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2009/03/06 Fri

噛む事について

子犬は育ち方で基本的に親犬や兄弟姉妹、または同居の大人の犬たちと生後1ヶ月くらいから一緒にしていると、必然的に犬としてのルールを学んでいきます。
母犬とだけでは犬としてのルールは不完全なのです。
この補足は人が補わなければ人に取ってのいい子にはなりません。
子犬が噛むという行為は、人間で言えばまだちいさな赤ちゃんが何でもつかんで確認するのと同じであり、犬にとっての歯や口は人の手と同じだという認識をまず最初に持って欲しいと思います。


多くの人が『噛む』といっている行為自体が、実は『咥えている』けれど『力の加減がわからない』といった状態のことが多いです。
子犬が恐怖に駆られ本気で噛んで来たらたとえ2ヶ月の子犬でも牙が皮膚に刺さり、穴も開くし血もいっぱい出ます。
通常『噛む』と言われるものはじゃれていて牙が爪楊枝の先のようにとがっているために、人間のほうの扱い方が不慣れなために手を引いたり、動かすことで引っかかってしまい傷ができるものが多いのです。
ですから傷ができても、たいていは簡単な引っかき傷程度のはずです。
大人の犬に噛まれても同じですが、大人の犬に本気で噛まれたら手は動かさないが基本です。
自発的に放さないなら犬の上あごと下あごを持ち犬の口を開けさせるか、片手であれば逆の手を口の中に突っ込めば苦しくて口を開きますから被害は最小限に抑えられます。

犬同士の噛みあいの場合などはどうしても放さなければ水をかけるとか、耳の中に息を吹きかければ放しますのでちょっと覚えておくといいかもしれません。
子犬が噛んでも手をひっこめなければ傷にならない程度のはずだと言いたいのです。


ですが、一緒に暮らす場合に、あまりガブガブと噛むようでも困るので、小さいうちから噛む力を加減するように人が教えてあげなければなりません。
犬は人よりも痛みに強いので、犬同士の学習だけに頼ると犬自身は悪気もなく噛んでいる行為が人には悪い犬と感じられてしまう加減になってしまいます。

多少痛くてもこのくらいなら我慢してあげようという親切心が逆に子犬の噛む力の加減をできなくさせてしまうので、少しでも痛みを感じたら「痛い!」と大げさに嫌がりましょう。

それが子犬と家族のためです(笑)



細やかに面倒を見るブリーダーと同居犬たちいる環境で育った子なら、子犬は人の手に渡る時期にはこうした教育は受けていて噛む加減も知っていますし、また噛む行為をやめることも知っています。
たとえば我が家では、子犬とよく遊び、こうしたことはある程度まで教えます。教え始めるのは生後1ヶ月くらいからです。
人の手、顔などのやわらかく敏感な部分に対しては噛む力が強いと『痛い!』と強く低い声ではっきりと犬にわかるように言葉をかけ、やめない場合にはにらみつけて、もう一度言葉を繰り返し口を離させます。

噛む子は何度も同じことを遊ばせながら繰り返します。
なぜなら子犬の頭は単純で一度や二度では決して覚えられないからです。
なかなか離さなかったりしたときには指を噛んでいる場合にはその指を口に対して横にして(縦にしてはいけない)そのまま奥歯のほうに押し付けます。こうすると犬は『おえっ』となるので自発的に放します。
このときに『痛い』でもよいですし、『いけない』とか『駄目』いう禁止の言葉を一緒に言いながらやります。

指が口の中に入ってしまってのどに向かって入れてしまってはいけません。
子犬は苦しすぎたり恐くなったり驚いてしまうと人の言葉は聞こえなくなるからです。
よく指を突っ込んでやれば苦しいから放すと書かれてることもありますが、実際には我家ではいい結果はありませんでした。
本の通りにやってみた結果、きっと苦しすぎて言葉も聞こえなかったようです。仔犬には行動を伴わせて言い聞かせる作業がとても大切です。
でも聞こえない状況では意味がないのです。


また、間違った方法にはいけないことをしたら子犬の体をホールドするというのもあります。
つまりひっくり返して押さえつけて動けなくするという方法です。
これはシェルティーには絶対にやって欲しくない方法です。
幼い子犬が体の動きを封じられることは非常に恐怖感を伴うもので性格上問題を起こし、非常にシャイになったり、逆に攻撃的な子になることがあります。

本来のホールドのやり方は犬自身がもがくこともあきらめてリーダーに従わなくてはならないのだと理解するまで、ストレスから解放されるくらい長くゆっくり時間をかけて行う方法です。
普通の場合それほど長く犬のために数時間を使い続けられる人は少ないはずなので、結局は恐怖心を残してしまい、攻撃性を引き出してしまうことが多いので私はお勧めはしていません。
怖がりな犬種には特に必要のない方法です。



子犬は大人の犬にすごまれたり叱られたりしてやばいなと感じると自分からちじこまって動かなくなるのですが、大人の犬たちはよほどのことがなければ子犬を羽交い絞めにしたりはしません。
もしするとしたらある程度お互いが理解しあえて押さえつけても極端な恐怖心が植えつけられない関係になってからの事です。
犬だって子犬の成長に合わせて加減するんです。
大人の犬は威厳のある態度で上から見下ろし、唇を捲り上げて怖い顔をしたり、うなり声を出して威嚇し教える事が多いです。
また何かの加減で子犬の歯が当たってとても痛かった場合には前歯をカツンと当てて痛い教訓を与え噛む事を制限させます。

決して幼い子犬に対してはいきなり上から押さえつけたりはしないのです。


大人の犬同士の場合には少し違う場合もありますが基本的には同じです。(笑)
大事な部分は口を放しても決して褒めません。
褒めるのは言葉をかけた段階で放したときのみです。
強制的に放させた場合には褒めたら何の意味もないからです。
犬達だって【やめろ】と言う制限をかけた後、仔犬が逃げたとしても、目の前でひっくり返ってお愛想をしても知らん不利をしています。
気持ちを切り替えた後にまた遊んでやる事はありますが制限を受け入れた直後にはすぐに遊んだりする事はありません。

禁止事項は自発的行為のみ褒めて(それも極簡単に)、強制的行為は褒めないということが大前提です。
子犬によっていろんな子がいるので上に書いた方法だけでどの子も全てできるようになるわけではありませんが多少の参考にはなるはずです。


下あごをつかむ方法や、顔を近づける方法や、振り払う方法や鼻先を一発叩く等我が家にはその子の犬種的特性と性格・性質に合わせたいろんな方法を取ります。
シャイな子につかむ方法は決してやってはいけないし、叩くのもだめです。
ハードな精神を持つ子なら多少痛い目に合ったほうがいい場合もあるのです。でもそういう子なのかどうか十分に観察して犬の性質や性格をちゃんと把握しなくては間違ったら大変です(笑)
取り返しのつかないことにもなりかねないので本来は犬をよく知っている人のアドバイスをもらいながら、又は実際に見てもらった上で教えるのがベストだと思います。

こうしたその子その子に合わせた方法も何回か繰り返すうちに言葉で制御できるようになってくるので、後はすべて同じわけです。


つまりは『言葉』を理解させられればたいていのことは『いけない』とか『待て』の動作を止めるコマンドで制御できるからです。
ある程度噛むようになっていても、正しいやり方で根気よく教えればすぐにできるようになります。
大事なことは人間のほうが短気をおこさず、繰り返し教え、たくさん褒めることです。これは噛む行為だけではなくすべてのしつけに共通です。

2009/03/06 Fri

犬育て6つの要素

犬は飼い主の虚栄心を満たすための道具ではありません。しっかりした訓練ができていなくても心底その犬を可愛がって生涯を大切に共に暮らしていく人なら素晴らしい飼い主です。
訓練を始めるとどうしたって人様の犬と比べてみたりするようになります。
ちょっと自分の犬が何かできたり、教えられたりするようになるとどんな犬にも適用できると勘違いしてしまいがちです。


犬には人と同じように個性があり犬種だけではくくれないもっと緻密な別れ方をしています。
性質も性格も、育った環境も食べ物の好みも好きなものや好きなこと、嫌いなものや恐い物、それぞれの犬がみんな少しづつ違いがあります。
多くの犬と接しその条件の違いを少しの時間犬と接してすぐに把握できるようになった人なら大きな間違いは犯しません。
でも極普通に長い時間犬と暮らしたことがあっても、数をこなした人や観察力の鋭い人には叶わないものがあります。


通常犬と暮らすときにそう多い数でいきなり暮らすことはないので数頭までならそれぞれの個性を見分けることは飼い主であればできるようになります。
同じ毛色のシェルティー1頭1頭の顔が違うことが分かるようになっていればかなり観察力があるほうです。
もちろん自分の家の犬以外の話です。
犬を良く観察するのが一番大切だと話すと『見ているのですが。。。』という答えが返ってきます。
ただ見ていても確かに犬の個性は見えてきません。
飼い主が犬に興味がなくては見えてこないからです。


犬ってこんなことやるんだ。
これが恐いみたい、あんなことに驚くんだわ、なんだろう?尻尾振ってるからうれしいのかな?・・・
興味を持てるものならどこからでもよいのです。

最初は犬のする事すべてが何故こういう行動をするのかわからないままが普通です。
でも良く見ているとなんとなく見えてくるはずなのです。
飼い主が興味を持ってみていれば必ず疑問が出てきます。
疑問が出てくればその答えを探そうとするでしょう。


行動学の本などを読んで自分の犬の行動が何のために行われたのかや、どうしてそういう行動を起こしたのか探ってみるのは大事な事です。
観察力が鋭ければ行動学にはないものも見えてきます。
それが犬育ての楽しみだと思っています。
そして行動学の基本は多くの犬達の観察から始まっています。
長い時間を多くの頭数の犬達の観察を経て初めて学問となっています。
つまり観察こそ最大の勉強となるわけです。


犬の起こす行動に興味を持ったら何故それをするのか考えます。
本などから知識を得ることもよいですし、犬を知っていると思われる人から聞くこともよいでしょう。
そしてその行動は飼い主自身にとって有益な行動かそうでないかを考えて見ます。
有益であるならきっとあなたは極自然にその行動を褒めたり喜んだりしているはずです。
有益でない行動の場合にのみ悩んだり、考えてしまったり、苦しむことだってあるでしょう。


でも悩む前に、どうして?の疑問を持つだけにせず、犬が何故それをするのか考えることが先です。


どういう状況でそれは起こったか、原因には何が考えられるか。
それは回避する方法はなかったかなどです。
原因がわかれば対処方法を思いつきます。
どんな問題がおきてもまず原因を探す事です。
そのためには犬の行動の知識が必要となるのでぜひ一冊は行動学について書かれた本を読むと良いでしょう。
ただしすべてを本に書かれたことに当てはめずに犬のした行動から考えたほうが答えが見つかりやすいこともあります。。。



しつけの成功への早道は飼い主自身が先ず犬のよき理解者になることじゃないかと思います。
私たちは人間で犬になりきることは不可能ですから、犬になれとは言いません。
私たちは哺乳類であることは共通ですが猿と犬の違いがあります。
もって生まれた習性が違う以上、又見た目の形でさえ違う以上、同種のようにふるまっても無理があります。
私がバイブルのように大切にしてる『名犬ラッド』という本のなかに的を得た文章が載っていました。
もしチャンスがあったらこの本を読むことは犬を育てることにとても役に立つはずです。


子犬を教育するのに必要なことは
『時間』『忍耐』『決意』『知恵』『気分の抑制』『温和さ』の6つの要素が絶対必要であると・・・
そして悲しいことに人間はこの全てを備え持つものはほとんどいないであろうとかかれています。
全てを兼ね備えて持ったもの・・・それがこの本の主人公『ラッド』というコリー犬です。
<サニーバンク・ラッド>は実在したセーブルのラフ・コリーで16歳の天寿を全うしました。
『名犬ラッド』という本は少年少女向けに書かれたものです。
<サニーバンク・ラッド>の文字をクリックするとHPに行けます。
私も子犬を教育する為に必要な事柄は、まさしく本に書かれているとおり、心底そうであると思ってバイブルのように信じています。

これをすべて備えた人は必ず良い犬を作れるでしょう。。。


時間』ですが多くの人間には犬に使うために整えることはひどく難しいことでしょう。
忙しい現代社会において子犬にどれだけの『時間』を費やせるかはとても難しい問題です。
私が子犬を譲るときに子犬が育つ間だけでいいので必ず人が一緒にいる時間が取れないと困ると言っているのはこの要素を満たせることがかなり重要であるからです。


忍耐』は飼い主自身の個性にも寄ります。
我慢強い人、開き直れる人、おおらかな人はこの『忍耐』をクリアすることが出来るでしょう。
逆に何もかもが心配になってしまったり、不安ばかりが先に立ってしまったり、ちゃんとしなくちゃとあせってしまう人は『忍耐』は難しい要素になります。


決意』は瞬時に判断しその場で決断を下せるかという事です。
これはある程度のTRAININGでできるようになります。
しつけに際して教えるときにこれが出来る速さが問題になることが多いものです。
要するにタイミングが上手くつかめるかつかめないかなので子犬と共に成長しながら学習することが出来ることなのです。


知恵』・・・これは飼い主が自分で知識を得ようと努力するかにかかっていると思います。
ひとつの方法で何とかなると高をくくらず、うまく行かなければ何が悪いのかを考える余裕があるかないかです。
この方法はうまく行かなかったがこの部分に問題があると気がつくことが出来ることが『知恵』の部分になるでしょう。
ただ一回や二回やってできないと他の方法に行くこととは違います。
正しい方法でそのとおりにやっても犬の性質や環境からどうしてもうまく行かない原因を探り出すこと。
これが『知恵』です。
もちろん最初から犬の行動や心理を良く理解していることでその問題に対処できる手段を持っていることは知恵があることになります(笑)


気分の抑制』は男性のほうがはるかに勝っているように思います。
高ぶる感情、激しい欲望、衝動的な行動などを押さえて止めることは女性にとって少し難しいときもあります。
ですがこれができるようになる方法がひとつあるのです。
それは犬はいつまでも三歳児と変わらない知能しかないのだという現実を確実に自分の中に叩き込む事です。
これが出来れば犬に教えたことがうまく行かなくても、ちょっとした悪戯をされても、ヒステリーを起こさずに済むのです(苦笑)


温和さ』これは女性には得意な部分です。
男性の場合には、姿かたち、声質などで子犬からは畏怖の感情を持たれることが多いですが、女性はその物腰や声質、姿などによって最初から子犬が受け入れやすいものを持っていると思うのです。
おだやかでおとなしいということを温和さというので元気な女性もいますが、まぁ一般論として男性よりはそう感じやすいという意味です。
又時代は変っても多くの場合家の中には女性がいることが多く、多くの家庭では犬の世話は母親、娘、祖母などがすることが多いはずです。
現代社会は少し変化しつつありますが、男性が犬の世話をすべてすることはまだ不可能に近いでしょうし、女性であることが役得みたいなものかと考えています(笑)
もちろん男性にもこれが非常に長けた方も多く、褒め方はなども穏やかに静かに褒めるという方法はある意味犬にとって有益な方法となります。
穏やかな男性に育てられた犬は非常に良い犬となるでしょう。


子犬の育った環境に世話をする人が男性しかいなかった場合には子犬に関わった方法によっては男性を好む傾向が大きかったり逆に女性に安心感を持つものも表れます。
逆も然りです。子犬の感情は幼い時期に係わり合いの会ったもので変化が見られます。
女性の甲高い声に驚いたり、ヒステリーなどを起こされたような経験をしていれば女性に畏怖の感情を持つ子もいるでしょう。
幼い時期に元気一杯の若い男の子と暮らした子犬は多少のことにはへこたれない子に育ちますし、大きくなっても若いお兄ちゃんが好きな事が多かったりします。
環境からついてしまうものもあるので育てる飼い主に温和さがあれば修正は簡単であるということだと思います。


子犬を育てる間には数え始めたら信じられないくらい多くのことを教えなければなりません。
でもその多くの事柄は自然と一緒に暮らしていく中に『教育した』と感じなくても学んでいるものも多くあります。
幼い子犬やまだ教育されていない成犬と接するときに、『この子はまだ三歳児』という認識を忘れない事です。
幼い子供から与えられる興味深い行動の一つ一つは気持ちの持ちようによって楽しくもあり可笑しくもあり笑いの耐えない生活をもたらします。
その中で飼い主自身の困ってしまう行動にのみ制限をつけることに情熱を燃やすことが出来ればきっと成功は早いでしょう。


私は子犬を育てるときに楽しんでいます。
悩んだり苦しんだりせずに、おおらかにこんなことするんだと笑っています。子犬は飼い主の笑顔が好きです。
しかめっ面のママやパパは嫌いですよ!・・・

2009/03/06 Fri

犬に好かれるためには

犬飼ともなれば自分の愛犬に信頼され、なおかつ他人様の御愛犬からも「良い人!」の称号を与えられたいと願う人は多いはずです。
ところが、コウ願う人の多くは実は犬達からは不評である事が多いのです。
大半は「自分は犬と暮らしているし、犬のことを良く知っている」という自負の上に成り立つ、「自分は犬好きなので、犬も自分を好いている」という錯覚から犬の気持ちを理解できないことが原因ではないかと思います。


この錯覚を起こす人は、我慢をしてくれている犬達に迷惑な行為を、飼い主であってもなくても、当然の顔をして行います。
こういう人への犬達の反応は一度目は逃げることにしくじり捕獲された場合、我慢を強いられたと感じれば開放された後はできるだけ遠ざかり、二度と捕獲されないように気を付けます。
近寄られるとスススス〜っと逃げる(笑)犬との接触でそんなことを経験したことはありませんか?
これってカーミングシグナルと言うか、犬からの答えです。(笑)

犬にしてみれば、家の人なら仕方なく我慢もできますが(苦笑)通常の犬は、他人に媚びなきゃならない理由は持っていません。
犬が起こす警戒の態度を見抜ける人は犬に対して自分は安全な人間であることを証明出来れば必ず親しい間柄になれることを知っているので決して無理はしません。そしてこういう人たちは犬から嫌われることは無いのです。


犬に好かれたかったら、基本は犬から近寄ってくるまで人間は行動を起こさなければよいだけです。
彼らはこちらに興味があれば自分から近寄ってくるし、近寄ってこないときは興味がないかもしくは警戒しているかのどちらかだからですから。

人はもともと犬を尊重しようという気持ちを持つものは少なく、人の子供には決してやらないようなことを犬には平然とやってのけるものです。
初めて会う人の子供でも、子供の了解を得ないまま無理やり捕まえて抱き上げたり、さわりまくったらどういう反応をするでしょうか?
それと同じです。(笑)
親が了解した所で子供自身の了解がなければ、顔を背けられたり、嫌な顔をされたり、幼く我慢が効かなかったり恐いと言う感情を持つ年頃だったらオオナキされるのが落ちです。
面白いものでこれは犬にも良く類似している現象です。
しかし犬は固まってしまって動かなかったりすることが多く、おとなしい犬、あるいはシャイな犬だと思われることが多いのです。


抱かれた相手に好意を持っていれば尻尾を振るなり顔をなめようとしたりしますし、目だって生き生きとしています。
そういう行動を起こさずにあまりに静かだったり、カチコチに固まっていたり逆にもがくように動き逃げ出そうとしたらとても好かれているとは言えません。
飼い主のマナーと言って人の犬を触るときは飼い主の了解を取りましょうというけれど、「犬の了解」をとらなければ犬に好かれることがなかなか難しいと思います。



我家の犬達に群がる小学生などは申し訳ないけれど犬に了解をとる必要があることを伝えさせてもらっています。
自分の愛犬が子供を嫌いにならないために、そして犬を知らない子供たちのために。。。
最近は親に教えられているのか行儀良く「おばちゃん、この犬触ってもいですか?」と聞く子はとても多くなりました。
昔はダダダダだ〜っと駆け寄ってきていきなり触ろうとする子が多かったのです。私は「おばちゃんじゃなくてこの子に聞いてごらん。」と答えます。
たいていの子供は困った顔をするので「じゃぁおばちゃんが聞いてあげるね。触らせてくれるように頼んであげるね」と言う事にしています。


連れている犬に「きみを触りたいんだってさ。いい?○○ちゃん。」と聞きます。
人に話すように話しかけるのを子供に見せるためです。
犬の反応が「嫌だな」って言う時は「今は嫌なんだって」と断るし、「いいよ〜」って言う時は「触ってもいいってよ。でもこうやって撫ぜてあげるのが好きなんだよ」と犬が嫌がらないように撫ぜ方を教えます。

子どもたちは規制されても犬が触れる魅力には勝てないのでほとんど真面目に言われたとおりに触り、犬の反応があるとことさら喜ぶのです。
ちゃんとできた子にはご褒美に犬にコマンドの与え方を教え、「座れ」「お手」などをやらせます。
子供はおお喜びをして犬が言うことを聞く生き物だと理解します。


ここまで行儀よく犬と接することができた場合には、我が家の場合子供たちにもう1段階上のことを教えます。
子供は犬が言うことを聞いたので何度でも同じ行動をやらせようと試します。ですがうちの犬は私がやってあげてねと言わなければ、見知らぬ子どもの言うことは聞きません。
「やってくれない!」と文句を言ってきたとき、「だってさ、君のおうちの子じゃないからだよ。いうことをきかなきゃならない約束をしていないでしょ?あなたの言うことを聞いたのはおばちゃんがやってあげてねって言った約束を守っただけなんだよ。」

子供はすぐに意味を理解します。「そうかぁ、頭がいいんだね。」
「そうだよ、あなたたちと同じだね。ママの言うことはちゃんと聞けるでしょ?同じなんだね。」
子供が相手だと簡単に伝えられることだといつも思います。


こういうコンタクトを取った子は次に会った時に犬の名前をちゃんと覚えていて「○○ちゃん触ってもいい?」と犬にも自分から聞いてくれます。犬は一度面識もあるし、私が了解していることも承知しているので問題なく触らせるので次第に仲良くなっていけるのです。

子供の時にこんな体験をしていれば犬には決して嫌われたりしない大人になるでしょうし、犬に嫌なイメージを持たないはずです。
そして犬は結構頭がいい生き物だと覚えてくれるでしょう。

私はとても大事なことだと思っています。

子供は最初から犬を知っているわけではないし教えられていなければ無謀な態度もとるでしょう。
犬を連れている側がちょっと工夫してあげれば犬自身も子供を警戒しなくなるし、犬を好きな人が増えるはずです。


また、無謀な態度の子供から犬を防衛するときに私は少し脅かす方法をとっています。
子供たちが騒ぎながら駆け寄ってくるときは大きな声で「噛むよ〜!」と叫びます。
この言葉は魔法のように子供にはよく利き、一瞬で止まってくれるので重宝します。「きゃぁ〜」と言って逃げてくれれば幸いです(笑)

こわごわ近づいてきて「噛むの?」と聞かれたら「そんな勢いできたらびっくりしちゃうから噛むかもね」と笑いながら答えます。
たいていの子供は犬が好きで触りたいので寄ってくるのですから何とか触りたいといろいろ話しかけてきます。
そうでなく去っていく子供たちは面倒をみる必要がないので「あの犬噛むんだってさぁ!」と言われても気にもしません(笑)

残った子供たちには上記のように順序立てて犬を触らせてあげるわけです。
まれに石を投げるような子供もいたりすると聞きますが、私はまだ遭遇したことがありません。
でももし万が一にでも石など投げるようなことがあったら烈火のごとく叱り飛ばすと思います(*^_^*)


特に子供には、自分の家で飼っている犬でもない他人の犬を思い通りに勝手に触れると学習させないほうがお互いの身のためです。

脅かされたりいじめられたりしたら犬は子供を好きにはなりません。
怖がったり脅かさなくてはならない相手だと認識させるかさせないかはやはり連れている飼い主自身の行動から犬は学びます。
子供は恐くない生き物だとか、ルールが守れる友人だとか学んだ犬は子供を怖がることはありませんし接触の回数が重なれば子供の多少手荒い扱いも甘んじて受けとめられる生き物なのです。

子どもに対する問題行動を持つ犬は何かしら嫌な経験を携えています。
本来は悪い経験をさせないことが基本となります。


大人の場合は難しいことです。
はっきりと犬に嫌われてしまいますよと提言するわけにもいきませんし、はがいじめにされて問題が残るような犬は触らせないように先に配慮しますが、万が一にも捕獲されたら速攻で適当な言い訳をして放してもらいます。

我が家の犬たちはたいてい他人に捕まえられてもちょっと困った顔をする程度にしか反応しないように育ててありますが子犬はそうはいかないのでとても気を使います。

まずは触られないようにすることが一番ですし、ちゃんと対応する人だけ触ってもらいます。
私が育てる子犬は決して子犬のうちに他人に抱かせたりしないで育てています。
少しづつ触ってもらうようには心掛けていますが、体ごと他人に任せることは子犬時代には決してしません。
子犬が他人も問題ない人間であると理解できる年齢・もしくは経験を積んだ後なら話は別です。


犬に好かれる為にはある部分では犬に主体を置くと言う事になると考えているので犬が安心する相手である行動はどういったものであるかが重要です。

私は嫁いだ子犬たちでさえ我が家に遊びに来ても、1・2度、名前を呼んで見ますが、飛びついてくるような気配がない場合には無理に捕まえることはしませんし、たびたび呼んでみるようなことはしません。
当然ですがよほどのことがなければ抱きあげません。
飼い主さんに呼んでもらい、飼い主には反応するのかどうかは見ています。


幼い子犬のうちには目の前に興味のあるものがあれば、他人に呼ばれることにあまり反応することはありません。
なので呼ばれることでこちらに興味が移るようなら相手をし、問題のない相手だよと伝えますが、興味がない状態ならほおっておきます。

久しぶりの場所であったり、ほかに犬がいたりすれば興味はそちらにしか向かないものなのであえて興味を持たせることはありません。
何もしないことの効果は犬にも何も起きないという効果となって表れるので危険な人物という認識はつかないままになります。

これが重要なのです。


時間があれば犬が落ち着いたころを見計らって少しずつに行動をおこしますが、名前を呼んで聞いているかとか、こっちを見るかとか、寄ってくるかとか、逃げ腰になるかとか、動かなくなるかとか、犬の様々な反応によって起こす態度を変えます。

やさしい口調で数回呼んでみたり、猫をじゃらすように手で誘ってみたり、そおっと手の甲を差し出してにおいをかがせたり、こうした動きに対する反応もよく観察します。

また反応によって行動を変えるわけです。

犬は自分自身に危険が及ばないことさえわかれば意外にフレンドリーな生き物なので十分対応できます。
最初から飛びついてくるような子犬はこの限りではありませんが、それでも子犬の反応はよく観察し抱き上げた後、怖がらせることなく開放するようにしています。
ぬいぐるみを抱くように相手の意思を考えずに抱き上げてしまったら「危険な人物」とレッテルを張られ、その意識をなくすことのほうが時間がかかります。
ほんのちょっとした工夫と努力で犬と仲良くなれるのならそのほうがずっと楽しいと思います。


特に子犬の馴致で間違えていると感じるのは人に馴らすためと称してやたらに触らせようとするのが飼い主自身であるということです。

私が子犬だったら一緒にいるいやなことを許す飼い主を信頼しないなぁと思います。(^−^)

2009/03/06 Fri

繁殖する人たちへ

シェルティーを繁殖する上で知って置くべきことや、注意しなければならないことは数多くあります。
一度や二度仔犬を産ませて人に渡したからといってブリーダーとは言えません。。。
それはただ単に繁殖したこと(犬に子供を産まさせた事がある)があるというだけだと思うのです。
シェルティーという犬種のことを把握し、理想の犬が自分の中にあり、それを求めてさまざまな研究をし勉強をし経験をつみ繁殖に望み子犬の行く末の責任を持つ人がブリーダーではないかと思うのです。


中でも経験というものはとても重要なものだと思います。
犬の繁殖はやりようによってはとても簡単なことです。
繁殖に使われる犬がどんな暮らしをするかは持っている人で決まります・・・

ブリーダーでなくても、シェルティーを繁殖する人はいるでしょう。
生まれた子犬は幸せになるために、また人を幸せにするために生まれてきます。
仔犬の行く末まで責任を持てるなら、犬の赤ちゃんの誕生は人生の中で何よりすばらしい経験になるはずです。
でも・・・赤ちゃんが見たいからとか一頭だけ残したいからと安易に繁殖をしないで欲しいと思っています。


犬はたくさん赤ちゃんを産みます。
買い手が見つからなくても普通の愛犬家が繁殖して業者等に渡すのは喜ばしいことではない気がします。
愛犬が命をかけて生んだ子が、知らないところで放置されていたり、虐待されていたり、保健所等で処分されたら悲しいでしょう?
そんなことにならなくても子犬の行った先さえまったくわからなくなるのですから・・・
行き先がわからないと言う事は、自分の産ませた子が後々思いもかけない状況にさらされている事が発覚することもあります。

自分はしようと思わなかった無責任な繁殖に使われていることだってあるのです。


わたしはそうした未来を持つ犬を産ませたくないと考えています。

今出来ることは自分が産ませた子犬たちのことしか出来ませんが、こうしてページを開いて意見を述べているのはひとえに大好きな犬達の幸せを願っての事です。

自分の犬たちにしてあげられること以外でできることは、意見を述べることで愛犬を繁殖しようと考えている人たちにこういう自体も考えられるのですよと知って欲しいからです。

思いとどまる人もいるでしょうし、繁殖する人もいるでしょう。
繁殖がいけないと言ってるのではないことをわかって欲しいと思います。


責任を持って生涯育てていけるひとを見つけるのはなかなか難しいことです。貰い手が見つからなかったら全部自分で飼う事ができるくらいでいて欲しいと願っています。
シェルティーもダックスも数頭生まれるのが標準ですが中には8頭とか10頭とか生まれてくることもあります。
中には先天的に問題を抱えて生まれてくる子犬だって絶対にいないとはいえません。
沢山勉強しいろんなことを考慮して繁殖に望んでもです。
母親が死んでしまうこともあるのです。。。
又俗説として子犬を産ませたほうが体のために良いとか病気になりにくいとか思う人も多いようです。


決して赤ちゃんを産ませることは犬のために良いことばかりではありません。
いろんな状況を良く考えた上で繁殖に携わって欲しいと思います。

2009/03/06 Fri

優しさと溺愛の違い

溺愛とは「相手を客観的に見る目を失い、むやみにかわいがること」で盲愛とも言われます。
これはその人自身が感じるものではなくはた目から見るとそう見える可愛がりようだということでしょう。
我が家もきっと人が見たらシェルティーはもとよりダックス・特にポメラニアンの2頭にはデレデレの溺愛飼い主に見えることと思います。


自分自身が責任感なくわがままを受け入れているという自覚があった場合、溺愛というのかどうかはわかりませんが、適当な言葉が思いつかないので同じ意味に使っています。


人間の子供の場合、親の立場であるものは溺愛しては子供は社会に受け入れられるような大人に育てるのが難しくなるはずです。
なんでも思い通りになるという解釈しかできなかったり自己中心的な考え方しか持たないように育ってしまったら社会には受け入れてもらえません。
親は子供を教育し育てるという役目を本能で担っています。
育てることに、教育することに責任を持っていない、おじいちゃんやおばあちゃんとは違う立場にいます。


もちろん育成にかかわるものは実際に子供が生まれるための両親でなくても、全て産んだ後に育てる親の立場と同じ行動をとるようになることが人だけでなく多くの生き物の本能として知られています。
その関係は、子供自身に対して他種による場合、血縁関係のない同種のものから、血縁である祖父、祖母、親戚関係のような立場、兄弟姉妹の場合もあるとのことです。


祖父や祖母が孫を溺愛するのは、親が教育を担当し生きるために必要な事柄を学ばせているからこそ、その部分において担当する必要性がないので溺愛することができるのです。

こっちはかわいがるだけで嫌われるようなことはしないのだから、いい身分だなぁと思うことしばしばですが(笑)信頼という部分においては親に軍配が上がることは周知の事実です。
つまり、相手にとって都合のいいことばかり与えてもよい関係は生まれないということなのだと思います。



家族という一つの群れの構成の中に、犬を社会的に認めてもらえるような後ろ指をさされないですむよい犬に育てる役目を担う人がいなかったら、犬は傍若無人にふるまうわがままなまま育ちます。
周りに存在する人間が親の立場になるものがいなければ早い時期からリーダーが不在である認識を持ち、成長するに伴って自分がリーダーとなろうとするのです。


ふわふわでかわいいあまりに溺愛したくなる気持ちもわからなくはないですが、犬も子供と同じように成長する部分があります。
そして人と暮らす以上、野生の犬と違って学ばなければならないことはたくさんあります。
犬を飼った以上飼い主はその犬の親としてふるまい、必要な教育をしていかなければなりません。

つまり溺愛していたら育てられないということになります。


心から愛することは溺愛とは違います。
相手を客観的に見つめることができる愛は溺愛よりもずっと尊いものです。
親だからこそ与えることのできる無償の愛は溺愛とは違う優しさです。


犬をかわいがることの優しさと溺愛との違いをよく認識して犬に接することが重要です。
犬はとてもそういう部分において敏感で頭がいい生き物なのですから、溺愛されているのか、心から愛されているのかの違いをいとも簡単に見分けるでしょう。
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