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2009/03/06 Fri

環境と条件

犬を育てる時に重要になるのが環境です。都会で育つ犬でも多くの環境条件が異なり、地方で育つ場合も同じくです。
仔犬の時代にいかに馴致をうまくやるかは育てる必須条件の一つですが、環境だけはそう簡単に変えられるものではありません。


我が家の場合をいえば、住宅密集地でありながら角地に立つ環境で家の前面と右側は道路に面しています。
隣接している家は裏と左隣のみです。
道路を隔てればすぐに家があります。
道路に面した部分は庭と駐車場になっているので犬たちが外に出れば道路を通る人や車の物音がすぐに聞こえてしまいます。

学校がそばにあるので朝と夕方は学生がわいわいと通る通学路に面し、甲州街道から浜田山(井の頭通り)への抜け道なので車も意外に多く通ります。

家から2分とかからないところに大きな公園があり自然の中での散歩は優雅にできる環境です。
公園を抜けると川沿いの遊歩道に降りることができ、ここは多くの飼い犬たちが散歩コースとして愛用しています。
川沿いの道を抜けて交通量の多い街道を横切ればまた最初の公園よりも大きな公園にたどりつきます。

ここは最初から犬をリードをつなげてあれば入園可能とされて作られた公園なので、近くの公園とは違い多くの犬たちが飼い主とともに散策に来ています。この公園を抜けると井の頭線にぶつかり商店街へ抜けるためにはどこを通っても踏切を渡る必要性があります。
踏切を越えればいきなり商店街です。
店も多く人通りも多いにぎやかな場所です。
それを過ぎると井の頭通り、左に向かえば環状8号線です。
逆コースからは甲州街道と大きな車がスピードを上げて通る道路にもすぐに出ていける環境なわけです。


こうした場所を徐々に抱っこしながらお散歩していき馴らしていける場合と、静かな環境の中でしか歩けないとか、逆にいきなり大通り等に面していて静かな場所から始められないなど馴致に使える環境は大きく違います。

仔犬の時代に抱っこのお散歩が大切ですと伝えてあっても、人通りのない静かな環境しか歩いていない犬や最初からドキドキしたまま地面に降りられる時期が来てしまった犬と、少し筒経験させながら上記の環境を使うことができた犬では予防注射が終わって道路におろしてからの状況が同じなはずはありません。

シャイさがあっても克服した方がよいものを多く伝えられた犬と伝えられていない犬とでは表現も異なります。
仕事を持たれている人の場合にはなおさら夜しか行けなかったりするでしょうし、犬の馴致にかける時間は同じでも環境から学ぶものが違いすぎるのは事実です。
少ない時間の中で馴致と銘打って犬に無理をかけたやり方をすればシャイさが出ていなかった犬でさえどんどんシャイになってしまうことも否めません。


環境が整えられないのは仕方がないのことなので使える時間の中で無理をしない環境を整えることがまず第一だと思います。
我が家では上記の環境がありながら使うことができない状況のことが多いです。
数頭の犬との暮らしではない部分が条件を異ならせます。
ではその時に環境を使わずにどうするかでしょう。


夏のように気象条件が問題になってしまう時期以外はできるだけ人が伴って庭先でいろんな音がしても問題が起きないことを学習させます。

学習させるといってもやっていることは単純で洗濯物を干すために庭先に出ておいでと子犬を呼び出し、音に反応しない犬も一緒につれてでます。
いなければ子犬だけでも構いません。
私はやらなければならない作業を淡々とこなしながら子犬の様子を観察します。
怖がってしまう子は隠れられるような場所に避難するし、気にしていない子はそれなりに遊び始めます。
毎日同じことを繰り返しているうちに庭という環境に慣れ、聞きなれない音だけに反応しても通常聞いたことのある音には反応しなくなってきます。

仔犬の起こす反応が吠えることであった場合のみに吠えたことはたしなめますがそれ以外は自由にしておきます。
玉に呼び掛けてそばにくるように仕向けたり、休憩と称しておやつを食べたりするときに子犬にフードを少し与えたりちょっとしたピクニックを狭い庭で行います。

車がない時には駐車場も開放し遊ばせていきますが、シャッターがトラックの振動等で音が出ても慣れてしまうのです。


2カ月の時には怖がった子も、3カ月にはそんなそぶりは見えなくなります。


車で近くまでしか行かないような場合と子犬を同行して問題ない場合の時は常に一緒に載せて歩きます。
連れ合いの駅までのお迎えや息子を目的地まで送る時や、ちょっとした買い物で子犬を車に残さないで済むようなタイミングを使ってです。

仔犬を連れて車に乗る時に私は抱っこ袋のようなものに子犬を入れて抱いた状態で最初のうちは載せていきます。
仔犬が慣れて抱かれていなくても問題が無くなるまで繰り返していきます。

車に乗ることが苦にならなくなったら後ろの座席から前に来てはいけないことを教え(協力者がいないと難しい)ドライブが好きな子に仕立て上げていきます。


庭はあっても天気が悪ければ使えません。
夏のように気温が高い時や蚊等があまりに多い時期も使えません。
こういうときは涼しくて犬を連れていけて人がいっぱいいるような場所が馴致には最適なので、JマートやSVなどを利用します。

買い物に行くならこっちへ行こうと行く先を通常の場所から変えて連れだせるように配慮するわけです。

こういう場所を利用するときに私はほかの人に子犬を接触させずに行動します。
話しかけられたらもちろん話はしますがあえて子犬を触られないように気をつけています。
ほかの犬に対して吠えられたり吠えてしまった場合にはなだめたりたしなめることはしますが叱りつけることはしません。

ママがいるから大丈夫よと理解させたいのでそれに沿う行動を起こします。仔犬の起こす行動に合わせるのでやり方はさまざまです。
通常ならそんなにかからずに終わる買い物を子犬のためにピクニック気分でぶらぶらと歩き回りできるだけ長く使う工夫をしています。

いくら連れて行ってもすぐにその環境から抜け出てしまっては子犬が理解するには不都合だろうと感じているからです。

エアコンも効いて涼しいしゆっくりのんびり抱っこのお散歩をするわけです。これなら休日しか使えなくても誰にでもできるだろうにと思います。


犬用のカートに載せたり、ほかの人に触ってもらったりするのはずっと先の話で、抱っこの散歩を環境を変えて私の場合には犬同伴OKのJマートでしてみるのです。
通り過ぎる人も、カートに乗った犬も、吠えかかって来る犬も、ママに抱かれている限り自分には問題が起きないんだなと犬が理解出来たあとは徐々に話しかけてくれた人と連れている子犬の状態を見比べて大丈夫だと判断で来て初めて触ってもらうわけです。

シャイな犬になってしまうのはこの工程を簡略化した場合に起こると感じています。
馴らすために無理にほかの人間との接触を強要したり、場所をいろいろ変えてしまったり、飼い主を頼れない状況にしてしまったりすれば、何もかもが怖いシャイな子になるのは当然です。


実際に行動してみればたったひと月くらいの時間なのに、同じ兄弟姉妹であっても、我が家で育てる仔犬と3カ月の時点で既に差ができてくるのは環境の利用の違いだけだろうなと感じています。

最初は小さな差であっても、月日が過ぎていけば大きな差になってしまいます。


環境は作れなくても条件は飼い主が整えることができます。
生まれおちた時からずっとそばにいて体温からにおいから安心できる人間なのだという解釈のある私たちの方が新しく飼い主になった人よりもずっと有利に決まっています。
不利な部分があるのだと知った上で、子犬に無理をかけないで怖がらせない育て方は飼い主にしかできない重要な部分です。

最初の手間を惜しまなかったものがおおらかな犬を作るといっても過言ではないと思っています。

2009/03/06 Fri

家族との信頼関係

犬と暮らす相手には自分だけではなく家族が伴う場合が多いと思います。
我が家は私のほかに連れ合いと息子が二人です。
連れ合いの両親も同居していましたが数年前に亡くなり今は4人家族です。

息子一人は犬にかかわる仕事を望み多少なりとも勉強していますがもう一人の息子と連れ合いは犬のことには一般の人と同じレベルで多少は一般家庭ではありえない数多くの犬たちと暮らしている分犬の声が聞こえているかもしれません。


犬について多くを知らない人が家族であることは通常当たり前です。
家族は子供もいるでしょうしお年寄りもいるでしょうし、あとから生まれてくる赤ん坊もあるでしょう。一般的には子犬を教育する時に家族にも協力を仰ぎ同じ言葉を使おうとか、同じ方針で犬に対応しようとか言われていますが、現実的には非常に難しいと思います。


犬を飼うことを了解できた家族の場合、犬を好きである、可愛いと感じているという部分は共通です。
そして犬についてよく知らない人の方がより多く犬に対して媚び、犬から使われる人間となることが多いものです。
これは自分が犬に好かれたいという願望からくるもので、飼い主自身にも起こりえることでしょう。
飼い主自身は同じ状況に陥っては元も子もありません(笑)


犬に通じた人間は犬に対して媚びへつらうと、犬自身が飼い主を頼れる相手だという認識がつかず願望通り犬に好まれない状況を作ることを知っています。ですが、見た目には犬の要求を受け入れる人間の方が犬が好んでいるようにも見える部分に飼い主は間違いを犯すのです。
飼い主とその家族は犬への対応が違うのが当たり前なのだと考えていれば、家族が犬を甘やかしても気にならないはずです。


核家族で子供を育てるときとは違い、祖父・祖母がいる条件での子育てと、犬の人の家族の中での育て方には類似性があります。
子供は愛情の伴う厳しさを親からは受け入れますが、祖父や祖母からは愛情が伴っても厳しさを受け入れにくいものです。

ですから多くの場合おじいちゃん・おばあちゃんは孫に甘くてうまく行き、おこずかいやおやつなどで孫の機嫌をとってもいい関係が出来上がります。
その背景には親がいて厳しい制限もかけてあればなのだろうと思います。
祖父や祖母をまねて親自身が子供の機嫌を取りながらおやつやおこずかいを交換条件になびかせる手法は多少よい部分もあるのかもしれませんが、教育とはほど遠くなってしまうのではないでしょうか?


私はそんな考えのもとに家族が犬に対して問題になるであろう最悪のやってはならないこと以外はすべて大目に見ています。
犬は飼育される家庭の中でかわいがられるべき存在であり、飼い主自身のいうことがどんなに聞けたとしても、家族が触ることができないとか、威嚇行動をとるとか、散歩等に連れだせないとか、ある程度の言うことを聞こうとしない等では犬と暮らしているとは言えないと思うのです。

多少甘やかしていても飼い主自身がルールを決めていてそれに従う意思を犬に対して作らせてあれば通常家族とよい関係を作れるのが犬です。
家族は祖父祖母が孫に対するように無償の愛で付き合えばよく、飼い主だけは犬への責任を持って正しく教育すればよいと考えています。


犬からの答えを受け止めながら教育していけば、仮に食べ物を使わなくても、家族が食べ物を使っているのにいうことを聞くのは飼い主の方になります。
犬は群れ族というシステムを持ち、リーダーに従い行動するという本能を持つ生き物で仔犬が従うべき最初のリーダーは母親で、飼い主は母親の代わりになればいいのですから。

母親はほかの誰よりも仔犬に対して多くの時間と手間を裂き、子犬が群れの中で生き抜くための術を伝えます。
飼い主が同じことができれば、一緒に暮らす家族に対しても愛情深い表現を起こしかわいがられる存在になり、なおかつ飼い主の命令には従う犬と成長します。
家族に伝えておかなければならない犬に対しての配慮は、相手が大人(または小学生の高学年以降)の場合、犬をからかうことが嫌われる原因になると伝えることと、無理やり抱きしめたり捕まえたりすると嫌われるということくらいです。
また意味無く叱りつけたり言うことを聞かせようともがけばもがくほど言うことは聞かないのだと伝えることも事によっては必要な場合もあります。
飼い主からの意見は、家族に聞く意思がなければ犬はそれに沿った行動を起こしますし、参考にして行動すれば望んだように変化することはすぐにわかるでしょう。


子供の場合には彼らに任せておく方が多くの場合うまく行きます。
彼らは子供であるという共通点から相手を理解することが早くお互いにやられて嫌なことははっきりと断れるし、やってほしいことは要求していきます。友達になるからです。

大人がそばで見ていて目に余る行為があった時のみ介入し、「喧嘩両成敗」のルールにのっとって平等に犬も子供もたしなめることが大切です。
人間の子どが優先としてしまうと犬は理解不可能になる場合もあり信頼関係の構築が望みにくくなります。


犬は犬なりに家族に対してどの人のはここまで許せるとかを決めてくるので、その度合いは家族それぞれに違いが出てくることを知っておくとよいでしょう。


たとえばうちでは下の息子が一番かわいがっている犬のひげを引っ張っても遊びだと解釈しているのでその犬に嫌われて避けられたりすることはありませんが、接触の度合いが少ない犬に同じ行動をすると嫌なことをする奴だと明らかに避けられるようになります。
息子を避ける犬に私が同じ行動をしても私を避けることはありません。
つまり信頼関係には度合いがありすべてが同じ条件下にないのだということです。


家族を信頼しかわいがられる犬に育てるのは飼い主以外にはいません。
アマアマな家族に行動に対してむっとすることもあるでしょうが太っ腹になって寛大に見られてこそ犬たちから一番の信頼を得られる相手になれるだろうと思います。

2009/03/06 Fri

我が家のルール

それぞれの家庭にそれぞれのルールがあります。
我が家にも、のんびりゆったり暮らしていても実際には犬たちに守らせる絶対的なルールが存在します。
あれもやらせない、これも禁止と書き出していたら何ページにもなってしまいそうなくらい実際のルールは多いです。

その代わり、ルールに縛られて窮屈であるという感覚を犬たちが持たないで過ごすような配慮はして生活しています。


我が家は住宅街の中にある一般家庭なので、数多くの犬がやたらに吠えたてられると非常に困る環境にあります。
かといって声帯を切って飼おうと思ったことは一度もありません。
そんな事をするくらいなら手間を惜しまず犬に理解させる方法を選びます。

犬には生まれもって神様から与えられた言葉を使う権利がありそのために声帯が存在するのです。
声帯を使わない生き物なら退化しています。

使っているものを私の都合でなくすことができません。


なので無駄吠えはことごとく止めます。
全く吠えてはいけないということではなく、私たちが迷惑だと感じる吠え方や回数、時間帯、など条件によって止め方も厳格さも違いがありますが、基本的には「やめなさい」と言われてその行動を停止させるを原則にしています。

言葉かけで停止しない場合には年齢と理解度によって強硬手段も使います。
解釈はいろいろあるでしょうが私たちにとっては犬への愛の鞭です(笑)


ごみ箱をあさったり、テーブルの上にのったり(うちは座卓なので低いテーブルです)そこら辺に置いてある食べ物を勝手に食べたりすることはものすごく叱られて育ちます。
最初からやらない子もまれにいますがたいていは黙ってみていれば仔犬のうちはやりたい放題やってくれますから、やめさせたかったらやらせてみないとやめさせられないを原則に、犬の行動を観察しながら教育するわけです。

犬は自分のする行動が正しいことか正しくないことかの理解は最初からあるわけではありません。
行動を起こし、それが自分にとって嫌なことが起きたり驚くようなことにつながったり、相手に威嚇されたり攻撃されない限り、問題のないことであるという解釈しか付きません。

つまりやったあとの飼い主の行動が大切で、禁止されたのか嫌がっているのか、望まれたのか、犬が理解しなければならない行動を飼い主側が求めなければ教育できないのです。
また犬は非常に単純な解釈しかできないので、一度や二度で一生忘れないように覚えるものもありますが、それはトラウマに近いものであり、通常の生活上の多くのことは繰り返される条件の中で自分の都合のよい方に選択肢を変えていく生き物です。


つまり人間の方がある一つの事柄について都合のよいものに解釈するように教育できたと認識していても、タガが緩めば犬は緩い方を選ぶということです。人が緩い方でもよいと伝えたに過ぎず、犬のせいではありません。


このことを踏まえ、我が家ではひと・犬に限らず、攻撃を加えることは何があっても許せないことの一つと教えてあります。
もちろん犬同士の場合、つついたり、怪我をさせるほどではない表現の場合には必要なことという認識の場合にはたしなめないこともありますが、加減を知らないような行動の場合と、相手が人だった場合はこの限りではありません。

大人ばかりの家庭の中で育つ犬たちであっても、近づいて来る人間が赤ん坊や、子供やお年寄りなど、苦手、または犬にとって見知らぬ不思議な生き物として見える相手であっても、ほえついたり噛もうとしたりする行為は我が家の犬たちにはあってはならないことという教育をしています。

これは自転車やオートバイなどの人が乗っていることが見えているものも含みます。


犬はテリトリー意識の高い生き物ですが、住宅街で生活しているときに家の周りでする音を怖がりすぎたり、通る人に対して吠えかかったり、意味無く吠え続けていたりすることはとても困る現象だと思います。
うちの犬たちはこうした行為を全くしないわけではありませんがするたびに叱られて制限されています。

若い個体ほど叱られたからとすぐにその行動を止められるわけではありませんが、吠える必要がないと知った犬たちが増える中で自分の行いが叱責の原因であることは徐々に理解しますし、ほかにも条件を変えて1頭で問題を指摘され制限されることの繰り返しからほかの犬と同様の行動に準じてくるようになります。


選挙カーが通り、さおだけ屋さんが通り、豆腐屋さんが笛を鳴らし、学生が奇声をあげて通り過ぎて行く環境です。
大きなトラックが通れば駐車場のシャッターがガタガタ震え変な音も出ます。毎日郵便配達の人が来て、宅急便のお兄さんがきて、通学の小学生の子供たちが、近所のお年寄りが、赤ちゃん連れのお母さんが、犬がいっぱいいるねと門越しに覗きこんでいく家で、庭先や駐車場でうろちょろしている犬たちが全く吠えないで静かにしていられるようにすべてを教育し切れているわけではありません。

でも、「誰かがのぞいているよ!」「誰がきた〜!」と吠えたら最初にかける言葉は「やめなさい!」です。

状況が分かっていても決して「わかったよ」「ありがとう」とはいいません。

吠えずに伝えに来たら「いいこだね、ありがとう」と頭の一つもなぜますが吠えたらまず制限するが一番なのです。

そうしないと次からどんどん吠えるようになって行くからです。


室内でも同じことが言えます。
年をとって耳が聞こえなくなったり、人の話がよく理解できなくなった年齢の子は別として、10歳前の犬たちなら室内でも同様だということです。

窓から見えるものに対して吠えたてたり、興奮して部屋中走り回ったり、やめなさいと言われてやめてくれなかったら我が家の頭数では大変なことになるのですから。。。


ちなみに我が家の犬たちでは飼い主の言うことをちょっとへらへらしながらこのくらいはいいよねという表現をダックスの方が多くします。

でもそんな子たちでさえ、こちらが本気で行動制限をしに来た時はピクリとも動かずに数分耐えることができるのです。言葉だけで…。

あのガサツなダックスでもです(笑)

通常お客様の前では本気で叱らないのだということを犬たちはよく知っています。
目に余らない限り本気で叱ることはなく来ているので多少ずうずうしい表現が多いかもしれません。
幼い子供と同じです。


我が家の基本のルールは「やってほしくないことは必ずやめさせる」だけです。
一つ一つは常識の範囲で、自分たちが困るというよりも、他人から見てあんな犬は嫌だなと思われないような犬にするために多くを教えています。
教え方は、母犬や群れを形成する犬たちが仔犬に対して群れのルールや犬としての常識を教えるやり方をまねて人ならその方法をどう使うかをMAGICSTYLEと呼び作り上げています。

一般的に使われている強制訓練、陽性強化法は時と場合によって利用することはありますが、多くは独自の教え方です。

餌や物による代償行為も使いませんし、犬が恐怖によって行動の制限をするような強い禁止も使いません。

犬からの理解の度合いを把握し、その犬に合わせた方法論の選択から伝えていく作業を推奨しています。


なぜなら犬と付き合うということは彼らの意思を認めなければこちらの意思も認めてくれないと長い経験の中から知ったからです。

2009/03/06 Fri

私の理想の犬

誰にでもこんな犬と暮らしたいという理想の犬がいると思います。
私の理想の犬は大まかに言ったら飼い主だけを見てくれるオンリードッグでしょう。


オンリードッグというものは飼い主のそばを離れないシャイな犬のことではないのですが、そういう表現の犬を指していることもあるようです。

ちなみに私は違う犬を指しています。


1:飼い主を一番大好きな犬。
2:簡単な人の言葉が理解できる犬。
3:苦手なものが少ない犬。


飼い主を何よりも好きな犬がまず第一です。
家の中でも外で思い切り遊んでいても飼い主から声がかかったら大喜びで飛んでくるような犬です。
また、たとえ嫌なことをされるとわかっていても飼い主であれば言われたことに従える犬のことを言っています。

爪切りとかシャンプーとか足をふくとか獣医さんに行って診察台の上に乗るとか、知らない場所に連れて行かれるとか、やりたくないことをされることが分かっていても従える犬が良い子だって思います。


いくら好きでいてくれても全く言葉が理解できない犬は困ります。
犬との共通語はボディーランゲージしかないと言われてきました。
でもある程度の知能をもつ犬たち同士は声帯を持っているので、ちゃんと独自の音のコミニュケーションをとっています。

つまり簡単な明確な言葉程度なら犬にも人の言葉の意味を伝えることができ、理解させらます。
ただし幼い時期から豆に言葉をかけて犬が理解できるような環境を整えなければ難しいことですが。
簡単な言葉が理解できるように育てられると犬との暮らしは格別なものになります。
相手はただの話の通じない犬ではなくなるからです。



苦手なものが少ない犬は飼い主の育て方以外に生まれもったものも関係します。
犬はみな同じ犬ではないので苦手なものはそれぞれ違い、怖がる程度もまたそれぞれ度合いが違います。
嫌がるもの怖がる物の数の多さも、最初から0の犬はいません。
苦手なものが10ある犬と20ある犬とでは数多く苦手なものを持つ犬の方が悪いとは限らないということです。


苦手なものを減らしていくため・怖がる程度を少なくするにはその理由を知らなければなりません。
こまやかな観察力を持ち、タイミングを逃さない行動力が伴う人なら、多くの犬の苦手なものを減らすことができます。

苦手なものがたくさんある犬を「こういう犬だから」と言ってしまうのはあまりに犬が気の毒でしょう。
生まれもったものからそのままであれば人にとって都合の悪いものが表現されることが多々あります。
ですが我が家の犬たちは血統の流れも違い、表現がかなり違う犬たちが生まれてきますが、うちに残っている犬たちの表現はあまり違う子はいません。

生まれもったまま育てるのではなくその家に沿うように修正するから同じような表現の犬になるのだろうと思います。


経験からいえば犬の性質や表現力の多くは育てられた環境によって変化するものなのだということです。
これを環境遺伝といいます。
つまり犬は飼い主から伝えられた通りの表現を見せる生き物だということです。

たとえば問題行動が多く手放された犬がその犬を理解できる飼い主に巡り合えると名犬に変わることがあります。
プロのトレーナー等がレスキューした犬の中には、隠されている本質を見出し、それを伸ばすことによって職業DOGに生まれ変わることすらあります。

一般の家庭でも細やかな愛情豊かな飼い主のもとにレスキューされると穏やかないうことの良く聞ける犬になり、手放された理由すら理解できないようなこともあるほどです。
このことは逆にも言えることで、どんなに素晴らしい素因を持った犬でも、環境次第で育てにくいと思われる犬や、問題行動を起こす犬になることもあるわけです。


私の理想の犬は上記を踏まえ、飼い主以外の人間に媚びず、誘惑に負けずに飼い主からの指示に従える気持の大らかな犬です。
ドッグスポーツの競技を楽しんでも結果が一番ではなく、スイッチのオンとオフを飼い主にゆだねられるくらい信頼関係の深い犬を理想としています。
競技自体や使うアイテムに反応するのではなく、飼い主と一緒に楽しむことを喜びとしてくれる犬が理想の犬です。


DISCやボール等の犬の大好きなものを持っていると何でも言うことを聞くとか、食べ物をもらえると常に期待しているとか、競技をすることだけが喜びとなってしまう犬はどんなに良い結果をもたらしても私にとっては理想の犬ではありません。

我が家はドッグスポーツを楽しみますが、結果を求めて犬を使ったことはありません。
教えてきたことが結果につながった時は大いに喜びますが、教えている・教えられている時間が楽しいのであってそれは人も犬もその時が娯楽であればよいという考えでいます。


私の理想の犬は散歩等でひとや犬に出会った時に逃げ出したり威嚇したりせずに穏やかに挨拶ができる程度でよく、自ら飼い主以外の人になぜてなぜ手と媚を売るような犬ではありません。

また意味もなく吠えかかったり飛びついたり追いかけたり、犬の意思で動かなくなってしまうような子ではありません。
ドッグスポーツをするときにも静かに始めるよという合図が出るまでおとなしく待っていられる犬であり、どんなに好きなことでも興奮してやみくもに切れて走るような犬ではないのです。
また飼い主と一緒である認識が高く、ほかの犬たちがたとえ大好きなことを目の前でやっていても興味を持ちつつ無視できるくらいの犬が良い犬だと思います。


つまりDISCやアジリティーなどをほかの犬がやっていてもコースのすぐ横でリードなしで黙って座って順番が待てるような犬です。
そんなことができるはずがないと言われる方も多いでしょうが少し筒教えていけば犬はこの程度のことは理解できるものなのです。
一般家庭で愛情を十分に受けて言葉をたくさんかけられ意味を理解できるように育っている犬は手間もかからずいきなりでもできてしまう子もいるくらいなのですから、訓練によって教えるものとは違うのでしょう。

ですから我が家に限っては、自分と暮らしている犬について、競技の結果よりもこちらができないことに失望を感じ、わが家族は「未完成」と評価します。


通常いわれるオビディエンスは形を教えるものであって行動を教えるものとは違うのかもしれません。
犬と楽しく幸せに暮らすために必要なことはオビディエンスではなくしつけといわれる家庭内のルールの徹底に尽きると思います。

そのルールは犬が嫌いな人にも犬は嫌いだけれどこういう犬なら認めてもいいかなと思わせるようなものでなくてはならないと思うのです。

最終的に犬を怖いと感じている人や嫌な経験がある人が我が家の犬との接触を持ち犬への理解に良い変化が起きるような犬を理想としています。

2009/03/06 Fri

初心に帰る

子犬を育てるときから老犬になってしまっても、飼い主が忘れてはいけないことがひとつだけあります。
仔犬でも成犬になっていても彼らが良いことをしたとき(特に飼い主から出された指示をこなせたとき)心から喜んであげるということです。
私が犬たちと暮らす中で一番大切にしていることです。
特にシェルティーは本気で喜ぶとすぐにその気持ちが伝わります。


仔犬のしつけにはじまり、成犬の訓練でも良く聞く愚痴が、飼い主(自分)はこんなに褒めているのに犬が喜ばない、喜んでいないということがあります。実際、話だけだとほめているのに何で喜ばないのかしらと不思議に思うことですが、実際に見させていただくと、確かに傍目から見たら飼い主さんは形は精一杯褒めてあげているけれど、心からかなぁって疑問に感じることが多いものです。
そこで、よ〜く話していくとやっぱり本心からよろこんではいないことが多いのです。
本心からじゃなくちゃその気持ちは犬には伝わっちゃうわねということでしょう。(苦笑)
人はとかく一度出来たことは『出来る』と決め付けてしまいその上を求めてしまうからなのかもしれないし自分が思ったとおりの動きにならないことを認めようとしないのかもしれないからかもしれませんが。

相手は幼稚園児だと思っていればそこまで厳しくならずにすむものですが、なかなか実際は難しいようです。


犬は人と違って特殊な能力があります。

それは現在では人の体に出来た癌を発見したり、てんかんの発作や心臓発作を事前に教えたりするような人の体から発せられる特殊な匂いや電流のようなものを察知したりする能力を持つ犬がいることでもわかりますし、ごくごく身近なものでは飼い主の帰りがわかるとかのように、飼い主の足音から発せられる電気信号をかなりの距離からキャッチできたり、飼い主に対して発せられる危険を察知できたり、地震がわかったり、テレパシー以外には考えられないといったものまでまぁ色々とあるものです。


もともと、人間は犬の持つ能力で勝てるものと言ったら知能の部分だけで、鼻も利かないし、目だって動体視力はかないません。
耳で拾う音も問題にならないほどの違いがあり、走ったとしても、まず子犬にだって負けるでしょう。
犬は同じことを同じ時間に数回繰り返すだけで時計を見なくても時間がわかります。
アジリティーのようなコース、DISCのルーティンも正しいものを1度か2度こなすだけですべて覚えてしまう記憶力の高い生き物です。
飛ぶ能力だって自分の肩の高さくらいなら練習などしなくてもどの犬だってほとんど飛ぶことができるのです。
たとえ数日でもとても愛されて犬の記憶に刻みつけられれば数年会うことがなくてもちゃんと覚えています。


こんな特殊な動物を相手に、人を騙すかのように簡単に騙せるはずがないとは思えないでしょうか?

人は言葉巧みに笑顔で接しているとかなり簡単に騙されてしまいますが、あいにく犬はこういうことにかけてはそうは行かないわけなのです。
犬にはポーカーフェイスは通用しません。

犬は人が発する本当の心の動きを実に良く察する動物だと思います。
それは緊張感や昂揚感から発せられる匂い等が嗅げるのか、フェロモンのようなものが出るのがわかるのか、心拍数の変化に気がつくのか、血圧の変化に気がつくのか、微妙な癖のようなものの動きで見つけてしまうのか、いまだ科学的に証明されていないのです。

とりあえず表情ではだませないことはうちでは証明済みです。(笑)


犬は自分に対して人が媚びているのかも知っているし、表面だけでよろこんで見せているのかも知っているし、悲しみの深さや、心の深い傷にも敏感です。考えてみれば実に恐ろしい動物ですね(苦笑)
こういう動物とうまく付き合う方法がひとつだけあるとわたしは考えています。

それはなにはともあれ本心で付き合っていくことでしょう。


相手が犬ではなく同じ人間だと思えばおべんちゃらが聞かない相手に何もおべんちゃらは言いません。
そんな事をしても無駄ですから(^−^)
媚びへつらった所で、『それが何ナノ?』と言う相手に媚びたって仕方がないはずです。
そんなことをしていたら『私は自分で好きにやるわ!』と言い放つのが犬なのです。(笑)

人と同じなんです。感情を騙せない能力をもつ長けた犬相手に、何もそれ以上もがいて騙そうとすること自体が無駄な努力じゃないかと思います。


もし犬相手ではなく人だったとしたら何かをして欲しいと頼まれ、それをこなしてあげたときに相手が形だけよろこんでいるのがわかってしまったらどんな気持ちになるでしょう。
本当はちっともよろこんじゃいなかった。実際は心の中ではまったくこんなことも出来ないのかしらとか思っていたらね・・・

騙すという表現はおかしいかもしれないけれど、本心が犬に伝わってしまうのですよと言いたいのです。
要するに形ばかり褒めたところで飼い主が本当に嬉しくてこの子ってすごいわって思わない限り、犬にはうれしい気持ち・心が通じないよといいたいのです(笑)


犬に何かを教えるときに人は必ず最高に嬉しいと思う瞬間を必ず感じます。
それは初めて教えたことが出来たときのその喜びと感動です。
これを毎回犬のために本心から同じように喜べる人が犬との関係に早く成功していくのではないかと思います。
その犬を本当に大すきじゃなくちゃそれは表現できないと思うし、だからこそ飼い主だから作れる関係というのが存在するのだと思います。


犬は何のために人からの指示を聞くのでしょう?

わたしは飼い主さんによくこの問いを出します。
褒められたいからじゃないでしょうか?って答える人が大半です・・・(~_~;)わたしは質問し、いつもこの答えを聞いたあと必ずコウ答えることにしています。


『あなたを大好きな犬なら、あなたのよろこぶ顔をみたくて、あなたを喜ばせたくて、あなたの指示をこなしてくれるんですよ。人のように自分が褒められたいからじゃないんです。。。犬は人よりもずっと献身的な動物なんです。だから、飼い主は犬に答えてあげて欲しいと思います。その心を汲み取って・・・』


犬と素晴らしい関係を作った人ならきっとこの言葉の意味を理解してくれるだろうと思います。
飼い主自身が自己中心的な考えや行動では犬の心は開きません。

代償行為での行動ではなくできるということは、恐れや恐怖からではなく行動してくれるということは、信頼しているということに等しいと思います。


人が本心から喜ぶと言うことは感じたことがあるはずのあの感激を、うれしさを思い出しそのたびに同じように想うことです。

これが結構難しいので、多分毎度『初心に帰れ』ということになるのかもしれないですが・・・


まぁ愛犬親ばかナンバーワンを自負する人なら、きっといつもどんなことでも大喜びしているだろうとは思うけれど
何かに躓いたら思い出すと役に立つかもしれない、コラムでした。(*^。^*)
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