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2009/04/20 Mon

安楽死・最期の選択

犬を愛する、慈しむ・・・色んな形や方法があるのだと思う。
どれが正しくてどれが間違っていると誰にも決められないのかもしれない。

犬の命の重さを痛感する時・・・・それは彼らとこの世で一緒に生きられなくなる日が近づいている時ではないかと思う。今は獣医医療も日々進歩し、人間並みの治療が受けられるようにもなった。保険がきかない分確かに高額ではあるが、それでも今までは手をこまねいていた病気が治せるようにもなってきた。

ただ・・・人間も同様にどうしても繋ぎとめて置けないものがある。

その原因がどんなことであれ、どんなに泣き叫んでも、捕まえておくことができなくなった時に、一緒に生きた人間は大きな決断をしなければならないときが来るのだと思う。

犬には唯一人には許されてはいない『安楽殺』という方法が取れる。幸か不幸か、犬は法律的には物であるからだろうか・・・私があえて通常良く使う『安楽死』と言う言葉を避け、『安楽殺』という言葉を使うのには、私なりにその行為をどういいわけをしても自分から死ぬという意味ではなく他のものが命を止めるという意味だと思うからだ。安楽殺にもその手段に行き着く前に人それぞれ状況様々ではあるが、
日本では
飼い主がそれを望まない限り、獣医さんのほうからそう言う決断を下すべきだという話は少ないだろう・・・
それは、医療に携わるものは、決してあきらめてはいけないからだと思う。最後まで命を繋ぐ最善の方法を努力をする・・・そういう獣医さんが多い。
それがたとえ相手が動物であっても医療に携わるものの使命なのだとも思う。

ただ、手遅れで苦しむ姿をどれほど長く続けさせるべきかを飼い主は自分自身で判断しなければならない。
これほど辛くなかなか決断できないことはこの世にあるのかと思うほどだ。

薬物を使用しても、もう押さえられない発作が置き続けたり、生きていくために必要な器官が壊れてしまって再生する事が不可能だったり、体中に傷ができてしまうことすらわからなくなって暴れ続けたり、痛みに耐えかねて苦しんでいたり、呼吸することすらが苦痛であったり・・・

それが心臓が止まる時まで続くのであるなら・・・最後の選択として考える方法ではないかと考える・・・・

諸外国では、予後不良(生きる事が不可能)の場合に限り、動物が今後今以上に苦しみ続けることが解っていると、その苦しみにたどり着く前に楽にしてやることが多い。

これは競馬馬が骨折するとその場で安楽殺させることに似ている気がしてしまう。

昔、『テンポイント』と言う名馬がいた。誰もが2世を期待した名馬だったが、骨折の不運にあってしまった。競馬ファンのみならず、多くの人に愛された馬だっただけに、関係者は万が一への望みを捨てずに必死で治療をした・・・今までだって、決してそういう事で助かったこともなかったし、くるしませる結果が待っていることはこの世界では常識だった。でもその時、彼に関わる人たちや多くのファンたちは、彼に生きることを期待したのだから・・・
もしかしたらという一縷の望みを託して・・・結果は、彼に地獄の苦しみを与えただけだった。

その後、どんな名馬でも骨折の不運に見舞われた馬たちは、その場でその生涯を人の手で閉じさせることになった。ライスシャワー、サイレンススズカ・・・そして人の目に触れずに多くのファンももたずに逝った馬たち・・・
これは関係者の馬に対する最後の愛情なのだと思う。手塩にかけ育て育成し大きな晴れ舞台に立てた名馬といわれる馬たちは生まれてくる多くの馬たちの最頂に君臨する。誰が骨を折った位で死なせたいと思うものか・・・

でもサラブレッドは3本の足では自分の体重を支えられない。体をつるして体重を支えようとしても残ったひづめが腐り、敗血症を起こし、苦しみもがいて死んでいくしか方法が無いのだから・・・

愛する友が死の淵で苦しむ時、私自身はその子の状況がもし自分だったらどう言うのだろうかと考える。
この先に何かもっと楽になる方法はないのかと考える。
その方法が無くなった時、苦しみしかなく、やがて来る死を待つ間中
痛みや苦しみに体や精神をさいなまれるなら、深い深い眠りに付かせてやることは最後の愛情だと思う。

人間は哺乳類いや全ての動物の中で最高の知能を持つ最高の生き物だから、だから他の生き物の命を絶って良いとは思わない。人として正しい判断として苦しみから解放する最後の手段として行うなら、それは罪ではないのではないかと思っている。

私自身も2回安楽殺の方法を選んだ。ただその方法を実行する前に私の愛する友達は、天国に昇っていってしまった・・・もっと早く決断するべきだったのか、あの子達を思い出すたびにこれでよかったのかと思いをはせる時が有る・・・人には尊厳死と安楽死とを選ぶ権利があるとかないとか・・・様々な論議もあるようだが、家族に愛されている犬から、何を一番求められているのかを判断するのは飼い主以外の誰でもない。



願わくば、安楽殺という方法は、飼い主自身が楽になるために行われるのではなく、犬自身のために行われる方法であって欲しいと願っている。

犬の苦しみを取り去ることで選ぶべき選択であり、介護する飼い主が犬が頑張っているのを見るに忍びなくて早まった決断を下すのだけは避けて欲しいと願っている。
自分だけで判断を下さずに信頼できる獣医さんの助言を参考にし最後の決断をして欲しい・・・。