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2009/03/06 Fri

躾はさまざま

犬のしつけにはさまざまな方法論があります。
昔は強制訓練と言うのか力で犬を押さえる訓練方法が主流でした。
最近は打って変わって褒めて育てる訓練方法が大流行です。

でも、根本は何も変ってはいないのではないでしょうか?。

犬のしつけの根本になるものは人間の支配欲から来る自分に従わせるという観念であると思います。
こればかりは表面でいくら褒めて可愛がって育てましょうと唱えたところで、なかなか打ち破ることの出来ない大きな壁なのだと思います。
元々人間は最高の哺乳類であることに気が付き、多くの動物に対して君臨してきています。
それは今も昔も変りません。家畜という制度自体を考え出したあたりから続いている恐ろしく長い人間の歴史なのですから。


このことを前提において、犬と自分が良い関係を築く努力をしなければ、記録に残っているような真実の物語に登場する、または映画の中にあわられる様な理想的な名犬に育ってもらえないものかというのは大げさだとしても、誰からも認めてもらえるような良い犬になって欲しいというのはいささか無理な話だと思うのです。


名犬といわれた犬たちの過去を遡り、その飼い主との関係を調べれば調べるほど、彼らは犬として扱かわれてはおらず人間に対するのと遜色なく接してもらい語り掛けられ、いつくしまれている犬たちがほとんどでした。
もちろんなかには無償の愛によって大きな犠牲を払った後に飼い主がその尊さに気が付くといった事例も多くありますが・・・

MAGICと名乗る私はたぶん犬を犬と思ったことがほとんどないのだと思います。
幼い時から接触してきた数多くの犬たちから自然と学んできたバックグランドがあり、それが彼らを友人として受けいれてしまう根源のように思います。親としてかかわるようになってからは、まだ言葉のしゃべれない幼い子だという認識で毎日を暮らしてしまうのですから。


それは犬たちが人間で言うそれなりの歳になっていたとしても彼らが永遠の眠りにつくその日まで変ることはない不変の自分が造ったルールなのでしょう。だからすべての犬を飼う人がこうした気持ちを持たなくてはならないとは言いません。
私はこうした気持ちを持って犬たちと暮らしているということにすぎないだけです。


私がこの総合サイトMAGICWORLDの中に紹介している事柄の多くは、犬を知っている人にはなおさら理解しがたいであろうルールのうえでこそ成り立つものです。
言葉がわかる。話ができる。
そんな犬と暮らしたいからこそ彼らの代弁者となりたくて書き連ねています。
それを踏まえたうえで、もし興味があるなら最後まで「ニヤリ」と笑いながら読んでいただければと思います。
そして大変申し訳ありませんが、私は私の理論で犬たちと暮らし充分に満足しているので、反論はご遠慮ください。<(_ _)>


たとえば「良い子にしよう」ってどういうことを言いたいのでしょうか?
私は一緒に暮らす家族だから、自分の子供と同じように、パパやママが大好きで、何があっても必ず助けてくれると信じていて、尊敬してくれる子にしたいと思います。
犬だからこそ、言葉が伝わる関係になりたいです。


明らかに間違っている行為は悪いことと言う認識があり、それをしないでいられるのが良い子だと思います。
でもそれが無理ならせめて親がいけないことだから止めなさいと止めればやめることが出来るなら犬の場合にはそれで十分じゃないかと思います。

人間の中学生レベルのように大人がいなくても自分の判断でいけないことはしないでいられる程度などと高望みはしていません。
犬には完全なる禁止として教え込むことはできますが、私の知っているものは恐怖心からその行動を起こさないように刷り込ませるものしかありません。

そんな方法を使うくらいなら自分の時間と知恵を犬たちのために使ったほうがましです。
2・3歳児の幼児が見ていない時もいけないことをしないでいるとしたら単に興味がないからです。
興味がないことがよいことではなく興味を持ってもやらずにいられることは理想ですが、人間でさえ幼児には無理なのですから犬だったらなおさら無理だと判断しています。


理不尽な命令にまで従う必要はないけれど、親(この場合飼い主)の言うことは聞ける子であって欲しいということに尽きるのです。


自分の子供に置き換えて言うなら、何も有名大学に入って一流会社に就職してくれることが良い子だとは思っていないのとおなじです。

これは犬なら、何かの大会に出て素晴らしい成績を収める犬だけが良い犬だとは思っていないということと同じなのです。


だから、脚側行進は飼い主のそばをはなれずにいられればヨシと思います。「握りこぶし一つ分あいた間隔で横に付く」なんって言いません(^−^)
もちろん競技会とかに出るなら練習して理想の形に近づけて挑むのは当然ですが、普通に暮らすのに、ぴったり横にいなければならないなんてナンセンスだと思っているから。。。

お散歩で多少こっちに行こうよとひっぱることは悪いことだという認識はないですし、ねぇひっぱらないでといったらあぁごめんねと傍に戻る子なら良い子だと思うわけなのです。
たまに飼い主の傍を脚側行進そのものに、わき目も振らずに歩いているペアを見かけますが、「何が楽しいのかなぁ?」といぶかしがって眺めているのが現状です。(苦笑)

反対にまるで幼子を連れて散歩するようににこやかに犬に話しかけながら楽しそうに歩くペアを見かけると心が温かくなり幸せにしてもらっているのだなぁとうれしくなるのです。


目的があったらそのために努力するのは当然ですが、毎日の生活の中で犬の行動を形で判断するのは、子供に対して勉強が出来ることで頭が良いということだと勘違いすることに等しいと思っています。
人間に対してあの人は頭の良い人だねと言うとき、その人の学力を指して言っているでしょうか?

私が思う頭の良い人とは、相手が言っていることをすばやく正しく理解・判断でき、言われたことを正しく行動できることだと思うのです。
学歴とか学力とかでは判断できない部分です。
頭が良いという表現はそぐわないのかもしれませんが、生きていくことにうまく対応できるってことを身につけているってことで、悪知恵で世渡りが上手というのともまた違いますが(笑)。


犬を良い子にするというのはまさしくこの事以外の何物でもありません。
生きていくための群れ(家庭)のなかで正しくリーダーに従い、群れ(家庭)のルールを守っていけるように育てる。

これがいわゆるしつけです。

つまり訓練といわれるものとは大きく違いがあるということになります。


人間の子供は親が教育出来なければ昔は近所の人が教えてくれました。
学校なんかサボって公園で遊んでいようものなら、知らないおじさんに怒鳴られたものです。
けんかなんかしていても近所の大人が誰かしら止めに入ってけんか両成敗とか言われてゲンコツをもらったものなのに・・・

最近じゃ、その素晴らしい行為さえも「余計なお世話」といわれるようになり、問題を起こしたはずの子供の親が大騒ぎし、いつの間にか注意したほうが悪くなるなんってこともあるようです。

学校関係でも非常識な親が問題視されていますが、社会的傾向とはいえこうしたままでいいのかは甚だ疑問を残します。
たばこを吸っている者への注意や学生同士の集団によるいじめなどになると、警察まで「その場は逃げて通報してください」なんていってる始末です・・・

大人は見知らぬものは子供でも警戒し、社会的に非常識なことすら見て見ぬふりをして自分には関係のないことだったら見物人になり下がっています。
相手が小学生や中学生でこれだもの話にならないよなって思います。


こんな世の中ですから、せめて自分の犬くらい自分で正しく教育したいと願うわけです。
犬の場合には教えるのは飼い主しかいないから余計に差がつくのでしょう。
飼い主の認識次第で犬はどうにでも育つからです。
ある意味では人の子供よりも純粋に育てられるけれど、決まり事が間違ったところからのスタートだったら宗教のようにこれが正しいと思い込むことでしょう。

ごくごく普通に犬と暮らすことは、実は人と暮らすことに等しくてこれが犬と暮らすことの基本だと思っています。


子犬を見に来る人たちの反応はさまざまです。
可愛いのは判ります。
私だって毎日見ていたって飽きないし目の中に入れたって痛くないよと思うくらい可愛いのは確かですから。
人間の赤ちゃんも同じだと思います。
でも不思議なことに人は、人間の赤ちゃんは脅かしたり、怪我をさせたりしないように気を使うのに、仔犬にはそういう気遣いが少ない人が多いです。


「きゃぁ〜可愛い〜!」と大きな声をあげて子犬に駆け寄って行ったらびっくりするとは思わないのでしょうか?
静かにおしっこをしているのに、ことさら大きな声を張り上げて「良い子でちゅねぇ〜!」って褒めるつもりでも、相手がびっくりしちゃうとは思えないのでしょうか?
捕まえて頬ずりしたら子犬はおしっこをしたのが良いことだったなんて思うと考えているのかすごく不思議です。
人の赤ちゃんだったら理解できないでしょうから。


子犬の心臓がバクバクしちゃうようなことを人は簡単にやってしまいます。
自分を相手が認識していなくたってそんなのかまったこっちゃないっていう行動は、呆れさせられます。
初めて会う人間の赤ちゃんを見せてもらいに伺うときに大きな声を張り上げたり、嫌がる赤ちゃんを無理に抱いたりしたりはしないはずです。


人見知りしないように泣かせたりしないようにそっと穏やかに赤ちゃんには接するはずです。
大丈夫かなぁ?泣かないかな?
おばちゃんは怖くないよ、いいこだね、かわいいねってなだめながら接するはずです。
それでも相手が怖そうな顔をしたら無理に抱いたりしないでしょう。
毎日たくさんの時間を一緒に過ごせないパパの顔さえ赤ちゃんは覚えられません。
自分の子に泣かれて悲しくなるというパパさんの声が聞こえてきそうです(笑)
ましてや小さな赤ちゃんと一緒に育った経験もない小学生などに赤ちゃんは抱かせたりしません。


でも仔犬はどうでしょうか?


子供は仔犬を抱きたがります。
子犬はぬいぐるみみたいにかわいくてふわふわですから当たり前です。
でも実はおもちゃではないんです。
ぬいぐるみのように手が離れて落としてしまっても壊れないようなものではないのです。
子供は立ったまま抱いて歩くってよくあることです・・・
暴れて落とすかもしれないのに何故抱かせられるのでしょう?
大人だって抱きなれていない人だったら、暴れられたら手を放して落としてしまうこともあるくらい危ないというのに・・・


こういうのって私にはあまり理解できないことです。
だから抱かせるときは自分がそばにいてみていられる時しか抱かせないし、ましてや立って抱くなんて言語道断ですから子供自身に「座りなさい」と行動を指示します。
それがたとえ子犬のオーナーになるお宅の子どもさんでも同じで、申し訳ないが必ず座っていなくてはいけないと言わせてもらっています。
犬は子供のおもちゃじゃないし、きちんと育ててあれば子供にだって扱うことができるようになり良い友人になる生き物です。
何故それをしてからに出来ないのか?子供が言うままに子犬を与え問題行動につなげてしまうことはとても多いのにと思います。


情操教育のために子犬を飼うなら、それは子犬の世話をさせることで情操教育になるのではなく、幼い自分たちよりも弱いものを親がどう取り扱うかを子供は見て育ち教育になるのだと思っています。
だから親の行動が一番問題なのであって、犬を飼うことで子供のためになるのではないと考えています。


子供が犬の世話をすると約束したからといわれてしまうとついつい苦笑いになってしまいます。
結局最後は子供がもらってきた犬なのに私が世話をしてるのよと嘆く友人に、「最初から当たり前の事なのに何を言ってるんだか」と思い、「下の子の面倒を上の子が見ないと嘆いているのと同じだわ」と答えると大半の人ははっとした表情になり「そうよね、モノじゃないんだから子供が完ぺきにやってあげられるはずないわね」と答えてくれます。


犬を迎え入れることは一つの家族に小さな赤ん坊が生まれてきたのと同じだと考えてほしいのです。
そう思えれば世話はだれがするのが一番的確か、親は子供よりも立場が上でなければしつけもできないことは周知の事実ですから幼い者が幼いものを育てるのは通常は難しいと考えるのが筋なはずです。
家族だって、幼い子供をその子よりも少し大きい子だからと言って世話をさせたりはしないでしょう?
大人に近くまで成長し信頼に値する行動が伴っていればこそ任せることはあるかもしれませんが(笑)


親がやることを手伝わせてこうするのだよと教えていくことはあっても、責任を持つことへの教育だとしても観点が違うと思います。
仔犬はどんなに時が立って大人(成犬)になっても、人間で言う幼稚園児と変りません。
もっと幼い知能程度のままの子だっています。
多くの人は犬を誤解し、大人になった犬に多くのことを求めすぎていると思います。
彼らは死ぬまで幼稚園児の延長であるという認識さえあれば、もっと彼らの声を聞こうと思うだろうしもっと優しく接してあげられるのではないかと思います。


幼稚園児に冗談は通じないし、からかってしまうと本気になるのはごくごく当たり前のことだから、大人はそれを踏まえて幼い子に接しているはずです。犬が幼児と同じなのだという認識さえあれば人はもっと犬に対して優しくなれるのではないでしょうか。


犬をからかって楽しいのは人間だけであり、犬はちっとも楽しくはなく、ただただ理解不能に陥るだけで、わざわざ混乱させることの必要性は犬の場合にはまったくといってないはずです。
幼い子供が悪い事をしたときに大人はその子供の体の自由を奪うホールディングという方法を取るでしょうか?
はがいじめというやつです。
最悪なことにこの方法は犬の飼育書には多く書かれている方法なので、初めて犬を飼う人は「なるほど」と感心しその方法を取り入れて大きな間違いを犯します。
マズルコントロールも同じような部類です。


犬からしたら飼い主の人間の大きさはジャックと豆の木に出てくるような巨人に当たるはずです。
元々、存在だけでも犬からしたら驚異的であるにもかかわらず、大きな声でどなられたり、物のような手で叩かれたりしたら即座に萎縮するほど恐れるというのに、そんなことはお構いなく犬がしてはならないことをしたからと、体を押さえつけ馬乗りになったり、床に顔を押し付けたりしたら、犬たちはどうやって人を信頼できるでしょうか?


愛すべき飼い犬にどんな心理状況を起こすかなど考えもせず・・・
安易に状況判断をせずに方法論のかたちだけを持ち込む危険はとても大きいと思います。
もし、自分が自分の何倍もある大きな生き物に、体の自由を奪われ罵声を浴びせられたり、大きな声で怒鳴られていなかったとしてもどれほどの恐怖を感じるか考えて欲しいと思います。


犬が威嚇行動を起こしたり、噛むという行為をすることの多くの意味は、追い詰められて発生することが多いからです。
窮鼠猫を噛むのたとえに等しいのです。
ですから専門家でない場合には安易に簡単に出来そうに思える即座に効果があるというような方法論を使うことは危険です。

こういうしつけ方で犬の行動を制御して育てると、犬は飼い主の機嫌を伺いいつも圧力がかかりそうになるということを聞くような子になってしまいます。聞いていればまだよいですが、犬が限界を感じ威嚇行動にはいった時に飼い主がその行為(歯をむいたり、吠え掛かったり噛み付くなどの行為)にひるむ事が多いため、手のつけられない犬と変わってしまう事例は多いのです。
最悪のパターンは飼い主側からのアクションがないのに犬が攻撃を楽しむまでに至ってしまうことです。


本来なら穏やかで優しい犬であるはずの子が、育て方、しつけ方の間違いによって穏やかに暮らせるはずの時間を苦しく辛い問題行動のある犬に育てることになっててしまうことはよくあることで、勉強熱心で一生懸命な真面目な飼い主さんに特に多く感じます。

何も知らず自然体で犬と暮らしてしまう人には少ない現象であることがしつけにかかわる大きな問題点であるでしょう。
もし自分の思うように犬の変化が現れないのならその方法は犬が受け入れたものではないのだと早々に判断し即刻中止したほうがよいでしょう。
そして犬へのアプローチを変えるべきです。
それが犬・ひと、互いのためであると思います。


可愛いからといってけじめをつけない育て方は一番始末が悪いです。(苦笑)犬も人間も子供に教えなくてはならないことはたった2つしかありません。「いけない」と、「良い」たったこれだけです。

我家のルールはこの2つしかありません。すべてはこの言葉の意味になるだけで何とかなるのです。


吠えても騒いでいてもいたずらをしても、彼らの行動を止めるには、「いけない」「駄目」「止めなさい」「静かに」「ストップ」「NO」こんな言葉でことは収まるようになっています。

これは幼いときから、手を噛めば「痛い」「いけない」とその行動をその場ですぐに止めさせてきているからで、吠えることも同じくだし、部屋の中を駆け回っていても同じことです。

その場その場で止めさせるときの行動は違うのは当たり前ですが走り回っている仔犬を止めるならてじかに来たときにすかさず抱き上げてしまい、「もうおしまい、止めなさい」といって興奮状態が治まってからおろせばたいていは走り回らないものです。

それを捕まえようと追いかけたり声をかけ続けたりすれば犬は遊んでくれていると勘違いし、ますますパワーアップしてエキサイトしてしまいます。吠えている行動にしても『ワンワン』言っているにもかかわらず、『いけない、止めなさい』を連呼したところで最初から「わかりましたやめます」と即座に簡単に収まるはずはありません。

吠える犬の傍に行き、少し低くどすに聞いた声で『静かに!』とにらみつければたいていの犬は止めます。


それは犬の行動学で知られているものの中にあるものを使ったから効果があるのであって、実際にはリーダーとして認められていなければ言葉だけでの制限が難しいのは当たり前です。

まだ何も理解していない子犬は母親から多少の痛みを伴う叱責を受けて行動を制限することを学んでくるわけですし、その中にはどすの利いた声での脅しに近い、唸り声を使って相手の行動を阻止するというものもあるわけです。

それを学習して育っていない子犬ならこれだって効果があるはずもありません。

家族の一員になる前から学んできたものも多く関係が出てくる部分でもあり、本能に刷り込まれている部分と学習による刷り込みとはまた違うことを知っておくことも必要でしょう。
飼い主の犬に対する普段からの行動と繁殖下で子犬が育つ状況に犬としての学習ができているかどうかが伴っての話がまず第一になります。


犬は自分のしている行動そのものが否定されているのか肯定されているのかを飼い主の行動で判断します。
だから否定するなら否定しているとはっきり判る行動を犬にとってやらなければ問題は収まらないのは当たり前なのです。
日本人はここら辺が不得意といわれており、海外の人に比べると違いが出てくるのかもしれませんが、犬には白黒をはっきりつけて伝えることを知っておけばできないことはありません。


ほんのちょっとの努力で改善できることは沢山あるのですから、子育ての期間にきちんと教えておけば良いのにと思うことが沢山あります。

この否定する行動以上に大事なのは彼らのやっていることが良いことであれば褒めてやるという肯定する作業です。
これは否定した数の十倍は必要だと考えておくとよいと思います。
そしてそれは家族の一員となったその日から1・2カ月のうちに覚えさせられる簡単なことです。


人は犬が何かをしないと褒めませんが、家の中で静かにしていることだって褒めるの充分値することのはずです。
それを褒められるようになった飼い主は少ないです。
褒めるという行動は大げさに大きな声で大きなリアクションで犬の興奮性を高める必要はないことですがそれすら理解できていない人が多いのが現実です。


静かな声で、『イイコだね』『偉いね』と声を掛けてあげることが大事で、近寄ってくるなら頭のひとつでも撫ぜてやれば良いのです。
寝ている犬が飼い主を信頼して安心いたらそっと体をなぜてもうっすら目を開けてまたすぐそのまま眠りに入ります。

言葉をかけないほめ方だってあるのです。


犬を褒めろというと、人がするものにはあまりに大げさなのには驚かされています。
テンションが低い子ならそれも良い結果をもたらすことは少しはありますが、犬は突然立てられる大きな音には恐怖を感じる動物です。
犬の理解を得ないで人だけが騒ぎ立ててそれでほめているつもりだったとしたら犬には理解不能の動きをする相手としてしか認識されません。

幼い仔犬を、またおとなしい成犬を、褒めているつもりで驚かせないで欲しいと思っています。
犬に合わない褒め方をして育てるとどこかびくびくした子に育ってしまいますし飼い主を信頼しない子になってしまいます。。。


毎日楽しくお外に行くお散歩だって何十回となく褒められる言葉をかけるチャンスは作れるのです。

リードが緩めて歩けたら、
顔を見上げたら、
そこで止まってと言って止まれたら、
いい調子で上手に歩けているだけでも…。

そのたびに「いいこだねぇ〜」とかそれぞれの肯定の声をかけるのはそんなに大変なことじゃないはずです。
私はすごく短い肯定の言葉を使って一つのことで2回伝わるように声かけをするようにしています。


誰しも自分の子が可愛いのはあたりまえですが、犬は特にどこかの誰かの犬と比べて見ることが多いようです。

比べたって何がどうなるものでもないと思いますが、人によってはブランド品の品比べのように、車のグレードの違いを見定めるかのように、相手の犬が何がどのくらいできるのか、あの子はこれが出来ないけどうちの子はこれはできるとか、走るのが早いとか遅いとか性能が高いとか低いとかって比べてみています。

それがどんな意味があるのか私にはよく理解できませんが、飼い主の自尊心を満足させる何かがあるのでしょうか。


飼い主が犬の気持ちを理解し、犬にとって良い関係を築いていなくても、普通に家庭犬として可愛がられて生活することは充分に可能であるし、数年を付き合った多くの飼い犬と飼い主の関係はお互いに相手への理解が出来上がり、こういうものだという感覚がつき、そこそこうまく暮らしていけます。

通常の家庭で5歳以上になった犬との暮らしが穏やかなものが多いのは犬が年をとったからではなく犬自身が飼い主をよく知っているからです。


自分は犬の気持ちを理解して暮らしていると自負している人の多くはごく普通の飼い主に多く、暮らしていく中で問題もなく、可愛くて良い子で・・・それで充分だから、それ以上は求めないものです。

犬との暮らしはそれくらい本当は簡単なことで時間をかけられればたいていは良い関係ができ、それが人と犬の歴史の原点です。
犬と暮らすことがとても難しかったらきっと今のような人間と犬との関係は出来上がらなかったでしょう。


普通の人が多い中で、一歩踏み込んでもっと犬と理解しあいたいと望んだときから、普通の飼い主とそういうことを望んだ飼い主とは犬へ持つ期待の高さが違っているはずです。

そういう人たちが増えてくれることは犬達にとってはとても喜ばしいことであるし、人が持つ犬との間にかかる一枚のベールを剥がせたときに何かが変り始めるのだと思います。

変わり始めた人にしか犬を理解してからの時間の素晴らしさは理解することは不可能です。
何かにチャレンジする喜び、犬が自分に伝えようとすることがつかめる喜び、共に同じ事に向かって相手を気遣いながら何かを達成する喜び・・・


ごくごく普通に犬を愛し暮らすことと、もっと理解を深めようと努力していくこととは同じであるはずはありません。
得てして、理解しようともがいていく人を外側からしか見ることのできない人たちは、自分の飼っている犬よりも劣っているからそうしているのだと思う人が多くそう解釈した態度を見せるのは私は好きではありません。

私は、上を目指す人が好きです。
犬のために一緒に何かを頑張れることは犬を理解して行うのであればすべて素晴らしいことだと思っています。
犬の短い寿命を自分の長い人生の一部として分かち合って生きたいからこそ、もっともっと有意義に彼らと過ごしたいからこそ、努力を怠らない人は偉いと思っています。


だからこそ人の犬と比べて欲しくないと思うのです。。


親バカまるだしで両手放しで自分の愛犬をほめたり、応援できたりすることは決して他人からとやかく言われることではないですし、気にするような問題にはならないことです。

頑張ったことを頑張ったと評価し、かわいい子を可愛いと評価し、優れた能力を持つ犬に期待することは相手が人だってすることです。
ねたみなどで嫌みを言われても知らんふりすればいいのです。

期待もされないことのほうがずっと悲しいのですから。
相対評価は大会などで自分でチャレンジして結果として得て来れば良いもので、違いは自分だけの絶対評価ではなくなったところです。
絶対評価はその人が出来ることをどれだけ努力してきたかということで、それがあればいずれは他からの評価を得る相対評価で結果に繋がってくるでしょう。

愛犬の持つものを信じた人だけが結果を得られる相対評価をいつの日かきっと自分のものにする日が来るのだから、身近な犬と比べてああだコウだと悩んだり、自分の犬のことをよくわからない人にいろいろ言われたとしても気にするのはナンセンスという物だと思います。^m^
だって自分の愛する大事な犬のことなんですもの、親バカ万歳、犬バカ万歳でいいじゃないですか。私はいつもそう考えています。だってうちの子は一番ですもの。

2009/03/06 Fri

MAGIC流って何?

我が家にはシェルティーとダックスとポメラニアンたちが一緒に暮らしています。
・・・何頭いてもその子その子はそれぞれに違い、かけがえのない存在です。

自分達の力で犬と暮らし始めて今年2008年で15年を迎えた我が家には、楽しく素晴らしい経験を得た時もあるし、数頭の愛すべき犬たちとの別れを経験するときもありました。


我が家は一般的なブリーダーと言われる職業の人と同じような形で犬と付き合ってはおらず、繁殖に携わる子も、引退した子も、保護した子も、競技を頑張った子も、みんな一緒に暮らしています。
シェルティーの半分はドッグスポーツをしたりトレーニングもします。
ダックスやポメラニアンは愛すべき家庭犬です。


つまりは仕事用の犬というものは1頭もいません。
法律で定められるようになって形式上はペットの存在の犬と繁殖に携わっている犬との区別はされてしまいますがそれは紙面の上でのことだけです。
どの子もみんな私の大切な家族で、いわば子供と同じ存在です。


犬舎飼いという形はとっていないので俗に言うケネルではありません。
ケージはちゃんと犬の数だけ置いてあり必要であれば使えるようにはなっています。
ですが通常犬たちは部屋の中でフリーで暮らしています。

つまり一般のご家庭とほぼ同じ環境の中でたくさんの犬たちが人と一緒に暮らしています。


普通こういうところをブリーダーとは言わないと思いますが子犬を産ませてお譲りしている以上日本ではそう呼ばれるでしょう。

こんな状況で現在にいたっている我が家は特殊な繁殖家なのだろうと自覚しています。
犬をお金に換えているのだから商売人だと思う人とは感性が違うと思うので自分の犬をかかわらせてお付き合いすることは不可能でしょう。


すでに自分たちの力で犬を飼うということができるようになって15年の時が流れ、生活している半分以上の犬は10歳を超えた老犬たちになりました。
我が家から天使になった子はもう6頭になりました。

天に送った子はみんな立会いの火葬を選び、人と同じようにお経をあげてもらいます。お骨はすべて家に保管してあり、いつの日か私も天に逝く日が来たら先に逝ってしまった子たちと一緒のお墓に入れてもらう予定です。
幸い最近そういう場所もできたそうでちょっと安心しています。
毎回長い時間ペットロスに陥って、レインボーブリッジ(虹の橋)に旅立った友人を思い泣く日も少なくはありません。


不慮の事故、先天的な疾患、予後不良、直せない病気、全うできなかった寿命。獣医さんから宣告された残りの寿命をどれだけ伸ばしてきたか、どんな看護生活を送ってきたか、犬のためになぜそこまでしてしまうのか、その当時の想いも含めてこの総合サイトの中には我が家の記録が山ほど書きだされています。


そのなかで、このブログでは、MAGIC家ではどんなことを大切だと思って犬たちと接触しているかとか、愛犬家ってどんな人なのだろうとか、どんな犬を良い犬とみているのか、どんなふうに犬と暮らしているのか、何を教えたらよいと信じているのか、犬をどんなふうに解釈しているのだろうかなど、MAGIC STYLE(MAGIC流)独特の考え方としてまとめてみました。


掲げているものは、飼う人、接する人の考え方と行動次第で決まるもので、「これだ」という一つの答えはないものだと思います。
ですが、そのことを踏まえてなお、私は犬をこう見ているのですとか、こういう犬がよい犬だと思いますという私自身の意見の発信場所として掲載することにしました。


これは我が家の話であって私が思っていることであって、ほかの犬を飼う人たちにこうしてくださいというものではありません。

それをご了承いただき読んでいただければ幸いです。



家族ですと、子供と同じですとおっしゃる方はたくさんいますが、その人たちの中に自分の都合が悪くなると、家族のはずの愛犬を捨てたり、面倒をよく見なかったり、無理なことを強要したり、中には可愛くなくなってしまい虐待すらする人もいるのが現実です。
放棄犬や遺棄犬のほか、愛玩動物管理センターに持ち込まれる多くの犬が飼い犬です。最近は雑種といわれるミックス犬だけではなく純血種がたくさんいます。


我が家にいるダックスやポメラニアン、シェルティーだって持ち込まれています。

その先には死しかないと知らないのでしょうか?

誰かがもらってくれると安易に考えているのでしょうか?

死の淵から助け出される子はほんの少ししかいません。
毎日毎日殺されています。
持ち込んだ人が殺したも同然なのに、自分の手が汚れなければ関係ないのでしょうか?自分さえ楽になれれば殺しても気にならないのでしょうか?


うちから生まれた子がそんな目に会うのは絶対に嫌です。
だから子犬を譲る約束の中に飼えない事情ができたら必ず我が家に帰してくださいとお願いしています。

虐待なんて、テレビの中の対岸の火事だと思っていた我が家にさえ、あんなにかわいがってもらっていたはずの子が、食べ物もろくに貰えずにまるはげになるほどの栄養失調に追い込まれ、今まであった体重の半分にまでやせ衰える状態で保護するという現実がありました。


数日遅かったら死んでいたかもしれなかったのです。
そんな事をした人も元はとっても犬が好きな、俗にいう愛犬家でした。
状況が分からず連絡が取れずどれほど心配したか…。
あの人たちには私たち家族の想いも、あの子が死ぬほど飢えて精神状態さえおかしくなりかけていたことも意に解さない大したことではなかったことが悲しいです。
そんな風に変化を起こすことが最初からわかっていたら決してあの子を渡したりはしなかったでしょうに…。
今更ながら人を見る目のなさに自己嫌悪に陥ります。


テレビで動物虐待のニュースを聞き、特集を見てひどいと感じる人はたくさんいるはずです。
でも・・・人間不信になった犬たちの悲しい目から人は何を学ぶのでしょう?
意図的にしていない人もいるのはわかっても、怖くてたまらない恐怖の目の色を見て悲しさで胸が苦しくなります。
私は、人の姿をみるだけで震えが止まらない犬が映し出されることはそうさせた相手が人であることに理由はどうあれ体がわなわな震えるほど怒りを覚えます。
人はどうして言葉もかいせない賢く美しい生き物を虐待できるのか、モノのように扱い、人と同じように扱うことができないのはなぜなのか、いまだに私には理解できません。


犬だって年もとるし、怪我もするし、病気にもなるし、絶対安静が必要な時もあるし、毎日通院が必要だったり、手術を受けなくてはならなくなったり、入院しなくてはならないこともあるでしょう。
いつまでも元気で何事もなく飼い主に迷惑をかけることなく一生を終えるとは限らないのです。


命が生まれるとき、遺伝子は多くの変化を起こしてたった一つの命を誕生させます。
病気になったとしてもそれは親から受け継いだものから発症するとは限らないことも沢山あります。
癌や脳疾患や糖尿病や腎臓疾患、肝臓疾患。
病気によって解明されていることもあるし、まだわからないことだらけのものもあります。
一口に遺伝疾患と呼ばれて獣医さんから通告される病気でさえ、メンデルの法則に従って発症するものばかりではありません。
生き物である以上、遺伝子は何かしらの変化を起こしてその命を誕生させてくるのですから何があっても可笑しくない事のほうが事実です。
犬のDNAの解析はようやく数年前(2005年)実現しました。やっとスタートにつけた状態です。

そして、彼らの寿命は人に比べればはるかに短く、長くても17・8年が限界に近い年数です。
犬と暮らし始めたら、毎日付き添ってそばにいてあげなければならない時だってあるでしょう。
夜も眠らずに見守らなくてはならない時もやってくるかもしれないのです。
寝たきりにでもなったら床ずれができないようにしょっちゅう体を動かしてあげなければならなくなることもあるのです。


相手が犬でも人でも、その時々に応じて今何が必要で今は何をしなくてはならないかの判断は、残された生きられる時間にさえかかわってくることもあるのです。
犬を迎え入れるということはただ可愛いとか、癒されるからとか、役に立つとか楽しめるとかだけではなく、必ずと言っていいほどやってくる人と同じリスクも受け入れなくてはならないはずです。
自分以外のほかの人間と共に暮らすとしたら当然起きるだろうことが、犬と暮らすことにおいても起きるのですから。

死ぬまで何事も無く健康なまま毎日を過ごし続け、亡くなる時も苦しまずに眠るように逝ける子がいたとしたら、それは非常に稀なラッキーなことだったに過ぎません。

たいていの犬たちはたいていの人間同様に、何かしらの疾患を抱え、細胞の劣化によって老化して寿命を迎える日が来るのですから。


犬を迎え入れるということは独身とサヨナラすることです。
相手は犬でも、1+1で2になってしまうのですから結婚して伴侶を得たのと似ています。
相手は大人の人とは違い手のかかる赤ん坊と同じです。
独身時代のように自由気ままに好き勝手はできなくなります。
でも、相手を愛していたら苦にならない程度のことでしょう。
人同士だって伴侶を選んだら自分勝手なことばかりしていたら一生穏やかに想いあって暮らしていくことはできません。それと同じです。


病気になったときや年をとった時にも、人医と同じで犬にも医療事故だって起きるだろうし、相手が医者であっても何もかも鵜呑みにして信じていればすべてがいつもうまくいくわけではないのは同じです。
人ですら家族を守れるのは自分たち自身の注意力であるように、愛犬を守れるのも飼い主自身でしかありません。
犬ごときにいつもの生活を乱されるのは困るとかめんどくさいなと思う人は家族として迎えたという言葉の意味はないし、認識もないのでしょう。


人だって、怪我をしたり病気になったり年をとっていく時に、看病・看護が嫌だとか、年をとったら邪魔になると感じるのなら、その状態になっているものたちに適切なことはしてあげられるとは思えません。
犬たちだって人と同じように老化がはじまり、今までできたことができなくなっていくのだという認識も必要です。
病気になった子を看病するときにも彼らが心細くならない配慮も必要になるし、怪我をしてしまったら完治させることを最優先に考えた行動をしなければならなくなるのは人に対してと全く同じことです。


私は日本人なのでペットに対しての最先端の海外の考え方にいまだに納得できない部分を持っています。
まだ頑張れる子を人の手間がかかるからとか元気な時のようにごくふつうに行動できなくなるからと、または痛みが起きる前に苦しむ前に安易に安楽死を選択するような考え方は今だに賛成できません。


かといって何が何でも生きてそばにいてと大切な友人を苦しめたくもありません。
犬とともにがんばれるだけがんばって彼らが生きていること自体が苦痛であるその最後の時が来たら眠らせてあげることは愛の証しかもしれないとも思っています。
でもその日を迎えるまでにともに病魔やけがと闘い、がんばればこその決断だと思います。


MAGICSTYLEはいわば「MAGIC流」という意味で掲げてあり、犬に対する考え方や自分たちの経験則からの行動と、提案や自分なりの良い犬の定義とか、こういう犬に育てたいとか、こんな場合にはこうしているよという我が家流の犬との暮らし方自体をこう呼んでいます。

もちろんMAGICSTYLE(MAGIC流)という独自のものなのでこれが犬を飼うことについて絶対的に正しいよと言うつもりはありません。
私の作ったMAGICWORLDのなかを読んだ方が、共感してくださっても、違うんじゃないかと疑問を持たれても、それぞれに判断していただければと思っています。


そんな考え方もあるんだねとか犬をそういう風にみているのかと知ってもらいたくて書き連ねたページの集大成がここです。

独断と偏見で犬への理解がまだまだ不十分な社会通念であると感じている私たちMAGICSTYLEから、彼らが素晴らしい伴侶となるだけの資質を備えた生き物だという事実や、犬のまだ確定されていない素晴らしい能力を引き出すためにどんなことを伝えているのかとか、また、犬と暮らすってどんなことを言っているのか私たちの犬の愛し方を伝えるために書き綴った頁です。


読み重ねていただければ、私たちが犬と暮らすとはどんなことだと言いたいのか、どれほど愛しているのかが伝えられるかもしれないと思っており、犬と暮らすことになるほどねと言う新しい発見をひとつでも残せたらと願っています。

2009/03/06 Fri

噛む事について

子犬は育ち方で基本的に親犬や兄弟姉妹、または同居の大人の犬たちと生後1ヶ月くらいから一緒にしていると、必然的に犬としてのルールを学んでいきます。
母犬とだけでは犬としてのルールは不完全なのです。
この補足は人が補わなければ人に取ってのいい子にはなりません。
子犬が噛むという行為は、人間で言えばまだちいさな赤ちゃんが何でもつかんで確認するのと同じであり、犬にとっての歯や口は人の手と同じだという認識をまず最初に持って欲しいと思います。


多くの人が『噛む』といっている行為自体が、実は『咥えている』けれど『力の加減がわからない』といった状態のことが多いです。
子犬が恐怖に駆られ本気で噛んで来たらたとえ2ヶ月の子犬でも牙が皮膚に刺さり、穴も開くし血もいっぱい出ます。
通常『噛む』と言われるものはじゃれていて牙が爪楊枝の先のようにとがっているために、人間のほうの扱い方が不慣れなために手を引いたり、動かすことで引っかかってしまい傷ができるものが多いのです。
ですから傷ができても、たいていは簡単な引っかき傷程度のはずです。
大人の犬に噛まれても同じですが、大人の犬に本気で噛まれたら手は動かさないが基本です。
自発的に放さないなら犬の上あごと下あごを持ち犬の口を開けさせるか、片手であれば逆の手を口の中に突っ込めば苦しくて口を開きますから被害は最小限に抑えられます。

犬同士の噛みあいの場合などはどうしても放さなければ水をかけるとか、耳の中に息を吹きかければ放しますのでちょっと覚えておくといいかもしれません。
子犬が噛んでも手をひっこめなければ傷にならない程度のはずだと言いたいのです。


ですが、一緒に暮らす場合に、あまりガブガブと噛むようでも困るので、小さいうちから噛む力を加減するように人が教えてあげなければなりません。
犬は人よりも痛みに強いので、犬同士の学習だけに頼ると犬自身は悪気もなく噛んでいる行為が人には悪い犬と感じられてしまう加減になってしまいます。

多少痛くてもこのくらいなら我慢してあげようという親切心が逆に子犬の噛む力の加減をできなくさせてしまうので、少しでも痛みを感じたら「痛い!」と大げさに嫌がりましょう。

それが子犬と家族のためです(笑)



細やかに面倒を見るブリーダーと同居犬たちいる環境で育った子なら、子犬は人の手に渡る時期にはこうした教育は受けていて噛む加減も知っていますし、また噛む行為をやめることも知っています。
たとえば我が家では、子犬とよく遊び、こうしたことはある程度まで教えます。教え始めるのは生後1ヶ月くらいからです。
人の手、顔などのやわらかく敏感な部分に対しては噛む力が強いと『痛い!』と強く低い声ではっきりと犬にわかるように言葉をかけ、やめない場合にはにらみつけて、もう一度言葉を繰り返し口を離させます。

噛む子は何度も同じことを遊ばせながら繰り返します。
なぜなら子犬の頭は単純で一度や二度では決して覚えられないからです。
なかなか離さなかったりしたときには指を噛んでいる場合にはその指を口に対して横にして(縦にしてはいけない)そのまま奥歯のほうに押し付けます。こうすると犬は『おえっ』となるので自発的に放します。
このときに『痛い』でもよいですし、『いけない』とか『駄目』いう禁止の言葉を一緒に言いながらやります。

指が口の中に入ってしまってのどに向かって入れてしまってはいけません。
子犬は苦しすぎたり恐くなったり驚いてしまうと人の言葉は聞こえなくなるからです。
よく指を突っ込んでやれば苦しいから放すと書かれてることもありますが、実際には我家ではいい結果はありませんでした。
本の通りにやってみた結果、きっと苦しすぎて言葉も聞こえなかったようです。仔犬には行動を伴わせて言い聞かせる作業がとても大切です。
でも聞こえない状況では意味がないのです。


また、間違った方法にはいけないことをしたら子犬の体をホールドするというのもあります。
つまりひっくり返して押さえつけて動けなくするという方法です。
これはシェルティーには絶対にやって欲しくない方法です。
幼い子犬が体の動きを封じられることは非常に恐怖感を伴うもので性格上問題を起こし、非常にシャイになったり、逆に攻撃的な子になることがあります。

本来のホールドのやり方は犬自身がもがくこともあきらめてリーダーに従わなくてはならないのだと理解するまで、ストレスから解放されるくらい長くゆっくり時間をかけて行う方法です。
普通の場合それほど長く犬のために数時間を使い続けられる人は少ないはずなので、結局は恐怖心を残してしまい、攻撃性を引き出してしまうことが多いので私はお勧めはしていません。
怖がりな犬種には特に必要のない方法です。



子犬は大人の犬にすごまれたり叱られたりしてやばいなと感じると自分からちじこまって動かなくなるのですが、大人の犬たちはよほどのことがなければ子犬を羽交い絞めにしたりはしません。
もしするとしたらある程度お互いが理解しあえて押さえつけても極端な恐怖心が植えつけられない関係になってからの事です。
犬だって子犬の成長に合わせて加減するんです。
大人の犬は威厳のある態度で上から見下ろし、唇を捲り上げて怖い顔をしたり、うなり声を出して威嚇し教える事が多いです。
また何かの加減で子犬の歯が当たってとても痛かった場合には前歯をカツンと当てて痛い教訓を与え噛む事を制限させます。

決して幼い子犬に対してはいきなり上から押さえつけたりはしないのです。


大人の犬同士の場合には少し違う場合もありますが基本的には同じです。(笑)
大事な部分は口を放しても決して褒めません。
褒めるのは言葉をかけた段階で放したときのみです。
強制的に放させた場合には褒めたら何の意味もないからです。
犬達だって【やめろ】と言う制限をかけた後、仔犬が逃げたとしても、目の前でひっくり返ってお愛想をしても知らん不利をしています。
気持ちを切り替えた後にまた遊んでやる事はありますが制限を受け入れた直後にはすぐに遊んだりする事はありません。

禁止事項は自発的行為のみ褒めて(それも極簡単に)、強制的行為は褒めないということが大前提です。
子犬によっていろんな子がいるので上に書いた方法だけでどの子も全てできるようになるわけではありませんが多少の参考にはなるはずです。


下あごをつかむ方法や、顔を近づける方法や、振り払う方法や鼻先を一発叩く等我が家にはその子の犬種的特性と性格・性質に合わせたいろんな方法を取ります。
シャイな子につかむ方法は決してやってはいけないし、叩くのもだめです。
ハードな精神を持つ子なら多少痛い目に合ったほうがいい場合もあるのです。でもそういう子なのかどうか十分に観察して犬の性質や性格をちゃんと把握しなくては間違ったら大変です(笑)
取り返しのつかないことにもなりかねないので本来は犬をよく知っている人のアドバイスをもらいながら、又は実際に見てもらった上で教えるのがベストだと思います。

こうしたその子その子に合わせた方法も何回か繰り返すうちに言葉で制御できるようになってくるので、後はすべて同じわけです。


つまりは『言葉』を理解させられればたいていのことは『いけない』とか『待て』の動作を止めるコマンドで制御できるからです。
ある程度噛むようになっていても、正しいやり方で根気よく教えればすぐにできるようになります。
大事なことは人間のほうが短気をおこさず、繰り返し教え、たくさん褒めることです。これは噛む行為だけではなくすべてのしつけに共通です。

2009/03/06 Fri

犬育て6つの要素

犬は飼い主の虚栄心を満たすための道具ではありません。しっかりした訓練ができていなくても心底その犬を可愛がって生涯を大切に共に暮らしていく人なら素晴らしい飼い主です。
訓練を始めるとどうしたって人様の犬と比べてみたりするようになります。
ちょっと自分の犬が何かできたり、教えられたりするようになるとどんな犬にも適用できると勘違いしてしまいがちです。


犬には人と同じように個性があり犬種だけではくくれないもっと緻密な別れ方をしています。
性質も性格も、育った環境も食べ物の好みも好きなものや好きなこと、嫌いなものや恐い物、それぞれの犬がみんな少しづつ違いがあります。
多くの犬と接しその条件の違いを少しの時間犬と接してすぐに把握できるようになった人なら大きな間違いは犯しません。
でも極普通に長い時間犬と暮らしたことがあっても、数をこなした人や観察力の鋭い人には叶わないものがあります。


通常犬と暮らすときにそう多い数でいきなり暮らすことはないので数頭までならそれぞれの個性を見分けることは飼い主であればできるようになります。
同じ毛色のシェルティー1頭1頭の顔が違うことが分かるようになっていればかなり観察力があるほうです。
もちろん自分の家の犬以外の話です。
犬を良く観察するのが一番大切だと話すと『見ているのですが。。。』という答えが返ってきます。
ただ見ていても確かに犬の個性は見えてきません。
飼い主が犬に興味がなくては見えてこないからです。


犬ってこんなことやるんだ。
これが恐いみたい、あんなことに驚くんだわ、なんだろう?尻尾振ってるからうれしいのかな?・・・
興味を持てるものならどこからでもよいのです。

最初は犬のする事すべてが何故こういう行動をするのかわからないままが普通です。
でも良く見ているとなんとなく見えてくるはずなのです。
飼い主が興味を持ってみていれば必ず疑問が出てきます。
疑問が出てくればその答えを探そうとするでしょう。


行動学の本などを読んで自分の犬の行動が何のために行われたのかや、どうしてそういう行動を起こしたのか探ってみるのは大事な事です。
観察力が鋭ければ行動学にはないものも見えてきます。
それが犬育ての楽しみだと思っています。
そして行動学の基本は多くの犬達の観察から始まっています。
長い時間を多くの頭数の犬達の観察を経て初めて学問となっています。
つまり観察こそ最大の勉強となるわけです。


犬の起こす行動に興味を持ったら何故それをするのか考えます。
本などから知識を得ることもよいですし、犬を知っていると思われる人から聞くこともよいでしょう。
そしてその行動は飼い主自身にとって有益な行動かそうでないかを考えて見ます。
有益であるならきっとあなたは極自然にその行動を褒めたり喜んだりしているはずです。
有益でない行動の場合にのみ悩んだり、考えてしまったり、苦しむことだってあるでしょう。


でも悩む前に、どうして?の疑問を持つだけにせず、犬が何故それをするのか考えることが先です。


どういう状況でそれは起こったか、原因には何が考えられるか。
それは回避する方法はなかったかなどです。
原因がわかれば対処方法を思いつきます。
どんな問題がおきてもまず原因を探す事です。
そのためには犬の行動の知識が必要となるのでぜひ一冊は行動学について書かれた本を読むと良いでしょう。
ただしすべてを本に書かれたことに当てはめずに犬のした行動から考えたほうが答えが見つかりやすいこともあります。。。



しつけの成功への早道は飼い主自身が先ず犬のよき理解者になることじゃないかと思います。
私たちは人間で犬になりきることは不可能ですから、犬になれとは言いません。
私たちは哺乳類であることは共通ですが猿と犬の違いがあります。
もって生まれた習性が違う以上、又見た目の形でさえ違う以上、同種のようにふるまっても無理があります。
私がバイブルのように大切にしてる『名犬ラッド』という本のなかに的を得た文章が載っていました。
もしチャンスがあったらこの本を読むことは犬を育てることにとても役に立つはずです。


子犬を教育するのに必要なことは
『時間』『忍耐』『決意』『知恵』『気分の抑制』『温和さ』の6つの要素が絶対必要であると・・・
そして悲しいことに人間はこの全てを備え持つものはほとんどいないであろうとかかれています。
全てを兼ね備えて持ったもの・・・それがこの本の主人公『ラッド』というコリー犬です。
<サニーバンク・ラッド>は実在したセーブルのラフ・コリーで16歳の天寿を全うしました。
『名犬ラッド』という本は少年少女向けに書かれたものです。
<サニーバンク・ラッド>の文字をクリックするとHPに行けます。
私も子犬を教育する為に必要な事柄は、まさしく本に書かれているとおり、心底そうであると思ってバイブルのように信じています。

これをすべて備えた人は必ず良い犬を作れるでしょう。。。


時間』ですが多くの人間には犬に使うために整えることはひどく難しいことでしょう。
忙しい現代社会において子犬にどれだけの『時間』を費やせるかはとても難しい問題です。
私が子犬を譲るときに子犬が育つ間だけでいいので必ず人が一緒にいる時間が取れないと困ると言っているのはこの要素を満たせることがかなり重要であるからです。


忍耐』は飼い主自身の個性にも寄ります。
我慢強い人、開き直れる人、おおらかな人はこの『忍耐』をクリアすることが出来るでしょう。
逆に何もかもが心配になってしまったり、不安ばかりが先に立ってしまったり、ちゃんとしなくちゃとあせってしまう人は『忍耐』は難しい要素になります。


決意』は瞬時に判断しその場で決断を下せるかという事です。
これはある程度のTRAININGでできるようになります。
しつけに際して教えるときにこれが出来る速さが問題になることが多いものです。
要するにタイミングが上手くつかめるかつかめないかなので子犬と共に成長しながら学習することが出来ることなのです。


知恵』・・・これは飼い主が自分で知識を得ようと努力するかにかかっていると思います。
ひとつの方法で何とかなると高をくくらず、うまく行かなければ何が悪いのかを考える余裕があるかないかです。
この方法はうまく行かなかったがこの部分に問題があると気がつくことが出来ることが『知恵』の部分になるでしょう。
ただ一回や二回やってできないと他の方法に行くこととは違います。
正しい方法でそのとおりにやっても犬の性質や環境からどうしてもうまく行かない原因を探り出すこと。
これが『知恵』です。
もちろん最初から犬の行動や心理を良く理解していることでその問題に対処できる手段を持っていることは知恵があることになります(笑)


気分の抑制』は男性のほうがはるかに勝っているように思います。
高ぶる感情、激しい欲望、衝動的な行動などを押さえて止めることは女性にとって少し難しいときもあります。
ですがこれができるようになる方法がひとつあるのです。
それは犬はいつまでも三歳児と変わらない知能しかないのだという現実を確実に自分の中に叩き込む事です。
これが出来れば犬に教えたことがうまく行かなくても、ちょっとした悪戯をされても、ヒステリーを起こさずに済むのです(苦笑)


温和さ』これは女性には得意な部分です。
男性の場合には、姿かたち、声質などで子犬からは畏怖の感情を持たれることが多いですが、女性はその物腰や声質、姿などによって最初から子犬が受け入れやすいものを持っていると思うのです。
おだやかでおとなしいということを温和さというので元気な女性もいますが、まぁ一般論として男性よりはそう感じやすいという意味です。
又時代は変っても多くの場合家の中には女性がいることが多く、多くの家庭では犬の世話は母親、娘、祖母などがすることが多いはずです。
現代社会は少し変化しつつありますが、男性が犬の世話をすべてすることはまだ不可能に近いでしょうし、女性であることが役得みたいなものかと考えています(笑)
もちろん男性にもこれが非常に長けた方も多く、褒め方はなども穏やかに静かに褒めるという方法はある意味犬にとって有益な方法となります。
穏やかな男性に育てられた犬は非常に良い犬となるでしょう。


子犬の育った環境に世話をする人が男性しかいなかった場合には子犬に関わった方法によっては男性を好む傾向が大きかったり逆に女性に安心感を持つものも表れます。
逆も然りです。子犬の感情は幼い時期に係わり合いの会ったもので変化が見られます。
女性の甲高い声に驚いたり、ヒステリーなどを起こされたような経験をしていれば女性に畏怖の感情を持つ子もいるでしょう。
幼い時期に元気一杯の若い男の子と暮らした子犬は多少のことにはへこたれない子に育ちますし、大きくなっても若いお兄ちゃんが好きな事が多かったりします。
環境からついてしまうものもあるので育てる飼い主に温和さがあれば修正は簡単であるということだと思います。


子犬を育てる間には数え始めたら信じられないくらい多くのことを教えなければなりません。
でもその多くの事柄は自然と一緒に暮らしていく中に『教育した』と感じなくても学んでいるものも多くあります。
幼い子犬やまだ教育されていない成犬と接するときに、『この子はまだ三歳児』という認識を忘れない事です。
幼い子供から与えられる興味深い行動の一つ一つは気持ちの持ちようによって楽しくもあり可笑しくもあり笑いの耐えない生活をもたらします。
その中で飼い主自身の困ってしまう行動にのみ制限をつけることに情熱を燃やすことが出来ればきっと成功は早いでしょう。


私は子犬を育てるときに楽しんでいます。
悩んだり苦しんだりせずに、おおらかにこんなことするんだと笑っています。子犬は飼い主の笑顔が好きです。
しかめっ面のママやパパは嫌いですよ!・・・

2009/03/06 Fri

犬に好かれるためには

犬飼ともなれば自分の愛犬に信頼され、なおかつ他人様の御愛犬からも「良い人!」の称号を与えられたいと願う人は多いはずです。
ところが、コウ願う人の多くは実は犬達からは不評である事が多いのです。
大半は「自分は犬と暮らしているし、犬のことを良く知っている」という自負の上に成り立つ、「自分は犬好きなので、犬も自分を好いている」という錯覚から犬の気持ちを理解できないことが原因ではないかと思います。


この錯覚を起こす人は、我慢をしてくれている犬達に迷惑な行為を、飼い主であってもなくても、当然の顔をして行います。
こういう人への犬達の反応は一度目は逃げることにしくじり捕獲された場合、我慢を強いられたと感じれば開放された後はできるだけ遠ざかり、二度と捕獲されないように気を付けます。
近寄られるとスススス〜っと逃げる(笑)犬との接触でそんなことを経験したことはありませんか?
これってカーミングシグナルと言うか、犬からの答えです。(笑)

犬にしてみれば、家の人なら仕方なく我慢もできますが(苦笑)通常の犬は、他人に媚びなきゃならない理由は持っていません。
犬が起こす警戒の態度を見抜ける人は犬に対して自分は安全な人間であることを証明出来れば必ず親しい間柄になれることを知っているので決して無理はしません。そしてこういう人たちは犬から嫌われることは無いのです。


犬に好かれたかったら、基本は犬から近寄ってくるまで人間は行動を起こさなければよいだけです。
彼らはこちらに興味があれば自分から近寄ってくるし、近寄ってこないときは興味がないかもしくは警戒しているかのどちらかだからですから。

人はもともと犬を尊重しようという気持ちを持つものは少なく、人の子供には決してやらないようなことを犬には平然とやってのけるものです。
初めて会う人の子供でも、子供の了解を得ないまま無理やり捕まえて抱き上げたり、さわりまくったらどういう反応をするでしょうか?
それと同じです。(笑)
親が了解した所で子供自身の了解がなければ、顔を背けられたり、嫌な顔をされたり、幼く我慢が効かなかったり恐いと言う感情を持つ年頃だったらオオナキされるのが落ちです。
面白いものでこれは犬にも良く類似している現象です。
しかし犬は固まってしまって動かなかったりすることが多く、おとなしい犬、あるいはシャイな犬だと思われることが多いのです。


抱かれた相手に好意を持っていれば尻尾を振るなり顔をなめようとしたりしますし、目だって生き生きとしています。
そういう行動を起こさずにあまりに静かだったり、カチコチに固まっていたり逆にもがくように動き逃げ出そうとしたらとても好かれているとは言えません。
飼い主のマナーと言って人の犬を触るときは飼い主の了解を取りましょうというけれど、「犬の了解」をとらなければ犬に好かれることがなかなか難しいと思います。



我家の犬達に群がる小学生などは申し訳ないけれど犬に了解をとる必要があることを伝えさせてもらっています。
自分の愛犬が子供を嫌いにならないために、そして犬を知らない子供たちのために。。。
最近は親に教えられているのか行儀良く「おばちゃん、この犬触ってもいですか?」と聞く子はとても多くなりました。
昔はダダダダだ〜っと駆け寄ってきていきなり触ろうとする子が多かったのです。私は「おばちゃんじゃなくてこの子に聞いてごらん。」と答えます。
たいていの子供は困った顔をするので「じゃぁおばちゃんが聞いてあげるね。触らせてくれるように頼んであげるね」と言う事にしています。


連れている犬に「きみを触りたいんだってさ。いい?○○ちゃん。」と聞きます。
人に話すように話しかけるのを子供に見せるためです。
犬の反応が「嫌だな」って言う時は「今は嫌なんだって」と断るし、「いいよ〜」って言う時は「触ってもいいってよ。でもこうやって撫ぜてあげるのが好きなんだよ」と犬が嫌がらないように撫ぜ方を教えます。

子どもたちは規制されても犬が触れる魅力には勝てないのでほとんど真面目に言われたとおりに触り、犬の反応があるとことさら喜ぶのです。
ちゃんとできた子にはご褒美に犬にコマンドの与え方を教え、「座れ」「お手」などをやらせます。
子供はおお喜びをして犬が言うことを聞く生き物だと理解します。


ここまで行儀よく犬と接することができた場合には、我が家の場合子供たちにもう1段階上のことを教えます。
子供は犬が言うことを聞いたので何度でも同じ行動をやらせようと試します。ですがうちの犬は私がやってあげてねと言わなければ、見知らぬ子どもの言うことは聞きません。
「やってくれない!」と文句を言ってきたとき、「だってさ、君のおうちの子じゃないからだよ。いうことをきかなきゃならない約束をしていないでしょ?あなたの言うことを聞いたのはおばちゃんがやってあげてねって言った約束を守っただけなんだよ。」

子供はすぐに意味を理解します。「そうかぁ、頭がいいんだね。」
「そうだよ、あなたたちと同じだね。ママの言うことはちゃんと聞けるでしょ?同じなんだね。」
子供が相手だと簡単に伝えられることだといつも思います。


こういうコンタクトを取った子は次に会った時に犬の名前をちゃんと覚えていて「○○ちゃん触ってもいい?」と犬にも自分から聞いてくれます。犬は一度面識もあるし、私が了解していることも承知しているので問題なく触らせるので次第に仲良くなっていけるのです。

子供の時にこんな体験をしていれば犬には決して嫌われたりしない大人になるでしょうし、犬に嫌なイメージを持たないはずです。
そして犬は結構頭がいい生き物だと覚えてくれるでしょう。

私はとても大事なことだと思っています。

子供は最初から犬を知っているわけではないし教えられていなければ無謀な態度もとるでしょう。
犬を連れている側がちょっと工夫してあげれば犬自身も子供を警戒しなくなるし、犬を好きな人が増えるはずです。


また、無謀な態度の子供から犬を防衛するときに私は少し脅かす方法をとっています。
子供たちが騒ぎながら駆け寄ってくるときは大きな声で「噛むよ〜!」と叫びます。
この言葉は魔法のように子供にはよく利き、一瞬で止まってくれるので重宝します。「きゃぁ〜」と言って逃げてくれれば幸いです(笑)

こわごわ近づいてきて「噛むの?」と聞かれたら「そんな勢いできたらびっくりしちゃうから噛むかもね」と笑いながら答えます。
たいていの子供は犬が好きで触りたいので寄ってくるのですから何とか触りたいといろいろ話しかけてきます。
そうでなく去っていく子供たちは面倒をみる必要がないので「あの犬噛むんだってさぁ!」と言われても気にもしません(笑)

残った子供たちには上記のように順序立てて犬を触らせてあげるわけです。
まれに石を投げるような子供もいたりすると聞きますが、私はまだ遭遇したことがありません。
でももし万が一にでも石など投げるようなことがあったら烈火のごとく叱り飛ばすと思います(*^_^*)


特に子供には、自分の家で飼っている犬でもない他人の犬を思い通りに勝手に触れると学習させないほうがお互いの身のためです。

脅かされたりいじめられたりしたら犬は子供を好きにはなりません。
怖がったり脅かさなくてはならない相手だと認識させるかさせないかはやはり連れている飼い主自身の行動から犬は学びます。
子供は恐くない生き物だとか、ルールが守れる友人だとか学んだ犬は子供を怖がることはありませんし接触の回数が重なれば子供の多少手荒い扱いも甘んじて受けとめられる生き物なのです。

子どもに対する問題行動を持つ犬は何かしら嫌な経験を携えています。
本来は悪い経験をさせないことが基本となります。


大人の場合は難しいことです。
はっきりと犬に嫌われてしまいますよと提言するわけにもいきませんし、はがいじめにされて問題が残るような犬は触らせないように先に配慮しますが、万が一にも捕獲されたら速攻で適当な言い訳をして放してもらいます。

我が家の犬たちはたいてい他人に捕まえられてもちょっと困った顔をする程度にしか反応しないように育ててありますが子犬はそうはいかないのでとても気を使います。

まずは触られないようにすることが一番ですし、ちゃんと対応する人だけ触ってもらいます。
私が育てる子犬は決して子犬のうちに他人に抱かせたりしないで育てています。
少しづつ触ってもらうようには心掛けていますが、体ごと他人に任せることは子犬時代には決してしません。
子犬が他人も問題ない人間であると理解できる年齢・もしくは経験を積んだ後なら話は別です。


犬に好かれる為にはある部分では犬に主体を置くと言う事になると考えているので犬が安心する相手である行動はどういったものであるかが重要です。

私は嫁いだ子犬たちでさえ我が家に遊びに来ても、1・2度、名前を呼んで見ますが、飛びついてくるような気配がない場合には無理に捕まえることはしませんし、たびたび呼んでみるようなことはしません。
当然ですがよほどのことがなければ抱きあげません。
飼い主さんに呼んでもらい、飼い主には反応するのかどうかは見ています。


幼い子犬のうちには目の前に興味のあるものがあれば、他人に呼ばれることにあまり反応することはありません。
なので呼ばれることでこちらに興味が移るようなら相手をし、問題のない相手だよと伝えますが、興味がない状態ならほおっておきます。

久しぶりの場所であったり、ほかに犬がいたりすれば興味はそちらにしか向かないものなのであえて興味を持たせることはありません。
何もしないことの効果は犬にも何も起きないという効果となって表れるので危険な人物という認識はつかないままになります。

これが重要なのです。


時間があれば犬が落ち着いたころを見計らって少しずつに行動をおこしますが、名前を呼んで聞いているかとか、こっちを見るかとか、寄ってくるかとか、逃げ腰になるかとか、動かなくなるかとか、犬の様々な反応によって起こす態度を変えます。

やさしい口調で数回呼んでみたり、猫をじゃらすように手で誘ってみたり、そおっと手の甲を差し出してにおいをかがせたり、こうした動きに対する反応もよく観察します。

また反応によって行動を変えるわけです。

犬は自分自身に危険が及ばないことさえわかれば意外にフレンドリーな生き物なので十分対応できます。
最初から飛びついてくるような子犬はこの限りではありませんが、それでも子犬の反応はよく観察し抱き上げた後、怖がらせることなく開放するようにしています。
ぬいぐるみを抱くように相手の意思を考えずに抱き上げてしまったら「危険な人物」とレッテルを張られ、その意識をなくすことのほうが時間がかかります。
ほんのちょっとした工夫と努力で犬と仲良くなれるのならそのほうがずっと楽しいと思います。


特に子犬の馴致で間違えていると感じるのは人に馴らすためと称してやたらに触らせようとするのが飼い主自身であるということです。

私が子犬だったら一緒にいるいやなことを許す飼い主を信頼しないなぁと思います。(^−^)
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