなら安楽殺を選ぼうと相談し全員一致で判断を下した。

発病してからの半年間、壮絶な戦いに入ってからの3ヶ月間家族もあの仔も頑張れるだけ頑張ったと思う。その戦いの様を良く知っていた獣医さんが最後にもう一度だけがんばらせて見ないかとの提案を受け入れて奇跡の幸せな1ヶ月を過ごした。

あの仔が逝ってしまった時に私自身は体はぼろぼろだったけれど、ゆっくりお休みといってあげられた・・・
最終的に安楽殺にはならなかったが、発作を止める為に強い麻酔をかけに病院に行き、私の腕に抱かれたまま麻酔を入れた。あの仔の体が急に重くなってゆっくりと頭をたれた・・・

様子を見てもらうために入院させたが、麻酔が切れそうになると発作が起きるので眠ったまま麻酔が追加され続けた。

だからあの仔の心臓が止まってしまった時、あの仔の記憶は私に抱かれたままで終わっていると思う。
私にとってあの仔とのサヨナラの仕方は、安楽殺に等しいものであった。

痙攣し続けながらその恐怖と戦わせながら逝かせなくてよかったのだと思う反面、大好きな家で私に抱かれながら逝かせてやりたかったという思いとが今も交錯し続ける。

どんな形で頑張っても、きっと何かしらの後悔という文字は消えることはないのだろう。
後悔しなくてはならないならできるだけそれが少なくなるように自分の気がすむ方法を取るのがいい。

どこが限界かを一番わかるのは他でもない一緒に暮らし続けたあなた自身なのだから・・・